04 超幸運との契約後の日常生活について
いつもと違い、少しだけ愉快な気分で想は家への道のりを歩いた。
しかし、いつもと違うのは気分だけではない。さすがに家の前で立ち止まり、振り返る。
「お前、なんでついてくるの?」
「われわれは契約者の願いをいつでも聞き入れるために基本的に近くにいて備えなくてはならない」
「どういう意味? 俺ん家にでも住むつもり?」
「それを決めるための話し合いが必要だ。契約した場合、どこで備えるかは諌山想、契約者であるお前に決める権利がある」
想は眉間に皺を寄せて嫌そうな顔を作ったが、四谷はシリアスな表情のまま微動だにしない。
「そういうの最初に言うべきじゃないの?」
「ルール説明のときに話すはずだったが、諌山想があの空間から出るのを望んだので後回しになった」
「俺のせいってか」
――こいつがただの危ないヤツだったらどうする?
たとえばこの続きをどこでしようかと、家に招いたら?
そんなことを考えて、想はしばらく赤くなってきた空を眺めた。
――まあいいか。取られて困る物もないし、別に殺されたってなんの未練もない。
考えてみればそれに尽きた。なにかに情熱を持っているわけでもなく、人生に執着もない。例えば部屋に入れるなり自分が命を奪われたとして、次に両親へも危害を加えるとかそういう展開があったとしても気にはならない。なにせ、自分が死んだ後の話なのだから、生きている間よりもずっと「どうでもいい」はずだ。少年はそう考えるとふっと笑った。
「わかった。来いよ。話し合いとやらをしようぜ」
マンションのエントランスに入り、オートロックのドアを開ける。
こうして想は、何年かぶりに誰かと家に入った。
「なんか飲む?」
「結構だ」
その答えに遠慮なく自分の分だけ飲み物を用意して、想はベッドに腰を下ろした。
四谷はその隣でまっすぐ立っている。
「座れば?」
「了承した」
床の上にぴったりと正座をし、四谷は口を開いた。
「われわれは契約者の願いをできるだけ素早く叶えなくてはならない。いつでも声が届く場所にいればそれが可能だ」
「だからってみんな知らないヤツを家に置かないだろ? 今までにそんなバカがいたのかよ」
「いた。だが、すべての者がそうではない」
「いたのかよ。家族がいたら驚かれるだろうしどう考えても不審者だろ?」
冷蔵庫から取り出したペットボトルのふたを開け、想は喉を潤していく。そして、ちょっと考える。
「お前は人間じゃないんだよな? どこか普段は異次元に潜んでるとか、そういう裏技みたいなのはないわけ?」
「確かに私自体は人間ではないが、この肉体はごく普通の人間のものだ。この体は地球の物理的法則に従わなくてはならないので、私が他の空間に移動するとこの体のみが残り、諌山想に不利益な状況になるだろう」
「はあ?」
――なに言ってんだ?
「どういう意味かよくわからない」
「この体は人間のものを借りている。契約者を見つけるため、人間にまぎれて生活をするためだ」
「じゃあ借りられている、お前、本当の四谷君は今どこにいんの?」
「四谷司は私が設定した単なる仮の名称だ。この肉体の持ち主は死んでこの世にはいない」
「……ああ、そう」
――じゃあ死体が動いてんのかな……。
改めて想はじっと四谷(仮)を見つめた。確かに顔色は青く、黙っている間は微動だにしない。
「ちなみにどこで見つけたの?」
「それは契約者には教えられない。われわれは、契約者を危険に巻き込むおそれのある行動をしてはならない」
「あのさ、なんかいっつも『われわれ』っていうけど。中に何人いるの?」
「一つだけだ。『われわれ』という言葉が使われるのは『超幸運』についての説明がなされる場合で、その理由は地球上には五つの『超幸運』が存在するからだ」
「へえ」
――設定がしっかりしてんだな。
そんなことを考えて、想は感心しながら四谷を見つめた。相変わらずの無表情で、やはりまったく動かない。改めて胸のあたりをしばらく眺めてみたが、制服に包まれた体の呼吸の有無ははっきりとはわからなかった。
「じゃあ、他にもどこかに超幸運とやらの契約者がいるの?」
「今現在契約している者は、諌山想の他にはいない」
「五ついるって言ったじゃんか」
