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SUPER LUCKY # 4  作者: 澤群キョウ
 ■ 人生のアップグレード
47/60

47 長い長い、アンニュイな日

 反応のない一〇三号室から去り、少年は家へと帰った。

 自宅に母の姿はない。最近ハマっているらしい、マタニティヨガのクラスにでも行っているのだろう。

 

 しんと静まり返る自室のベッドに身を投げ出す。

 壁にかけられた時計を見ると、学校が終わって直行したアシュレイの部屋でのあれこれから一時間も経っていなかった。


  ――あー……


 頭が疲れきっていた。

 時間は経っていないらしいが、実際に流れたよりもずっと長い時を過ごしていたから。


 浮かれ、ときめき、高揚し、焦り、怒り、哀しみ、苛立ち、最後にはとんだ羞恥プレイを強いられた長い長い、今日の放課後。


  ――なんなんだよ、ホント。


 目を閉じ、大きくため息をつく。

 何度も、何度でもため息は出てきて、尽きる気配がない。

 たくさんたくさん考えなければいけないのに、そのすべてを差し置いて、浮かんでくるのは可愛いあの子の眩い笑顔。

 青い煌めきと、柔らかい唇、細い腰、すべすべの白い肌。


  ――全部、なしか……。


 ようやく出会った、自分には一生訪れないと思っていたアレ。

 恋。

 口に出すのが憚られる恥ずかしい響きのその単語。

 

 それがカケラも残らずに失われて開いた、胸の中の大きな穴。

 そこにびゅうびゅうと吹き込み続ける風の冷たさに、思わず唸る。


  ――いっぺんくらいヤッときゃよかったのかな……。


 頭の片隅に浮かんでくるそんな下世話な思いを振り払って、しょぼくれているうちに想はいつの間にか、眠りについていた。



「想?」

 少し大きめのノックの音に、はっと目覚める。

「帰ってるの?」

 目の前にいるはずのアシュレイがいないことに戸惑い、それが、夢だったと次の瞬間気がついて、少年は顔をひどく熱くしながらドアの向こうの母に慌てて返事をした。

「帰ってるよ!」

「寝てたの?」

 

  ――寝てたわ。


 特に返事が必要だったわけではなかったらしく、母の足音は去っていく。

 想は大きくまたため息をついて、ぼんやりとした頭を持ち上げた。



  ――そうだ。肉体の、変更……。臨時休業。

 

 三重契約という異常事態は解消されたのだろう。

 あの会議の雰囲気からいって。これから先、他の超幸運たちが「自分と契約してくれ~」とやって来る可能性はなくなった。

 

  ――で、なんで肉体の変更?


 その理由がわからない。

 今日は臨時休業、というのなら、黒の超幸運は明日には帰ってくる。

 その時に聞けば、問題ない。


  ――肉体の、変更か……。


 理由はわからないが、黒はもう四谷ではなくなるのかもしれない。

 そうなれば、もうあの秘密基地は失われるのだろうか? 

 そして、アシュレイはこの世からいなくなる。

 もう魂の持ち主のいない空の肉体。生きてはいても、超幸運が去ればその体はどうなるのだろう?


 ぎゅっと下唇を噛むと、何回も触れた柔らかな感触がそこに蘇ってきた。


  ――バカだな、俺。


 騙されていたとわかっていてもまだ、愛おしく感じるなんて。

 そう考えると、顔が爆発するかと思うほどの熱を帯びてきてたまらない。


  ――うああああああああああもう! バカバカバカバカ俺のバカ!


 みんなが夢中で追いかける、他人(ひと)様の恋愛ドラマ。

 現実だろうが架空のものだろうが、未練だとか、騙されてもまだ思い続けるとか、愚の骨頂だとバカにしていたのに。


 自分も、もう二度と会えない。


 恥ずかしさと哀しさとが入り乱れ、混乱を極める心をもてあまし、少年は思わず叫ぶ。


  ――四谷ー! なんとかしてくれー!!


