#01
瞼を開けてみれば、視界が白い。よく見れば、それは天井の色だった。
辺りはもう薄暗かった。僕は時計に目をやる。午後四時。通りで暗いはずだ。僕は変な時間に眠ってしまったらしい。
静かだった。物音一つしない。ベッドの傍にある、たった一つしかない窓に付けられてるカーテンが閉められていた。寝起きでけだるい身体を起こし、僕はカーテンを開ける。
雪が降っていた。彼らは留まることを知らない。何となく息苦しさを感じ、僕は思い切って窓を開けた。冷気が室内に滑り込んでくる。予想以上に外の空気は冷たかった。だが、再び窓を閉める気にはなれない。この何とも言えない息苦しさが無くなるまでは。
その時、音がない、神秘的でもあると言える時間が唐突に終わりを告げる。
それでも気を使ったのだろう、遠慮がちな音を立て大きく開かれた扉の奥から現れたのは背の低い男だった。
「気分はどうだ?」
「最高だよ」
僕は窓の外を見たまま言った。「今まさにあんたが現れなければ」
彼は微かに笑う。
「具合はどうだ?」
「良いとは言い難いね」
「ふーん。そうか」
雪が降っている。彼らは留まることを知らない。
彼らはまるで旅人だ。世界中を巡ることができる。
「今は悪くない。けれど、きっといつか悪くなる」
僕にとって外とは、この正方形の窓の向こう側だけだ。
「ああ……そうか」
彼は関心ないといったようすで窓から外の景色を見ていた。
わざわざ辺境の地に見舞いに来てくれた変わり者、スノー。ある意味嫌な奴であり、悪友であるとも言える。彼がどう思っているのか知らないが、少なくとも僕はそう思っている。
「大学は楽しいかい?」
僕が尋ねると、スノーは軽く頷いた。「まあな」
「いいな。羨ましいよ。僕は見ての通り、どこにも出してもらえないからね」
僕は何本ものチューブが繋がれた腕を上げて言った。
あれは高二の時だった。吐き気と無気力感から始まった原因不明の病。今では激しい頭痛や、一時的ではあるが記憶喪失などもある。担当の医師の話を聞くと、もって後一年だそうだ。
「そうか。逆に俺はお前が羨ましいと思うが」
「もうすぐ死ぬって言うのに?」
もはや僕にとって『死』という単語でさえジョークになりつつある。それを分かっているからこそ、スノーも余計に気遣わない。
「ああ。それでもお前が羨ましい。戦争でのたれ死ぬよりはマシだな」
スノーは陽気に笑った。
「ここは静かだな。あの喧しい砲弾の音が聞こえない」
すっかり暗くなってしまった。それでもスノーは、聞こえもしない機関銃の音を聞き逃すまいと外を見ている。
「山の上にある屋敷だよ。静か過ぎて退屈だ」
僕は電気をつけた。眩しく感じるほど室内が明るくなり、窓から見える景色は黒一色になった。スノーは小さく溜息をついた。無理もない。
「あんたは?今なにを?」
「このご時世、何やっても許されるというルールがある。もうお前が高校にいた頃とは違うんだ」
土産だ、と言ってスノーはサイドテーブルに紙袋を置く。
「こう見ると、日本は変わったな。俺たち日本人の特徴である平和主義は一体どこにいったんだろうな。電車の中で単語帳を開いていた学生は、今や銃を持っている。居眠りをしていたサラリーマンは、眼をギラつかせて一人一人の行動を監視している。知ってるか? 世界で一番治安が悪い国がどこか」
「ソマリアだろ?」
高校時代、社会の先生がそう言っていたのを僕は思い出した。
「それが違うんだ。世界で一番治安が悪い国は、なんと日本だとよ」
スノーは鼻で笑った。
「県なんてあってないようなものだ。ほとんどの街が腐敗している。奴隷制度もできた。たった数年で、だ。信じられないだろ」
にわかには信じられない話だ。僕がそう言うと、スノーは国会議事堂がある方角を睨み、吐き捨てた。
「そうして国は滅びていくんだろうな」
来た時には分からなかったが、彼は相当疲弊しているように見えた。
「なんか悪いな、愚痴ばかり。もっと気の効いたことが話せれば良かったんだが」
「そんなことはない。話相手がいてくれて嬉しい。誰かが来ない限り、一人だからね」
テレビもラジオもないこの部屋で、僕がリアルタイムの情報を得られる機会は少ない。
「……変わってしまったんだな、何もかも」