ミスター・スーパーラッキー 3
「さて、諌山想。質問に答えよう。ローザ・ゴールディンは金の超幸運ではないごく普通の人間だ。年は二十四歳。父がイギリス人、母は日本人で、日本語と英語が堪能。イギリス、アメリカ、カナダ、日本で暮らした経験があり、家族は父と母、兄が二人。性格は大人しく控えめだが、芯はしっかりとした大和撫子タイプだ」
聞いてもいない項目まで情報を伝えられたが、想の頭にはあまり細かい話は入ってこなかった。
「これは偶然なのか?」
「偶然ではなく、必然だ。私は諌山想の願いを現在も叶え続けている。その結果、ローザ・ゴールディンが採用試験を受けに来た」
「俺の願い?」
「旧姓森永、現在は桃谷果林を幸せにしている」
――まだ続いてたのか!
頭の中がごちゃごちゃしていた。
整頓しきれない情報と疑問があふれて、心の中は散らかりきっている状態だ。
「えーと……」
――確かに、生きてる限り終わりなんかないのかな?
「あいつが保育士になったり、結婚できたのもお前のおかげか」
「その通りだ。森永果林は諌山想と結ばれることを最上の願いにしていたがそれは叶えられなかったので、その次に最適と思われる桃谷洋介との出会いを提供した。彼が選ばれたのは森永果林が諌山想について人生の恩人であると思い続けることを理解し、様々な事情を抱えた人生を歩んだ者同士の共感ができる間柄になれる、最も彼女にふさわしい人物だったからだ」
「言わなくてもそろそろわかると思うけど、そういう無駄な情報はいらねえ」
「それはすまなかった」
――全然思ってねえだろ?
志田の美しい顔は薄く笑みを浮かべている。
――今日の夕方辺りまでただの後輩だったはずなのになあ。
「では次になにを説明すればいいだろうか、諌山想」
「果林を幸せにしてて、なんであの子が面接を受けに来ちゃうんだ?」
「諌山想は二十七歳で、結婚適齢期だからだ」
思わぬ後輩のセリフに、想はぶうっと吹き出してしまう。
「なんだって?」
「この十年の間に様々な女性との出会いがあったが、諌山想は異性の好みに一切妥協する様子が見られなかったので、世界で一番可愛らしいと感じられる女性と出会えるように運命を動かしてきた」
「おま……っ、バカ、お前、バカ!」
顔を赤くして怒鳴る契約者に、超幸運はまた笑う。
「焦った時の怒り方は相変わらずだ」
「うるせえよ!」
「これが懐かしいという感覚か。久しぶりに諌山想の怒った声を聞いて、わたしはとても嬉しい」
にっこりと満足げな笑顔に、想は顔をしかめた。
――笑ってやがる。
生きている人間への擬態、と超幸運は言った。
以前の四谷ブラザーズの時には見られなかった豊かな感情表現に、想の怒りは勢いを失い、みるみるしぼんでいく。
「全然気がつかなかったな。なんとなく四谷っぽいとは思ってたけど」
「そう思ってもらえて光栄だ。私と諌山想の絆の為せる業だな」
「絆ね」
「世界で唯一、超幸運との契約が第三段階へと進んだだけはある」
――いつ進んだんだよ……。
「第三は、どーなんの?」
「契約者がなにも望まずとも、世界が勝手に幸福を運んでくるようになる」
――スケールでかーっ!
「これから先、あらゆる幸福と、時には苦い気持ちになるような失敗、すべてがちょうどいい加減で諌山想に訪れる。時に悩み苦しんでも、それはすべて未来の幸福へと繋がっている」
「それ、いつからそうなってんの?」
「つい先ほどからだ」
しれっと答える様子に、想の口からはふん、と笑いが勝手に漏れ出てくる。
「うさんくせえ。お前、勝手にルール作ってんじゃないか?」
「話したはずだ、諌山想。超幸運は皆持つ力は同等だが、考え方や方針はそれぞれ違う。己の信念に沿って契約者に対し、ふさわしい幸運を提供していくのだ」
呆れた気分で超幸運を見つめる想の中に、ふっと疑問が沸きあがった。
「そうだ。なんで果林の幸せが俺の結婚適齢期って話になるんだよ」
おかしな方向に脱線した話を戻し、二人で見つめ合う。
黒の超幸運は、また美しい微笑を浮かべると、契約者にこう答えた。
「桃谷果林の幸せは、諌山想が幸せに暮らすことだからだ」
なんと返すべきなのか。
想にはわからなかった。
茶化したり、ごまかしたり。いつものようにできない想に、超幸運は語り掛けていく。
「桃谷果林は幸せに暮らしている。彼女の人生は平坦なものではなかった。幼い頃から苦労をし、諌山想のように自分を認める発言をする者との出会いはなかった」
黒い空間に響くのは、超幸運の穏やかな声だけ。
「現在彼女は妊娠六ヶ月で、大変幸せな人生を歩んでいる」
想はようやく小さく頷いて、短くこう答えた。
「へえ」
「自分が幸せなのは諌山想のおかげだと、眠る前には必ず、そーちゃんが幸せでありますようにと祈っている」
――そんなに?
