ミスター・スーパーラッキー 2
午前十一時四十五分に会議が終わって、部屋から社員たちが次々と吐き出されていく。
その先頭にいるのは社長である、仲島廉。
スマートに、足早に廊下を進みながら、デキる秘書に確認をする。
「諌山君、次の予定は?」
「十四時からアキマルの米原社長と会議です」
「時間が半端だね」
「ランチは注文済みです。楼閣亭の和風ステーキ弁当を」
「今日の気分にドンピシャだ。……さすがだね」
――まあね。
想は内心でふふんと笑って、大事な伝言も伝えていく。
「梶原部長が一緒に食事を希望されていますが」
「いつなら可能かな?」
「今年中なら、今日のランチしか空いていません」
「じゃあ今日で」
「わかりました」
仲島廉の秘書になって四年と八ヶ月。
諌山想、二十七歳。
暮れも押し迫った十二月、想はいつものように仕事に精を出していた。
スケジュールを管理し、必要なものは手配をし、外出には付き合ってサポートをする。
常に親友と一緒の生活はやりがいがあるものの、やっぱり少し暑苦しい時もある。
仲良しの仲島社長を今日のお昼は梶原部長に貸し出して、いつもより呑気な気分で、想はお気に入りのチキンステーキ弁当をほおばっていた。
――やっぱ、たまにいないと気楽だな。
リラックス中の社長秘書の短い自由時間を、ノックが邪魔する。
「諌山さん」
「あい」
現れたのは人事部の志田という後輩で、上品に微笑みながら封筒を差し出してくる。
「中途採用の応募者の履歴書です。社長にお渡し下さい」
「オッケー」
「社長はいらっしゃらないんですか?」
「部長とデート中」
こんなラフすぎる返事に、入社二年目の志田君はふふっと笑った。
その美しい顔立ちと穏やかな物腰が女性社員に人気の彼を、想もなんとなく気に入っている。
「なに?」
「諌山さんって不思議ですよね」
「たまに言われる。ちょっと待ってね、中身確認するから」
若き仲島社長の就任は、グループトップのご子息ということで誰もがなるほどと思う人事だったが、そのオマケについてきた秘書は、会社内で永らく謎の存在だった。
有名な大学を出たわけでもなく、主席で卒業したとかそんな輝かしい経歴があるわけでもない、ただの青年。しかも、時々社長室をのぞくと、社長よりも態度が偉そうな様子がたびたび目撃されていた。
実は秘書を名乗っている彼の方が真の後継者で、社内の様子をそっと探っているのではないか。
そんなうわさがまことしやかに囁かれ、いまだに一部では疑われているという。それが、社長秘書「諌山想」だった。
食べ終わった弁当を片付け、想が封筒の中身を取り出したところで、社長が戻ってくる。
この展開に、志田青年は少し慌てたように挨拶をした。
「お疲れ様です!」
「ああ、お疲れ様」
「どーだった? 部長とのランチ」
「うん。色々と実のある話し合いになったと思うよ」
緊張感のない二人の会話に目を丸くしつつ、ぺこりと礼をして、人事部の若者は立ち去って行った。
「それは?」
「中途採用の応募者だって」
「そう。もう見たのかい?」
「いや、今出したとこ」
中からは履歴書や職務経歴書が三人分出てきた。
どれどれと眺める社長の手元を、想も隣から覗き込む。
一人目の履歴書の写真を見て、秘書はまずこう注意をした。
「お前さ、今度は胸の大きさで決めるのやめろよ」
「なっ!? なにを言うんだ諌山君。言いがかりはやめてくれたまえよ!」
「だってお前、選んだ女、みんな巨乳じゃん。しかもメガネの。趣味反映させすぎだと思うけどね」
「いやいや、採用の基準は能力や経歴、面接での印象が全てだよ。メガネとか、ましてや胸のサイズなんて、関係ないよ?」
「お前が採用したやつら一列に並べてみ? 一目瞭然だぜ」
秘書はイヒヒと下品に笑い、社長は顔を真っ赤にして小さくあうあう唸っている。
仲良く一人目の経歴に目を通し、二人目の履歴書が出てきて、社長とその秘書は体を強張らせた。
「諌山君!」
「……なんだよ」
なんでもないように答えたつもりだったが、うまくできたかどうか。
仲島が声をあげた理由を想は理解していた。
「いや、これ。君! これ!」
しかし、心の動揺を表にだしたくなかった。
そんなことをしたら、崩れ落ちてしまいそうなほどの、衝撃。
「だからなんだよ?」
「とぼけちゃって。写真、見てよ、ほら。ウィリアムズ君にそっくりじゃないか」
履歴書に貼られた小さな写真の中には、金髪に碧い瞳の美しい女性がいた。
名前はローザ・ゴールディン。二十四歳。どうみても外国人だが、母が日本人のハーフであると書かれている。
「彼女もハーフだったよね? いや、……それにしても、そっくりじゃないか」
――ホント。
あまりにも似過ぎていた。
忘れていたはずの傷が急に疼きだして、心の軋む音が聞こえたような気がしている。
――っていうかさ……。
こみあげる懐かしさ、愛おしさ、そして哀しさ。
加えて、それを上回る、言いようのない不安。
――こいつ、金の超幸運なんじゃねーの?
