53 諌山想の「最後の願い」 2
とうとう母と弟達が退院して、諌山家は無事に「五人家族」になった。
朝からバタバタと、父と共に動く。掃除をし、迎えに行き、荷物を運び、帰る。
ベビーベッドがどーんと二つ並んだ部屋に、父と手分けして弟たちを案内していく。
「見分けつく?」
自分が抱いているのがどうやら「遼」の方らしい。よく似たまだくしゃっとした顔の双子の区別はまだつかないが、それは父も同じだったようだ。
「いや、母さんはわかるって言ってるけど」
ポンポンに膨れ上がっていた重たいおなかがなくなった母は、術後だというのにやたらと動きが軽やかだった。大事をとらせなくてはならないと父と息子が奮闘しているのだが、自分でやってもらっていいんじゃないの? といいたくなるくらいの元気さだ。
――超幸運様々だね、おかーさん。
荷物を運び込み、洗濯物も片付ける。すると弟たちがふにゃふにゃと揃って泣き始めて、諌山家の戦争がスタートした。
「いやあ、可愛いねえ。こんなに小さいんだねえ」
退院の次の日リムジンで乗りつけ、出産祝いという名の「ヘルシー三段重」を持ってきた仲島はニコニコとベビーベッドをのぞいている。
「結構デカい方らしいぜ。双子にしては」
「そうなんだ。こんなに小さいのに」
母は偉大だね! なんてボンボンはのんきに微笑んで、抱っこするのは恐ろしいらしく、ただベッドをのぞきこんで見つめるだけに留めている。
「そういえば仲島、今年のバカンスは?」
「もう行ってきたよ。一週間で切り上げたんだ。きっと諌山君が忙しいから、手伝ってあげられたらなって思って」
――まー、あつくるしい友情ですことー。
八月になったばかりの月曜日。
父はさすがに双子の面倒を息子一人に任せるのは難しいと考えて、二週間の休暇を取っていた。それを夏休みとあわせて、なんとか最初の一ヶ月を乗り切ろうという計画だ。
「仲島君、これすごく美味しいわあ」
リビングからは仲島家謹製弁当に舌鼓を打つ両親から、こんな歓声が上がった。双子が眠っているうちがゆっくりできる数少ないチャンスで、初めてやってきた息子の親友からの差し入れに大喜びしているらしい。
「喜んでいただけてなによりです」
わざわざリビングまでこう笑顔で告げに行き、再び仲島が双子の部屋へと戻ってくる。
「ねえ諌山君」
「ん?」
「諌山君は、将来なりたい職業とか夢とか、そういうものはもうあるのかなあ」
薄暗い部屋で、ベビーベッドに手をかけた男子高校生が二人。
真剣な話をするにはややシュールなシチュエーションの中、親友の答えをもう知っていたのかもしれないボンボンは、返事を待たずにこう続けた。
「もし、ないんだったら」
「……なんだよ」
「一生、僕についてきてくれないかな?」
――気持ち悪うっ!
思いっきり顔をしかめる想に、仲島は慌てている。
「えっ、えっ、僕、なにか変なことを言ったかな?」
「言った」
「えっ、えっ? あー、確かにね! 変だったね!」
顔を真っ赤にしてわたわたとする親友に、少年はおかしくなってつい噴き出してしまう。
それに安心したのか、おほんと咳払いをして、仲島は改めて話し始めた。
「諌山君と僕は、本当に、心からの親友になったでしょう?」
「そうだっけ」
「もう、今日はそういうのはなしだよ。真面目な話なんだから」
――えー? 一生ついて来いってマジで言ってんのか?
「僕の家はあの通り、大きいでしょう?」
「そうだな」
「今までにもずっと、ごく普通の学校に通ってきたんだ。普通の友達を作りなさいってお父様に言われてね」
お父様という単語に、想は再び噴き出しそうになってしまう。
「なんだい諌山君?」
「いや、ごめん。続けて」
「うん。それでね、今までも友達は沢山できたんだよ。学校で色んな話をして、仲良くなってさ。それで家に招くんだけど、そうするとみんな、態度が変わってしまうんだ」
狭い、六畳もない部屋の中で男ばかりが四人。暑苦しい状況だ。
仲島は過去を語りながら、親友の弟の小さな足をつつくと話を続けていく。
「なんというか、対等の友人という雰囲気ではなくなってしまってね」
「……へえ」
そうだろうなあと少年は思う。親友と一緒になって、もう一方の弟の足の指の小ささに感心しながら、静かに、続きに耳を傾ける。
「ずっと仲良くし続けたいと思う友達ができたら、家に連れてきなさいとお父様に言われていてね。だから友人が出来たら招いてきたんだけど、そのたびに少しずつ、失望してきた。友達そのものはかわりはなくても、そのお母様が色々と気を回してきたりとか、そういうこともあってね」
「それで? なんで俺にプロポーズみたいな台詞言ってんの?」
親友の話が長いのは重々承知している。なので少年は正直にこう質問してみたわけだが、予想外の単語が出てきたせいなのか、仲島はかなり慌てたようだ。
「プロポーズ? そんな、そんな意図はないんだよ、諌山君! 僕は健全な嗜好の持ち主だし、ごくノーマルだからね!」
「わかってるよ」
はは、と声を出して笑う想に、ボンボンが恥ずかしそうに顔を赤く染めた。
「変な言葉を使ってしまっていたようだね、僕は」
「それより早くその先を言えよ。なんで一生ついて来いになんの?」
「諌山君、君だけなんだ。ずっと態度を変えずに僕に接してくれるのは」
思いがけない言葉に、想の軽口は封印されてしまったのか、相槌すら出てこない。
「君はきっと誘惑に負けない人だ。僕を一生裏切らない、そう思える存在なんだ。僕は父の仕事を継ぐことになるから、その時に、安心して背中を任せられる人になってほしい……っていう話なんだけども」
――ベビーの部屋で言うかね、そんな大事なことを。
そう考えたのは、心のうちに沸いてきた少しばかりの照れを隠すためだった。
大真面目な顔で自分を見つめてくるお坊ちゃまに、首をかしげながら想は答えていく。
「それって? ずっと友達でいてほしいとか、そういう話?」
「もうちょっと具体的に、僕の秘書っていうか、傍でずっと働いて欲しいんだ」
「ひしょ!?」
――内定一つ、ゲットだぜ!