 残念ながら臨時休業中の黒の超幸運は答えない。大体、こんなお願い、恥ずかしすぎる。

 体中をカッカとさせて散々ベッドの上で身悶えた後、なんとか気を取り直して想が立ち上がると、窓からオレンジ色の光が差し込んでいた。

 季節は初夏になって、少しずつ、日が長くなっている。


「どこに行くの?」

「ちょっとコンビニ」


 このまま部屋にいても悶々とするだけで、少年は家を出た。

 ここのところちっとも寄っていなかったレインボー24へ、ぷらぷら、だらだら歩いていく。


「いらっしゃいませー」

 店内に入ると、レジ横で売られるスナックの臭いが鼻をくすぐった。

 雑誌の並ぶ棚の横を歩き、ドリンクコーナーへ行くと、茶色い頭の店員がパンの補充をしている真っ最中だった。

「あ、そーちゃん!」

「……おう」

 果林はにっこり笑うと、想のもとへカレーパンを抱えたまま走り寄ってきた。

「なんか久しぶりな気がする。かりんに会いに来てくれたの?」

 さすがに業務中だからなのか、パンを放り出して抱きついてきたりはしないらしい。

「いや、別に」

「ぶうー! 嘘でもいいから、かりんに会いにきたんだよって言ったらいいのに」


  ――そんなこと言ったら調子に乗るだろうがよ。


 それに冷たい一瞥をくれて、少年は新商品のドリンクのチェックを始めた。

 半端な季節でも新商品はたくさんあって、けれどピンとくるものがない。

 そんな想のもとへ、果林はまたパンを抱いたままやってくる。

「そーちゃん、このレモンのやつ美味しかったよ」

「へえ」

「今ならお弁当といっしょで五十円引きでーす。えへへ」


  ――えへへじゃねえよ。


 力の抜ける笑顔に思わず顔をしかめると、果林の顔からさっと笑顔が消えた。

「あれ、そーちゃん。なんかあったの? 寂しそうだけど」

「ん?」

「あのねえ、かりん、今日のバイトは八時までだよ。終わったら、かりんのお部屋においでよ。よしよしってしてあげるから」

「いらねえし」


 ぷいと顔を背けた王子様の頭に、果林は手を伸ばしてきた。

 カレーパンを一つ落としながら頭を撫でてくるその手を、想は慌てて払う。


「なにすんだよっ」

「だってー、なんか、しょぼんってしてるんだもん。誰かにいじめられたの? 悪いやつがいるんだったら、かりんがやっつけてあげるから、言ってごらん?」


 色々と、文句はあった。口も開いたが、具体的な言葉は結局出ない。苛立たしさよりも脱力が勝利した結果だ。


「かりんの方が四歳もおねーさんだからねえ」


 お姉さんぶったこのセリフを、少年は完璧なスルーで対応した。


 結局、新商品ではないスタンダードな炭酸飲料を掴むと、想は無言でレジに向かった。

 後ろから視線を感じたものの、仕事中のコンビニ店員が駆け寄ってくることはなかった。




 いない、とわかっているのに。何故かはわからなかったが、少年はそこに来ていた。

 エスポワール東録戸の一〇三号室の前に座って、ペットボトルの蓋を開ける。


  ――わかってたのになあ……。


 後悔は先に立たない。

 後から悔いるから、「後悔」なのだ。


  ――当然過ぎて、すげえ染みる……。 


 あれが罠だという予感はいくらでもあった。

 それなのに。わざわざ自分から嵌りにいってしまった。

 あんなに可愛い子が自分に、意味もなく近寄ってくるわけがない。

 浮かれた自分に、心の底から苛立っていた。

 都合のいい想像をしていた自分に腹が立つ。

 あわよくば、ばかり考えていた愚かさにイライラして仕方がない。


 それなのに。


 それなのにまだ、彼女のことを考えている自分が情けない。


  ――超幸運がいるからって、考えてたんだな、俺。


 自分の幸福について。

 なにもしなくても、いくらでも、思う存分に、自分の都合のいい形でじゃんじゃんやってくると約束されていると、いつの間にか信じていた。いや、勘違いしていた。

 

  ――間抜けすぎ。


 四谷の青白い顔が想の脳裏に浮かぶ。

 彼に出会ってからの日々。確かに、少しずつ人生は変わっている。おそらく、いい方向へ。

 でも、ただただ「いいこと」尽くめだったわけではない。


  ――不幸を知る者のもとにこそ、真の幸福は訪れる、か。


 その言葉は、あの時哀しみの底にいた男子高校生への単なる慰めではなかったようだ。

 少年はそう考え、年季の入ったコンクリートばかりを見つめていた顔をあげた。


  ――あいつは正しい。


 夜が少しずつ訪れ、町は暗く蒼く染まり始めている。その仄暗さに、再び黒の超幸運の顔を思い出す。

 想は一口ボトルの中身を飲んで、小さく息を吐くと、ゆっくり立ち上がって家へと戻った。



 次の日の朝、いつもより早く家を出て少年はまず一〇三号室に向かった。

 扉にはカギがかかっている。ノックをしても応答はない。代わりに、一〇五号室からお隣さんが出てきてしまった。


「あ、そーちゃん。なんで昨日来なかったの?」

「……行くなんて言ってねえし」

「ごめん。言うの忘れてた。おはよ、そーちゃん!」

「おはよう」


 相変わらずの能天気な笑顔に、思わず苦笑してしまう。

 苦かろうが、王子様が笑ったことに果林は満足したらしく、メイク前の地味な顔を輝かせている。


「じゃあ、今日は来て。あのねえ、学校が終わってから、すぐ来てくれたらかりんはいるからね」

「悪いけどそんなヒマはない」


 それよりも、黒の超幸運だ。

 朝イチで送ったメールに、ここで待っていると書いておいた。

 一〇三号室の中にいないのなら、どこからかやって来るのか?


  ――こいつがいると出てこられないのかな。


 肉体の変更があったのなら、かなりのイメージチェンジをしている可能性がある。

 怪しげな老婆かもしれないし、ランドセルを背負った少年かもしれない。

 一介の男子高校生にいきなり話しかけるとおかしい設定ならば、果林がここにいる状況は都合が悪いのかもしれない。


  ――黒の超幸運、いるのか?


 そう少年が考えた途端、パンっと両肩を後ろから叩かれた。


「想、おはよー!」


 ビクッと体の中心部分が反応してしまう、その声。

 目の前の果林が、ガルルと唸りだす。


 少年がおそるおそる振り返るとそこには、金色の髪を朝日にきらめかせる美少女が立っていた。

 

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