「大げさだな」
「諌山想にはそう思えても、彼女の価値観では違う。桃谷果林は諌山ルミと親交があり、諌山想について逐一情報を得ているので、特に恋愛面での進展を熱望している」
――おいおい。
母があの電波系と交流しているという思いもよらない事実の発覚に、想の眉間には深い皺が刻まれた。
「それで俺が引っかかるように、あんなドンピシャの美女を用意したのか?」
「その通りだ。世界中で一番諌山想好みの容姿であり、性格の相性も最高に良い。これをスルーされると次に用意できる最良の美女との出会いは十一年先になってしまう」
「はははは」
おかしくなって笑う青年の脳裏に、能天気な果林の笑顔が浮かぶ。
「あいつ、子供産まれるの?」
「出産前に一度会うといいだろう」
「なんでよ」
「生まれる子は男児で、このまま会わずに過ごすと二年後に名前を『想』にしたと告げられてショックを受けるからだ」
――げえっ!?
「年末年始に実家に戻れば会えるだろう」
「お前にしちゃ珍しく有益な無駄情報だったな」
「喜んでもらえてなによりだ」
黒の超幸運はふっと笑うと、第三段階へとグレードをあげた契約者にこう告げた。
「諌山想、これからはなにも望まなくとも幸福が導かれ、諌山想の人生を彩っていく。しかし特別に願いがあるのならば、いつでも呼び出し告げてくれれば私はそれを叶える」
「なんでも?」
「ほぼ、なんでもだ。他人に不幸を招く内容でなければ、わたしは諌山想のどんな願いも叶えるだろう」
「……お前と解約したい場合はなんて言えばいいわけ?」
「わたしと諌山想の契約は解除されない。これは第三段階へ進んだ場合の特別なルールだ」
「はあ?」
真っ黒に塗りつぶされた空間が霞んでいく。
少しずつ、会社の近くに借りた狭いマンションの部屋へと背景が変化していく。
「今、追加した。私だけの独自のルールだ」
最後に響いた勝手な言葉に、想は手で顔を押さえて笑った。
――なんだよ。
いつも通りの部屋の中、想はベッドの上に座っていた。
ふっと、手に持ったままのビールの缶に気付いてこう考える。
――酔っ払って見た幻覚とかじゃないよな?
まだほんの一口しか飲んでいない。たいして酒に強い方でもないが、これだけで幻覚を見てしまう程弱くはないはずだ。
――まだまだ契約中だったとはな。
しかも、果林を幸せにする願いが自身に影響を与えているなんて、思いもしなかった。
――おかしいと思ったぜ。
なにもかもが順調な人生。
そんな素敵な物語も時にあるかもしれないが、どこか順調すぎる気がしていた。
案の定、青年の穏やかな暮らしは超幸運の手によるものだったわけで。
――なんだかなあ。
こんな裏技ありかな、と想は考えた。
果林や仲島に少し申し訳ない気分になったりもする。
――都合のいい俺につき合わされちゃってなあ。
人生の恩人や、パートナーにしてもらっていいものかどうか。
これまでにも何回か考えたそんな疑問に、超幸運が答えた。
『それは確かに超幸運の影響のせいではあるが、それは私、黒の超幸運をここまで惹きつける諌山想の人的魅力のせいでもある。つまりなんら問題はなく、諌山想は堂々と胸を張って生きていけばよい』
「勝手に心の声に答えるんじゃねえよ!」
誰もいない部屋で一人大きな声をあげた自分に、諌山想はおかしくなってしばらく笑った。
超幸運の教えてくれた通り年末に実家へ戻ると、忙しい長男の為に少し豪華な忘年会が開かれ、そこになぜか当然のように桃谷夫妻が参加してきた。
かりん先生は少しふっくらしてきたお腹を撫でて、幸せそうに微笑んでいる。
「あのねえ、この子は、そーちゃんって名前にするんだよ」
「やめろ」
なんで、とふくれる妊婦をどう説得しようか悩んでいるところに、十歳になった賢い双子の弟たちが素晴らしい意見を出してくれた。
「兄ちゃんと同じ名前じゃ紛らわしいよ」
「そっかあ、それもそうだねえ」
あっさりと命名に関する信念は捨てられ、諌山家一同とヨウスケ君は安堵の表情を浮かべている。
「かりんちゃん、俺、いい名前考えるから」
