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3.青年と奪われた少女の隠れすむおもいで

 ——はい? あぁ、少女たちについてですか。そういえば昨日話したつもりでしたが、結局話さずじまいでしたね。はい。それではその辺りも少しずつ話して行きましょうか。

 そうなると少し長くなってしまいますが、予定の方は大丈夫でしょうか?

 ——なら問題ないですね。始めましょう。

 本来であれば少女、ロレッタのことから話すのが筋なのでしょうが、ローについて語ることは多すぎます。なので、先にシャルロットとエドガーについてお話しさせていただきますね。

 10年ほどの時間を共に過ごしたうえでのお話になりますので、話の中に多少の矛盾があるかもしれません。その点についてはご容赦いただけると助かります。もう、あの戦争からは8年もの時間が経ちました。私自身も印象に残るいく つかの光景しか思い出すことができず、不甲斐ないことに確実な時系列は思い出すことができないのです……。


 では、まずはメイドの話から始めましょうか。

 シャルロット・ベントリー。

 ——いえ、ベントリー姓を名乗ってはいましたが、メイドとして入った時に付けられたものなので、伯と直接的な血のつながりはないとのことでした。

 私があの地下室に行ったときに、10代中盤、私より一つ二つ年上だったと記憶しています。年の割に落ち着いていて、感情があまり表に出ない少女でした。

 彼女はメイドとして家事をこなすのが得意で、特に力仕事に関しては細身な外見とは裏腹にかなり得意なようでした。あとで聞いた話によると、この地下室のあらゆる家具や荷物も彼女が搬入や 製作を行ったとのことでしたし、あの地下でくらした数年間で私も重い物の搬入などを一切した覚えがありません。……そうですね、エドガーにはあまりそういった作業が得意なイメージはありません。彼は自室で黙々と書類を整理していることがほとんどでしたから。

 私にあの地下室であらゆる仕事を教えてくれたのはもちろん、シャルロットに他なりませんでした。

 まず教えられたのは掃除からでした。埃を払う程度しか能がなかった私に、本の整理を、食器の磨き方を、絨毯の清掃を教えてくれました。

「……そこはこうやって絨毯の目を立てるように……」

 ぎこちない言葉も、緊張で胃が縮む思いをしていた私にとっては救われるような気分になったものです。

 結局、私が学んだこと は掃除の他に料理・裁縫・洗濯と、本来女性がやるべきとされているものばかりでした。当時はそのことに多少不満を持っていたものですが……、そもそも男がするべき仕事など、あの地下室にはもともとあまりなかったのですから、ロレッタになど滑稽に見られていたことでしょうね。

 今では、あのようなことを学べたことに感謝しているのです。こうして一人で暮らす私にとっては、私自身がそれをするほかに手はないですからね。

 ——なるほど。あの地下室に行かなければこうして一人で暮らすこともなかったのではないか。それもまた一つの真実でしょうね。少なくとも私は、エドガーと、シャルロットと、そしてロレッタと出会えたことには感謝しているのですよ。

 ……少しずれてしまいま したね。話を戻しましょうか。

 10年近くにも渡る地下生活の中で、恐らく私が最も長い時間を過ごしたのは紛れもなくシャルロット・ベントリーで間違いないでしょう。伯にこうして軟禁状態にされるほどの何かを持っていた少女ロレッタや、無口で無愛想なエドガー・ベントリー。その二人と比べればシャルロットはより普通の人に近かった、とでもいうのでしょうか。初対面のころは冷淡で、まともに話すことさえ難しいように思えた彼女ですが、二度目の春が訪れるまでにはそれもなくなっていました。

 彼女は私にとってあの地下室の中では唯一気軽に話すことができた人だったので、彼女の話も色々と聞くことができました。袖のボタンやスカートの折り目でできる精一杯のお洒落や、美味しいプデ ィングの作り方。好きなミステリー小説の犯人あてクイズなどをして遊ぶこともありました。彼女は特に本格と呼ばれるジャンルをよく読みこんでいて、その分野では私は一度も勝ったことがありませんでした。他のジャンルで勝てたかというと、そういうわけではないのですが……。

「やっぱり、読むなら本格が心地いいですね。散りばめられた伏線はまるで万華鏡のよう。貴方もそう思いませんか?」

「僕は叙述トリックの方が好きかな。思わぬところにある分かれ道で迷子にさせられる感覚がいいよね」

「そんなことはありません! 叙述はやっぱり公正さに欠けているきらいがあります」

「そうじゃないミステリーもたくさんあると思うけどなぁ……」

 私とシャルロットがしばしばこうして 推理小説談義をするまで仲良くなったのは、4度目の春を地下室で迎えるよりは早かったと記憶しています。議論が盛り上がると、寝る間際まで小説の引用を繰り返すこともありました。時には寝巻のまま書庫でああでもないこうでもないと語り合うことさえありました。季節に合わせた柄のフリルをふんだんにあしらった寝巻は、地下室の中でほぼ唯一四季を感じられたと言っても過言ではないでしょう。その分、埃まみれの書棚から本を取るのには苦労していたようでしたが。


