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まあるいきもち

作者: 遊佐一二三

ぼくは勉強ができない。

正確に言うと、テストでいい点を取ることができない。


たとえば算数の時間に、ゼロのまんまるを書いた時、そのカタチのあまりの

かわいらしさにぼくがうっとりしていると、あっと言う間にテストの時間が

終わってしまう。


ゼロがかわいいと思うぼくの点数は、いつも限りなくゼロに近い。

そうして、みんなが僕を「ばか」と呼ぶ。


いつも思うのだけれど、テストで上手に点を取れれば、ぼくは

「ばか」とは呼ばれないんだろうか?


ぼくは教室の窓の外で揺れる菜の花が、黄色い海みたいに

揺れてるのが、うきうきするくらいきれいなことや、

空に浮かぶ雲をじっと見つめていると、地面が動いているように

感じて面白いことを知っている。


なのに、みんなはぼくを「ばか」と言うのだ。

おねえちゃんも。


おねえちゃんはみんなと一緒になって、「あいつはばかだから

遊ばないようにしよう。」と言う。


ぼくはそれは、すごい裏切りだと思う。

ぼくの中には、おねえちゃんとおんなじ、パパとママの血が

あわさったものが流れているはずなのだから。


おなじものでできているおねえちゃんが、ぼくのことを「ばか」と言うのは、

これは裏切りに他ならない。


ぼくはたくさんの「きれい」とか「かわいい」とか「おもしろい」を知っているし、

本を読むのも大好きだし、おしゃべりするのも好きだ。

ぼくができないのは、テストでいい点を取ることだけなのだ。



事件は春の日の、とても天気の良い、気持ちのいい日に起こった。

国語の教科書で「ちょうちょ」というコトバが出てきた時、ぼくのアタマの中に、

昨日まで食い入るように見つめていた図鑑のきれいな蝶がひらり、ひらりと飛んできた。


ちょうちょ。

こんなかわいいコトバを作ったのは誰なんだろう?

ちょうちょ。

きれいでかわいくて、あったかい春の日にぴったりの、すてきなコトバ。


ぼくは裏庭のお花畑にいるちょうちょにどうしても会いたくなって、

教室を飛び出した。

「きみたちの名前はなんてかわいいんだろう。」って、

伝えたくなったんだ。


先生は怒って、「またおまえか。」と怒鳴ったし、みんなは「ばかのすることだから。」と

言って笑ったけど、こんな天気のいい日に、薄暗い教室で教科書を読んでるなんて、

そっちの方がぼくにとっては、「ばか」に見える。


温かくて気持ちのいい日には、外で植物の作ったきれいな空気を

いっぱいに吸い込んで、この世界は誰が作ったのかを、空を見上げながら

考えるほうがいいに決まっている。


そうして、ぼくにとっての「すてきな一日」を過ごして家に帰ると、

ママがどんよりとした顔で、リビングのいすに座っていた。


リビングの棚には、ママが買ってきた「学習ドリル」が、ほとんど

手つかずのまま並んでいる。

ママはいっしょうけんめい「勉強しなさい。」と言うのだけれど、

ぼくの根気が続かないので、最後には悲しい顔になってしまう。

だから僕は、ドリルを全部刻んで捨ててしまいたいのだけれど、

せっかくママが僕のために買ってくれたのかと思うと、それもできない。


ママを悲しませるのはイヤなので、ぼくも一生懸命になって

鉛筆の先を舐めながらページをめくるのだけれど、

いつも心はどこかへ飛んでいってしまう。


ぼくは、なぜぼくのこころが勉強を好きになれないのか、

どうしてもわからずにいる。

ぼくがみんなみたいに、勉強ができてテストでいい点を取れるなら、

ママは悲しい顔をしなくていいのに。


おねえちゃんみたいに、棒の横に目玉の並んだ「ひゃくてん」を

得意げに見せびらかして、ママににっこりされたいのに。

どんなにがんばろうとしても、ぼくの心は、勉強の方に向かないのだ。


前に、パパとママがぼくのことでケンカしているのを見た。

パパは、「オレの一族には勉強のできないやつはいない。」と

怒鳴っていた。

ママは、ぼくがテストでまんまるの点を取ってきた時と同じように、

悲しい顔をしていた。

あとでおねえちゃんが、「あんたがばかだから、おとうさんとおかあさんが

けんかするのよ。」と意地悪を言った。

ぼくも、ママと同じように、悲しい顔になってしまった。


ママが学校に呼び出された。

ぼくもいっしょに、先生のお話を聞いた。

理科の時間に、朝顔の花がだんだんと開いてくるビデオを見たので、

朝顔をずっと見張っていたい気持ちでいっぱいだったけれど、

ママも先生も真剣だったから、ぼくも一生懸命お話を聞いた。


「専門医を受診されたらどうですか?」

先生の言ったコトバの意味が、僕にはよくわからない。

「息子さんは学習障害の疑いがあります。」

やっぱり、わからない。

わかったことは、ぼくが「たのしいこと」を見つけるたびに、

先生が困ることと、先生やみんながぼくに、もう学校に来ないで欲しいと

思っている、ということだけだった。


ぼくは「ふつう」じゃないから。


「ふつう」っていうのはなんだろう?

ぼくが「ふつう」だったなら、テストでいい点が取れたんだろうか?

みんなに仲間はずれにされたり、ママが悲しい顔をすることも

なかったんだろうか?


「ふつう」じゃないのは、ぼくが悪いの?

