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SUPER LUCKY # 4  作者: 澤群キョウ
 ■ 運命の一日
33/60

33 超幸運との四ヶ月について、少年の総括

 少年の最近の放課後は、家事に始まり家事に終わる。

 その日の夕食のメニューを決めて、足りないものは買出しに行き、洗濯物を取り込んだり、使用済みの食器があれば洗う。母の具合が悪くなければそれらの仕事はないが、今日はどうやら良くはなかったらしく、すべての仕事が残っていた。

 

  ――めんどくせえよなあ。


 毎日の献立を考えるのは大変だ。レパートリーの少ない高校一年生の手料理は、あっという間に一定の周期で同じものの繰り返しになってしまう。

 あまりコッテリしたものには母が手をつけない。父は喜ぶが、わざわざ台所に立っている理由はゲッソリ妊婦に栄養を取らせるためで、男の好みのままに作るわけにもいかなかった。


  ――大変ですね、奥さんたちは。


 本屋の店先で見た、主婦向けの雑誌の表紙に踊る文字たち。レパートリーを広げるためのアイディアだの、簡単アレンジだの、ラクしてバリエーションを増やすテクニックがこれで覚えられますよ! と通りに向けてアピールしまくっていた。

 散々悩んだ挙句適当に野菜の煮物を作ることに決めて、両親の寝室をのぞく。ぐたっと横になっている背中に一声かけて、近所のスーパーへ出かけ、ついでに日用品も買って大荷物で家へと戻る。


「そーちゃん!」


 エントランスの自動ドアが開いたところで、背後からかかった声。

 こんな呼び方をしてくる誰かなんて、心当たりは一人しかいない。

 無視して家に戻ってしまおうか、それとも振り返るべきか。


「お買い物してきたの? ねー、そーちゃん!」


 声はもう既に近くに来ていて、今の大荷物の状態では逃げ切れそうにない。

 仕方なく振り返り、想は驚いてしばし、動けない。


「お荷物いっぱい。持ってあげる!」

「……いや、いいよ」


 トイレットペーパーを強引に奪い取られながら、なんと言うべきか想は考えた。


 果林に現れた変化は、学校からの帰り道に自分がした発言のせいなのだろう。

 ゴテゴテのアイメイクはどこかに消え去って、ラメの輝くアイシャドウはまぶたにのせられているものの、普段と比べたらおそらく、五〇パーセントはオフになっているはずだ。


「だいぶ良くなったんじゃねーの?」


 触ったら指が真っ黒になるんだろうと恐れていたマスカラに至っては、七〇パーセントは減っているだろう。だいぶ清潔感が取り戻され、以前うっかり披露されてしまった素朴な素顔が前面に出てきている。


「なにが? えへへ。もしかして、かりんの顔が?」


 もしかしたら、ほめてもらいにきたのかもしれない。果林は顔をだらしなく緩めてエヘエヘと笑い出し、嬉しそうに空いている方の腕を少年の左腕に絡ませてきた。


「あのね、セイソウ系のお顔にするメイクにしたんだよ。そーちゃんが帰った後、雑誌買ってきて、それで急いでやりなおしたんだあ」


  ――まあ、確かに清掃でも間違いではないか。


「そーちゃんはこういう顔がいいんだ。えへ。えへへ。かりんこれから、こっちの顔にするね」

「一番可愛い顔はいいのかよ」

「可愛いより、そーちゃんがいいって言ってくれる顔の方がいいよお」


 ひとしきりへらへらもじもじして、二十歳のピンクはなにを思ったのか目を閉じ、少年に向かって唇を突き出してきた。

 そこに王子様からの優しいご褒美、なんてものがあるわけがなく、想はトイレットペーパーを奪うとマンションの中へと走った。


「あっ、そーちゃん!」

「その顔だと髪の色があわねえぞ!」


 果林の目がクワッと開き、両手で頭を抑えているのが見える。

 それにケケッと笑うと、少年は素早くエレベーターに乗り込んだ。


  ――次に会う時には、ストレートの黒髪だったりしてな。


 それなら、高校の前で待ち伏せされていても少しは許せるかもしれない。

 などと考えている自分に、次の瞬間恐ろしく立腹して少年は思わず、エレベーターを降りてすぐに目に入った消火器を蹴り飛ばした。


  ――なに、あいつのペースにまんまとハマってんだよ!


