06 「超幸運」が真実か否か、それが問題だ
翌日は学校が休みで、想は朝食のあと、しばらく考えてからパソコンを立ち上げ、メールを打っていた。
返信はなかったが、メールに書いた要望どおりの時間と場所に四谷はちゃんと姿を現している。
「お前、どうやって入ってきたの?」
「他の住人が入るのを見計らって通らせてもらった」
指定したのは想の住むマンションの屋上で、オートロックの入り口をどうやって入るのかと思っていたら。特別感の一切ない返答に、少年は腰砕けの状態だ。
「いくつか質問があるんだけど」
「われわれは契約者の質問に必ず真実を答える」
いつも通りの大真面目な顔から想は少しだけ視線を逸らし、超幸運へ尋ねていく。
「昨日の願いは叶った?」
「叶った。諌山想の運命は大きく変わり、その終わりは遠のいた」
「あのさ、願いが叶ったって証明できるのか? 全部お前が適当に言ってるだけなんじゃないの?」
「目に見えないものをハッキリと証明することはできない。物理的なものに関わる願いならば証明は可能だ」
―― 一億円とかか。
特に金が欲しいとか、欲しいと思っているものは今のところ、少年にはない。
昨日の出来事についても、母親に何らかの心変わりがあったとして、それが四谷の手によるものなのか証明する術は確かにないように思える。
それでもどうしようもなく気になって、想は追加の質問を四谷にぶつけた。
「昨日、俺の母親になにがあった?」
「不倫相手とケンカをし、帰り道で偶然夫と会い、またお前の父親は会社で仕事を評価され年下の可愛らしいと思っていた女性の部下に褒められて気分が良かったので妻に優しい態度を取り、二人は久しぶりに一緒に夕食をとりながら息子についての話し合いを持った。夫婦で息子の将来や態度に関して心配しているところに諌山想が落ち込んだ姿を見せたので親としての心が刺激され、また諌山想が珍しくおかえりと声をかけたことにも心が動かされ、今までの自分の態度を反省し不倫もやめようかと考え、夫との仲をより良くしようと長い話し合いを持った」
「ちょうどいいところで区切ってくれよ。お前の話し方はイライラする」
「お前の母親は昨日の夜」
「いや、いい! 内容はわかったから言い直さなくていいよ」
大きなため息をはあっと吐き出し、少年は考えた。
――昨日、会社で可愛い子にほめられたって本当?
父親にそう質問したらどんな答えが返ってくるだろうか。それにうんと返事があれば、ほんの一部だが四谷の言葉が真実だという証拠になる……かもしれない。
「それって全部偶然起きたの?」
「その通りだ。起きた偶然はすべて私が引き寄せたものであり、その積み重ねが願いを叶える」
「うん?」
「われわれは願いを叶えるために、小さな偶然を引き寄せ重ねていく」
「意味がわかんねえよ」
「昨日の願いを例に出すと、母親の不倫相手が腹を立てるアクシデントと引き合わせてケンカに発展するように仕向け、父親の仕事が評価されるよう上司には小さな幸運を用意し、可愛いと思っている女性の部下がたまたま通りかかるようにした上、二人が同じ電車で同じ車両に乗るような配置をした」
――まわりくどい!
心底ムカついているアピールをしようと眉間に皺を寄せてみせたが、四谷はまったく表情を変えなかった。真面目くさった顔でまっすぐ自分を見つめてくるクラスメイトに、一体どう声をかけたものか想はしばらく考える。
「昨日さ」
ちらりと目をやるが、やはり四谷は動かない。
「こうるさく言わなくするには、最良の方法で七ヶ月かかるって言っただろ? あれってどういう方法をとるんだ?」
「先ほども説明したが、小さな偶然を積み重ねていく。子供への接し方や、若者への対応の仕方などに関する情報が偶然に入るようにして、諌山ルミの考え方が変わるようにしていく」
「それに七ヶ月もかかるわけ?」
「昨日一日で運命は大きく動いたので、今現在同じ願いを叶えたい場合には三ヶ月と二日で済む」
「……へえ」
――どういうこっちゃ?