どうすれば「ふつう」になれるんだろう?


ぼくは一生懸命考えたけど、どんなに時間をかけてもわからなかった。

ぼくは初めて、じぶんが「ばか」なんじゃないかと悔しくなった。



空はぼくの大好きな夕焼けだったけど、ちっとも「うれしい」気持ちが降りてこなかった。

「うれしい」と「たのしい」を心の中で何度も呼んだけど、喉に小石が

詰まったみたいになって、目の前がじわじわと水たまりに沈んだ。


なにもことばがでてこなくて、久しぶりに触ったママの手を、

ぎゅっとつかんだ。

ママは何も言わずに、もっと強い力で、ぎゅーっと握り返してくれた。



僕は「がくしゅうしょうがい」というものらしい。

今までぼくが勉強ができなかったのは、ぼくのせいではなく、「しょうがい」と

よばれるもののせいだったのだ。

理由がはっきりしたけれど、ぼくの気持ちはすっきりしなかった。

「勉強ができないのは、しょうがいのせいなんだ。」って言われるのは、

なんだか「仕方ないよね。」って諦められているみたいで、かなしい気持ちがする。

ぼくは「ばか」とは言われなくなった。

かわりに、「かわいそうな子」になった。

ぼくはそっちの方が、ずっといやだった。


ママは、「ばか」な子のママと、「かわいそうな子」のママと、どっちが

いいんだろう?

どっちでも、「ぼく」のママであることに変わりはない。

それは、「ふつう」が欲しかったママには、どっちにしろ不幸なことなのだ。


お父さんのお母さん、ようするにぼくのおばあちゃんが、

ママをいじめにきた。

おばあちゃんはいつも何かにつけ、ママに意地悪を言って泣かせようとする。

だからぼくは、おばあちゃんが大きらいだ。

来るたびに、早く帰れ、とありったけの念力を送る。

おばあちゃんもぼくがきらいみたいで、「ひとをきらうときらわれるよ。」と言った

ママのことばは本当だったんだ、と感心する。

「じゃ、ママはおばあちゃんが好きなの?」と聞いたら、曖昧に笑っていた。

オトナはコトバをしゃべる時、いろいろ難しいらしい。


この日のおばあちゃんは特に意地悪で、パパと一緒になって、

「おまえのいでんしがわるかった。」という話をしていた。

意味はよくわからない。

いでんし、というのは図書室の本でみたことがある。

ぐるぐると規則正しく回っていて、不思議なカタチをしていた。

いでんしは好きだけど、それが何をするものかはわからない。

だから、知りたいと思う。

世の中のいろんなことが、不思議でしかたがないから、いっぱい、いっぱい、

知りたいことが溢れている。

ぼくは忙しくて、テストの練習をしている場合ではないのだ。


次の日、ママは「学校に行かなくていいよ。」とぼくに言った。

「かわりに、いっしょについて来てね?」

ママに手をひかれて、区役所の並木通りを歩いた。

近くの木は大きいのに、遠くの木が小さいのはなぜだろう?

遠くのちっちゃかった木も、近くに寄ると大きい。

世の中は魔法みたいな不思議に溢れている。


「青い空は、宇宙の色が透けているの?」と聞いたら、

「そうかな?じゃ、赤いお空はなにが透けてるんだろう?」とママが言った。

たしかにそうだなぁと思ったら、不思議で仕方がなくなった。

しばらく黙って考え込んでいると、

「お空は神様の万華鏡だから、神様が振ると、色が変わるんだよ。」と

教えてくれた。

素敵な答えだと思った。


「他の子とおんなじようにしなさいって、言ってごめんね。」

「なんで?」

「おまえはおまえなのに、おまえを見ようとしなかったから。」

ママの言っていることが、よくわからない。

「『ふつう』の子のママになることに必死で、おまえの素敵なところを、

ずっと見逃していたね。」

「ぼくがぼくのまんまで、いいっていうこと?」

「うん。ママだってね、何が『ふつう』かなんてわかってなかったし、

『ふつう』が幸せかどうかも、本当はわからなかったんだ。」


ぼくは、ママがぼくのことを好きだと言ってくれているのが

わかったから、菜の花の海を見た時よりもずっと、うれしい気持ちになった。


ママは、区役所でもらった緑色の紙を、パパといっしょに出すことに

したと言った。

そうすると、いろんなことが、今までと違ってしまうらしい。

「ママと一緒なら、ぼくはいつでもうれしいから、それでいいよ。」

「ゼロがまんまるでかわいいって、ママもそう思うよ。

まんまるからまた、始めようね。『うれしい』をいっぱい集めたら、ママもおまえも、

幸せに暮らせると思う。」

ぼくは、もうママからたくさんの「うれしい」をもらって、

踊りたいくらいだったけど、ママがゼロをかわいいと言ってくれたので、

もっと「しあわせ」な気持ちになった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ぼくの視線で、まだ無知なとことこが出ててすごいよかったです。 また、普通とはなんなのかを考えさせられる作品でした。
[一言] 良いお話でした。優しい文章と母子の愛、素晴らしいと思います。人間、大人になるにつれこういう純粋な気持ちを忘れていってしまうんですよね。私は少し性格が変わっているのでみんなと違うと悩むこともあ…
[一言] 何が普通で何が普通じゃないのか、深く考えさせられる物語でした。勉強が出来る出来ないなんて、重要なことではないですね。主人公の素直な気持ちや、ママが息子を愛する気持ちがよく描かれていると思いま…
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