想の眉間に大きく皺が寄る。
――名前も、ゴールディンって。
急に口をぎゅっと閉ざした秘書の様子に、先ほどの仕返しとばかりに仲島が笑う。
「諌山君。……うっふっふ。わかったよ。この子を採用しようじゃないか!」
「は? なに言ってんのお前」
「僕はメガネだの胸の大きさだのに興味はないのだよ。むしろ友情」
「採用の基準は総合的な能力だろ? バカかお前は」
「なっ」
「社長、お時間です。そろそろお支度をお願いします」
出されるであろう苦情を秘書モードで遮り、悔しそうにプリプリとする仲島に必要な資料の類を渡す。
事務の人間に電話をして会議室の準備を頼むが、内心は当然、落ち着きとはかけ離れた状態だった。
超幸運と別れてからいつの間にかもう、十年以上が過ぎていた。
果林に打ち明け、契約を解除してからは八年。
――忘れたと思ってたけどなあ。
たった四センチ程度の小さな顔写真でグラグラと揺れる自分の心に、ベッドの上でため息をつく。
深夜〇時。仕事を終えてくたくたの青年は、会社のすぐそばのマンションで一人きり。
――マジでそっくりだった。
まざまざと蘇るあの日の、あの感触。
輝く髪と、麗しい唇と、柔らかな白い肌。
人生で最高に幸せだった、あの瞬間。
――その後、どん底だったけど。
想は立ち上がると、冷蔵庫からビールを取り出した。
ふたを開けて、中身をちびりと口にしてまた、ため息。
――どんだけストライクなんだよなあ。
結局この十年間、幻を思い続けていたことになる。
そう考えて青年は目を閉じ、ふっと笑った。
愉快な笑いではなく、自嘲。他の誰にも恋せずに生きていた理由は、モテないからでも、忙しいからでもない。
――イヤなんだよな。
声をかけてくる女性はそれなりにいた。
権田が何故か世話を焼いて女性を紹介してきたこともあった。
中には結構な美女もいた。誰も彼も、申し分のない相手ばかりだったはずだ。
しかし。
彼女がいい。
彼女じゃなければイヤだ。
自分のこんな本音に気付きながら、見ないようにして生きてきた。
――なあ、超幸運、あれは誰なんだ?
静かな一人暮らしの部屋の中には時計の音だけが響いている。
――まさか、金の超幸運がまた掘り出し物見つけたってわけじゃないんだよな?
ビールを置いて、熱くなった顔を腕で覆う。
『あれは金の超幸運ではない』
突然頭に響いた冷たい声に、勢いよく想は立ち上がった。いや、もう既に立ち上がっていた。
腕で覆ったから訪れた暗闇。
そう思っていたのに。
――なにこれ!
ひたすら黒が続く世界。
懐かしく愛おしい、一色に塗りつぶされたその場所に、嬉しさと驚きが入り混じって溶けていく。
「久しぶりだな、諌山想。呼んでくれて嬉しいぞ」
「嘘だろ、お前」
想の頭をごちゃごちゃにした理由はいろいろとあった。
目の前にいるのは、黒の超幸運で間違いない。
契約は解除されていなかったのか?
「その通りだ。むしろ私が諌山想に問いたい。いつ、契約が解除されたと思っていた?」
不敵に微笑むその姿は、人事部の志田君だった。
「どうなってるんだ? お前……、随分血色がいいじゃないか」
健康診断も一緒に受けたし、社員食堂で食事をしている姿だって何度も見かけている。
「超幸運は時代にあわせて進化する。死んだ人間の体を利用していることに変化はないが、六年前の会議以来、生きているように擬態することが決定し、それを実践している」
「いや、それは……、なんで早くからそうしなかったのか、むしろ不思議だったけど」
そんな疑問を話し合う状況ではないな、と想は頭をぶんぶんと振った。
「契約解除してなかったのか?」
「その通りだ。諌山想は森永果林、これは当時の名前で現在は桃谷果林に対して、四谷司ないし圭が人間ではなく超常的な力を行使したと話をしていたが、これは契約解除をする話し方にあたらなかった」
志田君はにっこりと笑い、満足そうな声でこう続ける。
「あの時の会話には、『超幸運』という単語が含まれていない。諌山想は抽象的な表現をし、曖昧な話し方をしたので、これは解除される事項に当たらないと私は判断した」
「それってお前の判断?」
「その通りだ」
あまりにも相変わらずな物言いに、今度はやたらとおかしくなってきて想は笑った。
「お前、呼ぶまで俺の前には現れるなって言ったのに。ずっとそばで働いてやがったんだな?」
「ルールの改正があり、超幸運の特徴をよく知っている諌山想にとっても気付かれにくい状況であると判断した。実際一年八ヶ月の間、諌山想は気がつかなかった」
「ん? そうだ。肉体の変更はしなくて良くなったのか?」
「契約者がいる場合は三年毎で良くなった。いない場合には以前と変わらず一年毎の交換が義務付けられている」
「っていうかお前、結局美形が好きなんだな。確かにどこか……」
――そうだ。四谷っぽい雰囲気だなって思っていた。
人事部の志田青年について、そんな風に感じ、ついでに好感まで抱いていた自分に思わず笑う。
「もしかして早く気がついてとか思ってた?」
「勿論だ」
「ははっ」
正直すぎる返事に久々に盛大に笑って、想の目にはとうとう、涙が浮かんだ。