こちらが疑問に思っているとわかっているはずなのに、黙ったままの「超幸運」にまた少しイラつきながら、仕方なく想はちゃんと言葉に出して質問をした。
「随分縮まるんだな」
「昨日の件で諌山想自身にも変化が起きたからだ」
「あん? なに言ってんだお前」
「最短の場合を聞き、心に傷を受け、また夜に両親に寄り添われた影響で硬化していた心が少し開いた。その影響で母親の心理にも変化が起きているので、同じ願いでも叶えるまでに必要な時間が変わった」
傷ついたとか、心を開いたなんて言葉にやたらとムカついて想はぎゅうっと強く目を閉じ、ため息をつくと目の前のクラスメイトをジロリと睨んだ。
――畜生っ!
恨めしい視線にも、やはり四谷は動じない。ブレのないその反応にチッと舌打ちをして、想は次の質問をぶつけた。
「じゃあさ、もしかして俺がこういう態度を取ればいいようになるとか、そういう対処法みたいなのもお前はわかってるのか?」
「われわれが願いを叶える際、契約者本人に具体的な行動は求めない。契約者自身には変化を求めない。契約者がなにもしないうちに願いが叶えられるようになっている」
「でも今回は変化があったんだろう?」
「結果として変化が起きた。諌山想が寂しくソファに座り込んでいたのは最速の場合のシミュレーションを聞いたからであり、寝る前におやすみと挨拶を久しぶりにしたのは両親の上に起きた変化を目の当たりにした結果だ」
「……うるせえよっ」
こっぱずかしい真実をはっきりと指摘され想はまたムカムカを募らせたが、勿論四谷はいつも通りの無表情で黙っている。
――それにしても。
昨日の夜諌山家でなにがあったのか、すべて知っているのは確かなようだ。イライラの中でそれに気がついて、想は顔から力を抜いた。
――本当なのか? 超幸運。
もういいよと告げて想は自宅へ戻り、珍しく家でゆっくりしている両親と顔を合わせた。
「おかえり、想。どこに行ってたの?」
優しい雰囲気の母の言葉に少し戸惑ってしまう。
少年は両親に対して特に声をかけたりしないで過ごしていたし、両親も息子に対して必要最低限以外の言葉を長い間かけてこなかったから。
――どこに行ってたの? か。
それが昨日連続して起きた小さな偶然の積み重ねが引き起こした心変わりのせいなのか、少年は考える。
「クラスの奴と会ってたんだ、ちょっとだけど」
「……お友達? 近所に住んでるの?」
家を出てから戻るまで、四十分ほどしか経っていない。ましてや息子の口から誰か他人の話題がでてきたのは初めてのことで、興味を惹かれたのか母親の質問は続いた。
「まあね」
そういえば四谷はどこに住んでいるのだろう。
どこかから諌山家の近所に引っ越してきたりしたのだろうか?
諌山家のリビングに、穏やかな家族の時間が流れていく。
その中に身を置きながら少年は考えた。
母親が不倫をしていようが別にかまわない。ついでに自分も両親も、いつ死んだっていいと思っていたはずだった。
なのにどうしてあんなに恐ろしい気持ちになってしまったのか。
あんまりだと思った理由が、よくわからない。
ちらりと視線を向けると、母は少し微笑んで息子に応えた。
それから慌てて顔を逸らし、誰も観ていないのに惰性でつけられているままのテレビを見つめる。日曜日の昼下がりのテレビはくだらなく、感情の散らかった頭には内容がちっとも入ってこない。
――都合が良すぎるだろ。
今まで自分のことなんて見ていなかったくせに。
そんな苦い気持ちをかみ殺しながらペットボトルのお茶を喉に流し込むと、想はニセモノの家族の団欒への参加を切り上げて自分の部屋へ戻った。
世の中で起きた痛々しいニュースをまとめているサイトを見ながら少年は考えた。
なにか、結果のわかりやすい願いを考えて言ってみればいい。
わかりやすくて、普通の十六歳が実現するには無理がある設定で、できるだけ叶うまでに時間がかからないもの。
検索サイトの一番上にある小さな四角い枠の中にキーワードを打ち込んでいく。
願い 夢 願望 欲望 無理 叶わない
検索のボタンを押し、あっという間に出てきたたくさんの結果の一覧は見ただけでうんざりしてしまう。
その中にちらほらと踊る単語を追って、少年は明日「超幸運」に提示する難題をなににするか、夜遅くまで考え続けた。