「もしここから出ることができるとしたら、あなたはどうします?」

 そう聞かれたことがありました。彼女の方から話を振ってくるのは珍しく、その一幕は随分と印象が強く残っています。

「僕は……、きっと村に帰るよ。 そこで家族と一緒に暮らすと思う。君は?」

 シャルロットは一度そこできょとんと目を丸くし、そして一つため息をついてこう言ったのです。

「……私は、きっとそのまま死ぬでしょうね」

 重苦しく開かれた唇から紡がれた死という単語。そんな言葉にこうやって出会うなど、私は想像だにしていませんでした。

 だからでしょう。愚かなことですが私は聞いてしまったのです。

 どうしてか、と。

「……私には帰る場所がありませんから」

 彼女はそういって幽かに笑みを浮かべました。寂しさのあまりに泣き笑いのような、そんな表情で。

「あっ、お嬢様のおやつの時間ですね。私は、これで」

 ぱたぱたと室内靴を鳴らしてシャルロットが台所に向かうのを見て、私は何をしてし まったのだろうと後悔に苛まれていました。


 これはあの地下室から出た後、真紅いメイド服の女性——アビー・ボイエットから聞いた話になりますが、彼女はもともと、あの地下室に入る予定はなかったようなのです。本来アビーが入るだろうとされていたにもかかわらず、伯が独断でそう決めたのだと。少なくとも、アビーはそう語りました。

 そういえばアビーもまた、表情の変化に乏しい女性でした。初対面の時こそ仏頂面と思ったものの、彼女はおそらく意図的に仮面をかぶっていたのでしょう。話すときは淡々と要点を話すだけで、ピンと伸ばされた背筋をわずかにでも曲げた様子を見たことはありません。他のメイドも感情を私に見せた人はいませんでしたから、伯はそのような人を選んで雇 用していたのでしょう。……少なくとも、私が数年間で見たあの館のメイドは全てそのような表情をしていました。中でもアビーは——おそらくメイド長という立場もあってでしょうが、感情が希薄なように感じました。

 そして、彼女は一度だけ、こう漏らしたことがあるのです。

「……ロレッタは呪われているんだ」

 どうしてその言葉を口にしたのかは私にはわかりません。しかし彼女はその瞬間、明らかに自らの失言を悔いて俯いていました。

 それを見たせいでしょうか、私は考えてしまうのです。

 彼女が、いえ。彼女や私、エドガー、そしてロレッタがここにこうして集まった、その意味を……。


 次はエドガーですね……。

 ——いえ、正直なところ私はエドガーについては 語るところは多くはないのです。

 寡黙で無愛想。伯の前ですら沈黙を貫くその姿勢は、使用人としても貶されこそすれ、褒められることはなかったでしょう。にも関わらず伯は彼を認め、彼の意見を尊重していました。もしかしたら私が来る前に何かあったのかもしれませんが、私がそれを知ることはついぞありませんでした。

 いかなる日であれ、自室以外では常に燕尾服姿、口元に蓄えた髭も整えられた彼の目には、私がいったいどんな風に映っていたのでしょう。ええ、恐らく未熟者といったところでしょうか。

 ——彼の私服姿ですか?

 地味目ながら動きやすく、そのまま主人の前に出ても差し支えないものを好んでいたようです。私が一度、部屋の中でまでシャツを着ていて息苦しくないか と尋ねたことがあります。彼は穏やかに首を振っただけでしたが。標準的な背よりも少し高く、髭面で話しかけにくい容姿でしたから、彼なりに話しかけやすいように気を使っていたのかもしれませんね。

 エドガーの行動はとても規則的で、早朝に目覚めてから数分で支度をし、午前中は書類仕事、昼食を挟んで午後は読書というパターンが崩れることは滅多にありませんでした。時折伯に会いに行ったり、ローとチェスを指したりすることもありましたね。腕前としてはやはりローには敵わなかったと聞いています。それでも私やシャルロットよりはずっと強かったのですが。読んでいる本は歴史や戦術、地理などの本が多かったようです。

 彼は恐ろしいほど寡黙でしたが、だからと言って意志の疎通が 困難なわけではありませんでした。簡単な筆記具を持っていて必用なことは書き留めたり、単純な質問なら首の振り方でも答えていました。

 それゆえになぜ彼が口を開こうとしないのか、私が挨拶した時だけなぜ彼が口を開いたのか、結局今になってもわからないままなのです……。


★★★★★


 その部屋には分厚いカーテンがかけられていた。この時間なら辛うじて出ているだろう太陽の光も遮られて入ってこない。ランプの明かりもないため、部屋全体が洞窟の奥にいるかのような暗闇に包まれている。

 その部屋の中に二つ、動く人影があった。一人はどっしりと椅子に腰かけ、もう一人はそのそば、まるで自然体のようにピシリと背筋を伸ばして立っている。

「明日、決行する」

「 ……」

 椅子に座る男の声に、傍らの影は答えない。

「恐らく、大きな騒ぎにはならないだろう。こちらの方が一歩先んじている以上、向こうにろくな抵抗はできないだろうからな」

「……」

「お前も、そう思うか?」

「……」

 男の問いに、やはり答えはない。

 しかしそれを見て、何かが通じたのだろうか。男は少しだけ機嫌がよくなると、しかしそれを表情以外にはあまり出そうとせず、いつもと変わりない足取りで部屋を出ていく。

 そして部屋に残されたもう一人の影は。

 やはり動きもなく、整えられた髭をさすりながら考え込んでいるのだった。


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