「当選の条件を満たすものが現れないからだ。その間、われわれは人間にそのチャンスを与えるために地球の各地にそっと紛れ込んでいる」
「四谷はなんでうちの高校にいたの?」
「われわれは当選者が現れない場合一年毎に居場所を変える。前回の場所で当選する者がいなかったので、今回はこの地域の学生およびその周辺の者へ機会を与えるために録戸高校一年A組の生徒になっている」
「一年ごと?」
「仮の体をいつまでも使うことはできない。一般的な人間の目には不自然にうつるし、不慮の事故に備えて体を一年で入れ替えるようになっている」
「じゃあ、いつか四谷じゃなくなるのか」
「その通りだ。毎年二月十七日をもって体は交換される。その日は契約者には申し訳ないが、願いをかなえることはできなくなる」
――なるほど。超幸運とやらにも定休日があるんだな。
この設定はなんとなくおかしくて、想はふんと笑った。
「仮の体ってどうやって見つけるんだよ。死体なんかそこらへんにゴロゴロしてないだろ? この日本でさ」
「そこらへんにゴロゴロしてはいないし、そこらへんにゴロゴロしているものは使わない。われわれが使う体は、一定の条件を満たしたものだけだ」
「どんなだよ」
「積極的な他人からの捜索を受けておらず、死んでから時間が経っていない、肉体の状態がいいものだけが選ばれる」
――そんな都合のいい死体があるのかね?
そんな考えがふっと浮かんだが、その思考は視界にうつる四谷の姿に邪魔をされた。
他人から探されることなく、誰からも気づかれないまま一人寂しくこの若者は死んだのだろうか。
整った青白い顔。四谷(仮)は一体どんな訳アリ人生を歩んだのだろう。
「使い終わった体はどうなる?」
「使用が終わった肉体について、契約者には教えられない」
「あっそ」
ここまで話を聞いて、想はふうとため息をついた。なんの話をしていたのか、そもそも他人との長い会話自体が久しぶりだと気が付いて、自分のことながら驚いてしまう。
――俺、なにやってんだろうな。
目の前の級友の完璧なトンデモ設定なんかに長々と付き合うなんて、しかも家にまで招いてしまうなんて。しょーもない、と反省しながら想は乾いた口を開いた。
「で、近くにいなきゃいけないんだっけ? とにかく家にとかこの部屋にっていうのは無理だから、そこら辺にアパートでも借りて住めば?」
「そうしよう。では、すぐに連絡が取れる方法を設定しなくてはならない」
「メールとかでいい?」
「問題ない。では、メールアドレスを設定するのでなにか希望がある場合、もしくは質問がある場合はそちらに連絡をすれば諌山想の都合に合わせて私も行動する」
「ん? なに? 行動するって」
「いつ、どこで会うかなど、諌山想の希望通りに行動する」
「こういう風にしてくれーって、メールで送ったら叶えるとかじゃないの?」
「願いは必ず契約者に口に出してもらう必要がある。また、願いを叶える場合にかかる時間や方法などの確認と、場合によっては選択肢ができるのでそれを選んでもらわなくてはならない」
四谷の言葉に、想はすっかりうんざりして項垂れ、頭を掻いた。
「めんどうだな。大体、選択肢ってなんだよ」
「願いを叶える為のルートがいくつか存在する場合、どれを選ぶかの判断は契約者に委ねられる」
「具体的に教えてくれ」
「最初に話した一億円の件が例になる。期限を区切られた場合と、そうでない場合で手段が変わる」
「ああ、なるほどね」
想が答えると、四谷はポケットから小さな紙を取り出して、契約者へ手渡した。
小さなメモ用紙には一行だけ、メールアドレスらしきものが書かれている。
「このメールアドレスは諌山想からの連絡以外受け付けない」
――そんなのわかるのかよ?
四谷は相変わらず微動だにしない。表情のない顔のまま想にこう確認してくる。
「質問があれば、口に出して聞いてくれれば答えよう」
「うーん」
少しだけ考えたものの、結局面倒くさくなって少年はこう答えた。
「もう今日はいいや。帰ってくれ」
「了承した」
四谷は立ち上がるとすぐに諌山家を出て、どこへかはわからないが去って行った。
想はいつものように味気ない夕食を取り、パソコンの画面を見ながら自分に叶えたい願いはないか、時々心の中を探った。