思わず浮かんできた冗談にふっと笑う。
いつもなら少年が笑顔を浮かべると、安心したように微笑むのが仲島の標準的な反応だったが、今日は真剣な表情が崩れない。
「そのために、これから僕と色々、学んでいって欲しいと思って」
「色々って?」
「経営とか、語学とかね」
「マジで言ってんの、お前」
「もちろん」
――どいつもこいつもさあ。
「買いかぶりだよ。なんでそんなに俺なんかを信じちゃってんの?」
「信じちゃいけないのかい?」
信じちゃいけなくはない。もちろん、誰がどんな人物を信頼したって、すべては自由だ。
けれど人から「心からの信頼」なんてものを得ることは難しいと、想は知っている。
たとえば家族であっても、無条件で信じるのは不可能。
関係が良好でなければ、血の繋がりなんて、それだけで信頼に値するなんてちゃんちゃらおかしいファンタジーに成り果ててしまう。
無償の愛が世界に存在するとしても、それはきっと特別にはぐくまれるもので、親子や家族でいるだけで得られるような簡単なものではない。
それは昨年の秋に知ってしまった、あまりにも残酷なこの世の真実だった。
自分への信頼を口にする親友に、想は果林の姿を重ねた。
彼女もまた、まっすぐに少年を信じている。
そんな人物が二人もいるなんて、すんなりと受け止められず、心の奥底で疼く気持ちに想はそっと目を伏せる。
「家庭教師の先生もね、諌山君は本気を出してやってないだけだって言っていたよ。なにを教えてもちっともわかってくれない人もいるけど、君はそういうタイプじゃないって。もっともっと上を目指していけるはずだって。権田も言ってた。諌山君は不思議な人だって。ドーンと大きく構えてて、動じないところがすごいって。僕もそう思うよ。大きな心で、すごく愚かだった僕を許してくれたでしょう?」
「はあ?」
「僕は、結局いい友人なんてものはできないって諦めてたんだ。そんな人にはもう出会えないだろうって思っていたんだよね」
――あー、あの頃の話か。
口の悪い、学校一のウザキング時代。それはもう遠く彼方へ過ぎ去った古い話のような、そうでもないような二人のビターメモリー。
「でもいたんだ、君が。そういう誰かはきっと一人で充分だと思うから。だから今日話したんだ。将来の話なんて早いと思うかもしれないけど、それだけ僕が本気だってわかってほしい」
「……それはホントに俺に気があるとか、そういう気持ちの悪い話じゃねえんだよな?」
「勿論だよ! 僕はごく普通に、女性を愛するノーマルなタイプなんだからね!」
慌てて叫んだボンボンの声に驚いたのか、双子がいっせいに泣き始めてしまう。
「あう。ごめん、大声を出してしまって……」
「はは」
ドタドタと父がやってきて、器用に二人を抱き上げて連れて行く。
静かになったベビーの部屋で、男子高校生たちは照れくさい気分で向かい合っている。
「そういやお前、柿本とは?」
「……夏休み前に告白したんだけど、フラれちゃったんだ。僕の顔は好みじゃないんだって」
しょんぼりする親友に、少年はケケっと笑う。
「もったいねえことするなあ、あのメガネ女」
「そういう言い方はやめてくれたまえよ。かりにも、親友が好きでいた女の子を……。そりゃあ、ウィリアムズさんに比べれば確かに少し、美的な観点からいえばランクが落ちるというか、少々可愛いとは言いがたいものがあるのはわかっているのだけれど」
「まわりくどいな」
――全っ然、天と地、いや、太陽と鼻クソくらいの差があるだろうが。
こんな真っ正面からの否定は、親友の為に心にしまっておく。
「諌山君こそ、ウィリアムズさんとはどうなってるんだい? 付き合ってないとは言わせないよ!」
「声がデカいっ」
リビングでは、ミルクを用意しようと父がバタバタ奮闘中のようだ。
できたら聞こえてほしくない話題だった。
ケリのつかない気持ちも、どうしようもない状況も、誰にも話せない、虚しい恋の話。
仲島はやたらと力の入った顔で想をみつめている。
親友のそんな顔を見ているうちに何故か、胸の中の大きな岩が動いたような気がして、ふっと笑うと少年はこう答えた。
「俺もフラれたんだ」
「えっ?」
「ちょうどいいから、お前とお勉強してやるよ。ただし、育児が落ち着いてからな」
ボンボンは申し訳なさそうな、嬉しさも混じった複雑な表情を浮かべて、頷く。
「これからもよろしく、諌山君!」
「ああ」
握手をしようと差し出された手をスパーンと叩いて、想はあうあうする親友の間抜けな顔を指をさすと、大きな声でしばらくケラケラと笑った。