43 天国と地獄 3
「私は超幸運。所定のキーワードを、決められた条件で言うことで得られる、地球からのギフトである」
真っ白い空間に響く、低いダンディな声。
ミスター・ウィリアムズはいかつい顔を厳しく保ったまま、少年に告げた。
「諌山想。この瞬間より、当選した君と私は契約を結び、条件を満たした願いをすべて叶えていく。代償や期限はない。諌山想が解除をしない限り、この契約は生涯にわたって続く」
わかっていた。想がわかっていると、おそらく「白」であろう目の前の超幸運もわかっているはずだ。初対面ではないのだから。
「ここまではいいだろうか」
「いや、いいもなにもねえんだけど」
「問題があるだろうか、諌山想」
お堅いヤツだ、と思っていた黒の超幸運。彼はもしかしたら、考えていたよりもずっとマイルドなタイプだったのかもしれない。
目の前の白の超幸運は醸し出すオーラも、言葉から感じる圧力もすべてが「強い」。
有無を言わせぬ押しの強さがあって、少年は色々言いたいのに、何故か口をつぐんでしまう。
「問題ないのなら説明を続けさせてもらう。まずは最初に、契約の解除方法について」
四谷が話していた、五つの超幸運の特徴。
白は「独自にルールを設けており願いの審査を最も厳しくしている」と、言っていたはずだ。
「契約が解除されるのは以下の場合。一つは契約者がその命を終えた時。一つは、他人に超幸運について話した時。これは、会話に限らず、手紙や電子文書、インターネット上での書き込みもそれに当たる。他人がそれらを目にした瞬間、契約は解除される。この場合、事前にも事後にも確認はなく、その場で即座に契約は終了する」
「知ってるぜ」
「次に、願いを叶える方法についてだ。願いを叶えたい場合は、契約者は超幸運に対して直接、どうしたいのか具体的に伝えなくてはならない。私を呼び出したい時には、心の中で呼びかけてくれればすぐに参上する」
――あ、出た。
黒の超幸運との差異の一つ目が示されて、想は少し表情を引き締めた。
「参上するって? 例えば学校に俺がいる時にお前を呼んだらどうなるんだよ」
「呼んでもらえれば、すぐにこの空間に移行する。ここは現実に存在する場所ではなく、契約者と超幸運に用意された特別な時間だ」
「ああ」
「ここで願いを聞く。その願いは叶えられるかどうかその場で審査され、可能ならば即座に叶えられる」
ミスター・ウィリアムズの彫りの深い顔は青白く、表情はない。
それをじっと見つめているうちに、想の胸の中に大きな疑問が生まれた。
――アシュレイの正体は?
父親が「白の超幸運」、生きていない人間だなんて、どう考えても不自然だ。
超幸運が使う肉体は「誰からの捜索も受けていない」ものなのではないか。
今現在家庭を運営している大黒柱がちょうど二月十七日辺りに死んだとして、それを使って許されるのか。
来年の二月が来れば、その体は放棄されるのに……。
「お前、どうして俺の前に現れた? 超幸運は世界中の人間に平等にチャンスをやるために散らばってるはずだろう?」
「諌山想、今は契約を開始する際の説明をしている最中だ。質疑応答はそれがすべて終わってからになる」
「お前は知ってるんだろう? 俺はもう契約者になってる。細かいルールだって知ってる。そんな説明なんかいらねえんだよ」
「黒の超幸運と私は違う。最後まで聞いてもらおうか。時間はたっぷりとある。焦る必要はない」
――そうだ。どうして、俺の前に現れた?
「おい、今回の契約のキーワードはなんだったんだよ」
「……『しようと思っていた』だ。これは日本語の場合であり、少し小さな声で言うという条件がついている」
――やっぱりおかしいぜ。
「ここに黒の超幸運を呼ぶのは? できるか?」
「この空間に、契約者と私以外の者は存在できない」
二月十七日の大集合の時には、確か真っ青な空間に集ったはずだ。
契約の時には、それぞれに与えられた色で塗りつぶされた場所へ招かれるのかもしれない。
「俺はお前と契約する気はない」
「契約の解除は自由だ。決められた解除方法を実行してもらえば問題ない」
「ここから出してくれ」
「まだ説明は終わっていない」
――うっぜええええ!
やはり黒の超幸運は、いいやつだったらしい。少年が文句を言えばあっさりと引いたし、少しくらいはユーモアをもって和ませてくれた。
こんな風に圧力をかけてくる白にはただ、イライラが募る。
「私は契約者の願いを叶えるが、それはすべて、地球上の常識を覆すものであってはならない。他人の心理の操作をすることがあってはならない。金銭を求める場合の一度の上限額は、日本での場合一千万円になる」
「やすっ」
「後で日本のサラリーマンの平均給与がいくらか調べてみると良い」
――なんなんだよもう!
