ミスター・スーパーラッキー 1
もしかしたらあれは一時の気の迷いから出たセリフではないかと疑っていた、親友の「一生ついてきてくれないか」発言は本物で、同級生達が就職活動にいそしむ中、諌山想は一人、社長の秘書となるための勉強を始めていた。いや、始めさせられていた。
相変わらずリッチな食事がついてはいるが、みっちりと、学校以上の授業を受ける。
何十も何百も会社訪問をしなくて済んだのは良かったが、権田をはじめとする仲島家の教育指導は卒業が近づくにつれて厳しさを増していき、ちょっぴりお気楽気分で「内定速攻ゲットでラッキー」と思っていた青年を思いっきりしごいた。
それになんとか耐えて、卒業。
四月から、諌山家の長男は無事、社会人に。
そんな新生活の直前に一つ、ビッグイベントがあった。
どんな裏技を使ったのか、はたまたこの世に起きた最後の奇跡か。
諌山家の兄弟が散々お世話になったかりん先生は高卒認定試験に合格し、更に努力を重ねてとうとう本当の「かりん先生」へとレベルアップしたのだ。
しかも今日、森永から、桃谷へと姓を変える。
森の中ではない、可愛いとは言い難い激安ウエディングが挙げられるチャペルで、強面のヨウスケ君は相変わらずの細眉。
上下とも白いのはいつも通りだが、スウェットではなくタキシードを着て緊張している。
新郎新婦の家族は一人もいない。列席者は諌山 想、遼、彰の三人だけだ。
――なんで俺たちだけなんだよ……。
そんな来賓の思いとは関係なく、式は進む。
真っ白いドレスに身を包んだ果林が現れ、胡散臭い日本語の外国人神父が誓いの言葉を言わせていくさまを、三人は黙って見守った。
散々チュッチュして無事に結婚式が終わり、めでたく夫婦になった二人が絶妙な表情で固まる兄弟に礼をしに現れる。
「ありがとう、そーちゃんさん。俺たち、幸せになります!」
「ああ」
「ありがとー、そーちゃん、りょーちゃん、しょーちゃん。かりんはいつでも保育園にいるから、会いに来てねえ」
――それは難しいな。
弟達は来年から小学校へ通う。
さすがにこれ以上弟妹は増えないだろう。保育園なんて場所に用があるのは今年限りだし、働き始めればお迎えに駆り出されることもなくなるはずだ。
「そーちゃんも早くステキなお嫁さん見つけて、それでかりんに預けたらいいと思うよ」
「はは」
――お断りだぜ!
いつまで続くのかと思っていた果林の保育園勤務は、これからも継続されていくらしい。
それは評価に値すると思うが、その仕事ぶりはたまに見かけた限りでは少し、いや、だいぶ不安を感じるものだった。
日常のお世話はいいとして、子供たちに間違った知識を随分教え込んでいる。
――しばらく、そーちゃんって呼ばれちゃったもんな。
弟達が妙に甘えた感じで兄を「ちゃん」付けで呼ぶ日々は一年も続いた。
渋い顔でそんな思い出に浸る青年に、新婦はこう語りかける。
「ねえ、そーちゃん」
「ん?」
「やっぱり、かりんと結婚したかったのかなあ? 本当にごめんね。ヨウスケ君と出会っちゃったから、こればっかりは仕方ないと思うの。ウンメーだから」
「そんな事は微塵も考えてないから安心して幸せになってくれ」
「みじん……?」
意味はわからないらしく、果林の顔は斜めに傾いたままだ。
しかし、「幸せになってくれ」の部分に安心したのか、最終的にはぱあっと輝くような笑顔を浮かべてみせた。
「そーちゃん、あのね」
「なんだ?」
「かりんは幸せだよ。四谷君が不思議な力で、幸せにしてくれたから。だからね、そーちゃんにもいっぱいいっぱい、これからハッピーなことがあるよ」
――なにそれ?
