16.梧桐の庭師
都築紫:このお話の主人公。かつて放浪していたが、来樹で働き始め、梧桐の住人となる。
荻田司:梧桐の住人の1人だが、そして……。
皆川円:紫と職場が同じで、部屋も隣同士の女性。
梧桐:詞艶市来樹地区にある多世代の人が住む「寮」。
「ゆーかり、その鉢はこっち側。そうそう、そこに置いて」
「これで良いか?」俺が尋ねると、その人は満足そうに、
「ああ、良いよ。こっちも頼めるかい?」
「分かった」
ふと見ると、その人は微笑みながら黙々と作業を続けていた。――俺は顔を上げ、全体を見渡す。これが、この人が作り上げたもの。きっと今と同じように微笑みながら続けてきた結果。
ここは、梧桐の敷地に存在する畑。といっても今は3月末なので野菜や果物などの代わりに、花の方が目を引いていた。現在でこそ多種類の植物が植えられ、収穫量も格段に上がったが、以前はこれほどではなかったという。――とは、司から聴いた話だ。初めてこの土地の存在を知った日に。
――それにしても、全然聴いてなかった!司がここで働いていたことは。
梧桐は、家を出て独り暮らしする学生や、俺の様に働いている者もいるのだが、――家族で住んでいるケースもあるそうだ――やはり、1番多いのが、お年寄りだ。老人ホームみたく介護の必要なお年寄りも少なくないわけで、そうなると梧桐にも専用の介護士が必要になってくる。で、そいつらも梧桐の住人として過ごしている訳だ。そして司もその1人だったわけだ。全く。
「――それにしても、ゆーかりは力持ちだねえ。そんなに重い肥料をあっさりと持ってしまうなんて」
「そうでもないと思うけど」
俺がそう言うとスミさんはより一層笑顔を深くして首を左右に振りながら言った。
「いやいや、無言でそういうことをやれるなんて。――ほんと、旦那さんそっくりだ」
――出た!「旦那さん」!
初めて司にここに連れて来られた時、1人のお婆さんがいた。何てことない、ごく普通の年配の女性。88歳という年齢にしては身体も丈夫という位が特徴で。何だか田舎に住む農家のお婆さんという感じの人。
「今村スミ」という名前を持つその人は、確かに農家のお婆さんであった。――というのも、広い土地の割にあまり機能していなかった畑をその人は時間をかけ、今のような形に仕立て上げた張本人だからだ。
「スミさん、手伝いの人を連れてきたよ。都築紫君というんだ」
司のそんな説明に、スミさんは、言った。
「ゆーかりくんかあ。あれまあ、旦那さんそっくりだー」
と。あの時から俺は「ゆーかり」で。そして、事あるごとに「旦那さんそっくり」と言われるようになってしまった。
「旦那さん」というのは、文字通りスミさんの旦那さんの事。今はもうこの世にいない人らしいが、あまりそういうことは聞いていない。いつも向こうが話し始めるのを聞いているだけだし、スミさんはスミさんで、話すことといえば、「旦那さん」が俺と同じ年頃かそれより以前の話ぐらいだった。だから、旦那さんとはいつも新婚で終わっている。
「うん、今日は大体これぐらいでいいかな。ゆーかり、いつもありがとうね。助かるよ、本当に」
スミさんは心からそう言っている。――ように聞こえる。いつもそう。相手に対し常に温和だ。若い頃の話の中ではどちらかというと旦那さんが温和で、スミさんの方が少々怒りっぽかったらしいのだが、それが俺とでは何だか逆転しているような感じだ。「いつも毒気を抜かれているような感じだった」とはスミさん談だが、まさにそんな感じを俺はスミさんに対して抱いていた。そのため俺はスミさんにだけは怒りを撒き散らせなかった。
いいんだろうか、これで――。
「おや、まどかちゃんじゃないか。どうしたんだい?」
「え?」
スミさんが突然奥の方を見つめたため、俺も思わず振り向くと、そこには円がいた。
「やあ、スミさん。丁度一段落ついたところですか?」
「ええ、今終わったところですよ」
頷きながら答えたスミさんへ頷き返した後、円はこちらへと向いた。
「どうかしたのか、円?」
円がここへ来るのは珍しく――普段は遠くから眺めるだけ――思わず訊くと、
「うん、あのね。司君居なくて、仕事中じゃない時を狙おうと思うと、1番良いのはここかなって」
「?」
「デートのお誘いかい?」
スミさんが横から楽しそうに口を挟む。それを円は軽く睨みながら、
「違います、今度お誕生会やろうと思って」
「誕生会?主梧室でやるやつか?」
「よく知ってるねえ」
「この前、司から聴いたんだよ。その飾り手伝わされた……」
主梧室、というのは梧桐の1番広い部屋。普段から住人たちの集まる場だが、何かイベントがあるとそこが会場となる。毎月、月初めに開催される誕生会もその1つである。
「成程。いや、そっちじゃなくて今度の木曜日の方。昨日言おうと思ったんだけどね、その日に私の部屋でやろうと思って。雅さん含めて4人で」
「今度の木曜日?って何日だっけ?」
「30日。3月30日木曜日。空けといてね」
3月30日……。何で……。
「何で、その日なんだ?誕生会って誰の?」
声が震えているのか分からないが、円もスミさんも気にしていない。
「司君の。その日誕生日なんだよ」
「今月のでやったねえ」職員も一緒に祝われるのが基本。住民は基本自由だ。
「え……」
何か脱力した感じ。だがそれはほんのわずかの間だけだった。
「今日はもう26日だものねえ、もう4月か」
スミさんの何気ない一言。だが、
頭が真っ白になった。
今回、3月30日が木曜日という話が出て来ましたが、このお話の中ではそういうことになっているので、特に気にしないで下さい。まあ意味はないんですが。
それにしてもスミさんの様な温和な人はこのお話では珍しいかな。梧桐の場面でしか登場しないサブキャラですから印象薄くなるかもしれませんが。
さて次回は、灯のメインキャラ4人が集合しますよ。多分。