「もういい。説明の補足は必要な時に聞くから終わってくれ」
「他にも黒の超幸運とは差があるが、聞く必要はないのだろうか?」
「ねえよ。お前に頼むことなんかない。一つで充分間に合ってるんだからな!」
「いいだろう。人類初の同時契約を果たした記念すべき青年の意見を尊重させて頂く」
――ヤな感じだ。
頭の後ろの方にぞわぞわと走る嫌な感覚。
アシュレイは? 普通の人間なのだろうか。彼女は暖かかった。美しくて、生き生きとしていた。四谷や目の前に立つミスター・ウィリアムズから受ける「生きていない」印象はない。むしろ正反対だ。
だとしたら。
だとしたら、なんなのだろう。
この「白の超幸運」は厳格なルールを持っているらしい。黒の超幸運がそう明言しているし、先程のルールといい今現在受けているプレッシャーといい、厳しいキャラクターであるように感じられる。
だとしたら、余計におかしい。
アシュレイが普通の人間なのだとしたら、白の超幸運が彼女とその母を騙すか、なんらかの操作をしてウィリアムズ家に紛れ込んでいる可能性がある。
肉体の選択のルールは破られているわけであり、矛盾している。
「アシュレイは何者なんだ?」
「アシュレイ・ウィリアムズは十六歳の高校生だ。県立録戸高校に四月から編入した。生まれはアメリカ合衆国で英語と日本語が堪能。性別は女性であり、誕生日は十月五日、血液型はO型、スリーサイズは上から」
「そういうことを聞いてんじゃねえよ」
ギラリと、白の超幸運の瞳が輝く。
体はじっと微動だにしないが、無言のうちに圧力がかかって、想は自由を奪われたような気分になっている。
「説明は最後まで聞くべきだと思うが」
「うるせえなっ!」
――なにを聞きたいのかわかってるくせに。
では、アシュレイは普通の人間ではないのだろうか。
それはひどく、辛い想像だった。
先程までいた幸せの絶頂が偽りで、初めて味わった恋は、幻。
――くそっ!
彼女が人間ではないとしたら、その正体は。
「あいつはなんだ。金か?」
「なんの話だろうか」
「アシュレイだよ。あいつは、金の超幸運だ。そうだろう?」
「我々は他の超幸運がどこにいて、どのような姿をしているか、言及してはならない」
――じゃあやっぱり……
騙されていたと考えていいのだろうか。
想は自分の中に大きな穴が開いているように思えて、ひどく苦しい気分になっている。
――全部、嘘だったのか。
あの瞳も、唇も、さきほど感じた温もりも。
彼女のすべてがこの世には存在しない、幻。いや、きっと三ヶ月程前に失われた美しい誰かの残影だ。
哀しくてたまらなくなって、少年はがっくりとうなだれてしまう。
自分が誰かに入れあげていたという気恥ずかしさよりも、喪失感の方がずっと大きい。
「なので私は、諌山想の質問に対して、肯定も、否定もできない」
落ち込む少年の後頭部に、白の超幸運の言葉がポイとぶつけられる。
「どういう意味だよ」
「アシュレイ・ウィリアムズが金の超幸運であるか否か、どちらにしても私には答えられない」
――普通の人間かもしれないって言いたいのか?
想から向けられた恨めしい視線をものともせず、白は胸を張った堂々たる姿で立っている。
――でもどう考えたって怪しいじゃねえかよ。
「お前はどうして日本に来たんだ。最初から配置されてたんじゃないんだろ?」
「我々は人間の生活に混じって暮らしている。その中で、不可抗力により場所を移す場合もある」
「アシュレイは? 生きてる?」
「アシュレイ・ウィリアムズが生きている人間かと言われれば、現時点ではそうだ」
――どういうことだ。
「お前は、ごく普通の人間の家族に混じっていたのか?」
「われわれはあらゆる状況に対応できる。毎年二月十七日に新しい肉体を得て、配置された場所にふさわしい姿になって紛れ込み、契約者を探している」
それは、答えになっているのかいないのか。
「もういい。ここから出してくれ」
とにかく、この真っ白い空間がイヤでイヤでたまらない。
息苦しいばかりの胸を押さえて、想は願った。
「了承した」
気がつくとそこは、元通りのアシュレイの部屋だった。
膝の上には可愛らしい子猫が乗っているという、たまらないシチュエーションのまま。
「わかった。では、お願いしよう」
そんな寛大なお父さん、いる? と聞きたくなるような言葉を残し、ミスター・ウィリアムズが立ち去っていく。
扉が閉まると、アシュレイはにっこりと微笑みながら肩をすくめてみせた。
「想、ゴメン、びっくりしたネ」
――本当だぜ。
そう答えたかったのに、声は出せなかった。表情を曇らせる想になにを思ったのか、アシュレイも困ったような表情を浮かべている。
と、思ったら、再び顔が近づいてきて、唇が重なった。
しばし、その柔らかさに身を委ねる。そこに、暖かさを感じる。
――もう全然、わかんねえ。
「ビックリさせた、おわび」
顔が離れて出てきたのは、そんな茶目っ気のある言葉だった。
それはやっぱりどうしようもなく愛おしさを感じるもので、少年はちょっとやけになった気分で再び、細い腰の辺りをぐっと抱き寄せて、人生で五回目のキスをした。