ヨウスケの口から語られる「いい名前」は天使とかいてエンジェルとか、愛と書いてラブリーとか、そんな読みをさせるものばかりで、三人の子を育てた先輩夫婦がそれはちょっとと釘をさしている。
――あんたらも似たような命名してたでしょうが。
呆れながら、蟹爪のフライを齧る。
ケラケラと笑い声の響く、朗らかな諌山家と桃谷家の忘年会。
――変なメンツだ。
超幸運の導いた不思議な運命。
彼がいなければなかった幸せに、まあいいかなという気分になっていく。
年末ののんびりに反して、社長秘書の新年は初日から忙しい。
元日にはお世話になっている社長の家へ顔を出し、親友のみならずそのご両親までいる新年会で身を小さくして過ごす。
二日にもまた仲島家へ出向き、今度は権田やメイドさんたちと宴会。
ここ数年、この日は「社長のお世話をしていただいてありがとうございます」とお互いに感謝をするようになっている。
三日には弟達がやってきてお年玉をねだられ、初詣への付き添いをする。
四日はもう仕事始めだ。新しい年のはじめにちょっといい話をする社長を後ろから生暖かく見守り、年始の挨拶まわりに付き合う。
こうして、再び日常へと戻っていく。
ひとつ違うのは、人事部の志田君が実は人間ではないということ。
おそらく来年の二月にいなくなる彼と顔を合わせるたびに、呆れるような、楽しいような気分になる日々。
そして今年最初の、諌山想にとっての運命の日がやってきた。
朝から雑用をこなし、一段落ついたところで席を立って向う先はお手洗い。
すぐそこにある目的地を目指して、廊下の角を曲がる。
「きゃっ」
黄色い声とともに、黒いシックなデザインの鞄が落ちた。
まずはぶつかってしまったことを紳士的に謝り、落し物を拾って持ち主へと渡す。
「すみません」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
目の前でペコリと頭を下げる、金色のフワフワ。
時間が止まる。
――おいおいおいおい!
超幸運の用意したあまりにもベタすぎる出会いのエピソードに、想は心で笑って、体は、強張ってうまく動かせない。
「今日面接を受けに来た、ゴールディンです。あの……ええと」
写真でみるよりもずっと美しい碧い瞳。
実際に見てみればアシュレイよりもずっと大人びた、高校生の頃よりも成長した「現在の諌山想」の好みにドストライクなその姿。
「すみません、その、お手洗いに行ったら会議室の場所がわからなくなってしまって」
「ああ、そうなんですか」
しっかりものなのにちょっぴりドジ。
美貌と知性が完璧な女性にふりかけるのにちょうどいいスパイスが、胸をキュンと締め付ける。
「こちらですよ」
恥ずかしそうに頬をピンク色に染めるローザを、待機用の会議室へと送り届けていく。
「ありがとうございます。時々ちょっと、自分のいる位置がわからなくなってしまって」
丁寧なお礼をする姿を、想はうっとりと眺めた。
――すげえな、超幸運!
「あの、……なにか?」
「あ、いや」
十年ぶりにゆるっゆるになってしまった心のネジが、こんなアホなセリフを青年に吐かせてしまう。
「君が、あんまり可愛いから」
言った直後から、体中で火山が爆発し始めていた。
それは一回にとどまらず、何十回も繰り返して、盛大にマグマを噴出させていく。
――なに言ってんだよ俺のバカ!
しかしこんなキザなセリフに、ローザは顔をますます赤く染めて目を丸くしている。
――あれ?
「そうですか。あの……、ありがとう、ございます」
恥ずかしそうに呟き、頭を下げるとローザは慌てた様子で会議室の中へと去って行った。
――マジか。
超幸運は真実のみを述べる。
ふっと気配を感じて振り返ると、廊下の先に志田が立っていた。
近づき、顔を寄せて小さな声で特別な願いを告げる。
「彼女を採用してくれ」
「今は桃谷果林を幸せにするという願いを叶えている最中だ。それを切り上げ、新しい願いを叶えるのだろうか?」
それに、想は間髪いれずに答えた。
「当然だろ!?」
「採用するだけでいいだろうか」
「そこはお前に任せる」
ニヤリと笑う契約者に、超幸運は微笑みを浮かべて応じる。
「了承した」