困ったような顔で笑う想に、果林がずいっと顔を近づける。
「ええとね、かりんはわかってるの。そーちゃんはまた出会えるんだよ。すっごく大切な人に。それで、あの時のアシュレーとそーちゃんみたいになるから」
「はい?」
言葉の意味が、まったく理解できない。
世界で唯一その意図を知っているであろう果林も、何故か首を傾げている。
「あれれ? ちょっと違うなあ。アシュレーじゃないの。あの時のアシュレーじゃないんだけど、でも、同じくらい大事な人が必ず来るからねえ」
「わかったよ」
「あれ、今、適当に返事してるでしょ。本当だからね。そーちゃんはもっともっとハッピーになるんだよ。それで、可愛い赤ちゃんが生まれたら、かりんが先生してあげるからね」
激安ウエディングは時間の制限が厳しい。早速、次のカップルの為の準備がチャペルの内部で始まったようだ。
「そうじゃないと、もうそーちゃんとは会えないでしょ? とにかく、かりん先生に会いに来て欲しいなあ」
「バカ、そんなこと言うなよ結婚式の日に。もうダンナがいるんだから」
「ヨウスケ君は大事な旦那様だけど、そーちゃんも大事なの。お友達とは違う、特別な人だから」
――親愛ね。
果林からの親愛は感じる。
しかし、自分からはどうか?
確かに、彼女には幸せになってほしいと思っていた。
でも今は、はいはいハッピーで良かったね、くらいのものだ。
これから先、もしかしたら一緒に呑む日くらいはあってもいいが、そんな機会に恵まれなくても問題なく生きていけるだろうなと思う程度の気持ちしかない。
もちろん、めでたいこの日に容赦なく真実を伝える必要はなくて、想は結局こう答えた。
「サンキュー」
「そーちゃん、きっとだよ。絶対絶対、ハッピーになるからね」
力いっぱい拳を握り締めた果林を、はいはいとあしらう。
式の後に写真の撮影があるからと、新郎新婦は去っていってしまった。
ご祝儀はもう渡してあるし、この後に宴の席があるわけでもない。
なので諌山家の三兄弟は丁寧に二人へ祝いの言葉をかけて、窮屈な礼服から早く解放されたいと家へと帰った。
四月はすぐにやってきて、新しい生活が始まった。
真新しいスーツでパリっと決めた兄を、弟達が羨望のまなざしで見つめている。
「兄ちゃんカッコイイ」
「想が社長秘書なんてなあ」
「本当よね」
両親が信じられないのも無理はない。本人ですら半信半疑なのだから。
緊張の中、初めての出勤を果たす。
会社自体には何度も通ってきたのだが、立場が変われば気持ちも変わる。
親友のお坊ちゃまは今日から仕えるべき上司になり、沢山の責任を負う日々が始まるのだ。
仲島廉が若干二十二歳で社長に就任したのは、仲島グループの中では小規模、とはいっても従業員が二〇〇人もいる金属加工を専門にしている会社だった。
大企業というわけではないので、秘書課なんてものはない。それが気楽かと思いきや、完全に社長個人についてまわる「秘書」として動き回る生活は、想像以上に忙しい。
仕事を始めてから五ヶ月目、想は一人暮らしを始めた。
母も仕事を在宅勤務に切り替えていて、保育園への送迎の手伝いももう必要なくなった。
朝早くから夜遅くまで働く自分のために、会社の近くに小さなマンションを借りて一人で日々を過ごしていく。
それもすぐに軌道にのって、諌山想は充実した人生を送っていた。
もしかして、グループのトップの息子がねじこまれてきたなんて外野がうるさく騒ぐかもなどと考えていたが、そんな展開はなかったし、普段のぼんやりとした印象はどこへやら、ボンボンはキリリとした顔で社長業をこなしている。
大きな失敗もなく、こつこつと実績を積み上げる親友。その後ろをそっと守り続ける毎日。
時には狭い想の自宅で、社長と秘書からただの二人の若者に戻って酒を飲みながらくだらない話に花を咲かせたりもする。
愚痴をこぼされれば、大丈夫だと背中を叩いてやる。
お坊ちゃまとクラスメイト。
社長と秘書。
時間が経ち、立場は変わっても同じであり続ける。
親友からもらった信頼に、まっすぐ誠実に答えていく。
――俺にもこんな風に生きることが、できたんだな。
ベビーベッドの前で確かめられた友情と、照れくさい時間について思い出し、ふっと笑う。
マンションの狭いベランダから空を見上げると、星がかすかに光っていた。