 いくら超幸運に「親愛」が生まれる仲だと言われたからって、いきなりあんなメタル電波ピンクとゆるゆるの間柄になるなんて。

 自分を殴りたい気分になってイライラと、家へと戻る。


「おかえり」

「……ただいま」


 リビングでお茶を飲んでいた母は、息子の様子に驚いたのか、手に持っていたカップをテーブルに置いて首を傾げている。


「どうしたの?」

「なんでもねえよ」

「想、たまには出かけてきてもいいのよ。前はよく、お友達のところに行ってたんでしょ? ごめんね、最近ずっと家にこもりっぱなしだもんね。いってらっしゃい」

「いいよ」


 今出たら、果林につかまってしまいそうな予感がする。

 そしてなんだかんだと、年頃の女性の部屋に入った初めての経験をしてしまいそうだ。


  ――イヤすぎる。


 ますます表情を苦くする息子に、母が焦る。

「大丈夫?」

「なんでもない。ちょっと、思ってもみなかったことがあっただけ……」


 息子の発言に、なんだそれはと母も深刻な表情を浮かべた。少年はそれにますます、しまった、という気分になっていく。


「本当に、たまにはいいのよ。今は気分もいいし、ご飯だってその辺で適当に買ってくればいいし」

「いいんだって。今、外には出たくないんだよ」


 まだなにか言いたげな母を残して、想は自室へと戻った。

 二月十七日、十六時過ぎ。

 超幸運のいない、冬の一日。部屋の空気は冷たい。吐き出したため息が、暖かく想の両頬を包んですぐに消える。


  ――あいつ、どんな姿で戻ってくるんだろう。


 あの秘密基地が失われたことが、惜しくてならない。

 ずっと四谷の姿のままでいてくれという願いはかなえてもらえないのだろうか? 

 肉体を生きているように見せかけるくらい、彼らには簡単そうなものなのに。


 ベッドに腰掛けて顔を両手で包んで、十六歳の男子高校生は再びため息をついている。


  ――幸せが逃げていくんだっけ?


 自分のつまらない考えに、またため息。しょうもないループに呆れて、またため息。


  ――まあいい。やることやって寝れば、明日にはまた現れるんだから。


 なんとか気を取り直して立ち上がり、想は台所へ向かった。

 母の心配そうな視線を軽く手で払って、買ってきたジャガイモの皮を剥いていく。


「なんだか随分、慣れた感じになってきたね」

「……まあね」


 母の不器用さが遺伝しなかったことに感謝しながら、野菜の用意をしていく。鍋に水と出汁用の昆布を放り入れ、次の準備に取り掛かる。


  ――あいつ、気持ち悪かったなー、柿本のやつ。


 あの女のどこがいいんだか、と頭に浮かんできた仲島の顔にデコピンを食らわせる。

 わあ、なにをするんだ諌山君! と叫ぶボンボンに、趣味が悪いぜと罵りの言葉をかけて、鬱憤を晴らしていく。

 台に置いたレシピにちらりと目をやり、手順を確認して、野菜を放り込む。


  ――仲島家のシェフに弟子入りしたら、旨いもの作れるかな。


 自分の中に浮かんできたこの発想に、なにを考えてんだと首を振る。プロになるつもりなんかない。大体、シェフは一日中仕事でお料理をしているからあんなに美味しいものを作れるわけで。


「想、なにかあったの?」

「あん?」

「なんだか、表情がくるくる変わってて……」

 見てたのかよ、と顔をしかめて、その続きを聞く。

「可愛いなって」


  ――うるせーよ。


 息子のうんざりした表情に気がついたのか、母はそっと退散していく。


  ――急に母性全開にしてんじゃねえっつーの。


 シンクに手をつき、ふうと息を吐く。


  ――そういうのは新しい家族向けだけにしてくれよ。


 鍋にふたを乗せると、想はやれやれ気分でベランダへ向かった。洗濯物は冷たい。が、よく晴れていたからか乾いているようだ。

 家族全員分の洗濯物を取り込んでいかねばならないが、これが結構きつい。父と自分のはいいが、母のものは困る。

 いやま、ただの下着だしと心に言い聞かせながら取り込んで、あとは自分でやってと父のものと一緒にまとめておく。


  ――専業主夫にはなりたくねえなあ。


 自らの将来の選択肢を一つ減らしながら、想は眼下に広がる景色を見つめた。

 住宅街に建つマンションの六階からの景色にあるものなんて、家、家、家。形は様々だが、住宅ばかりだ。


 どの家にも、幸せな家族が住んでいるのだろうか? 


  ――そうでもねえか。


 一人ぼっちで暮らす者も大勢いるだろう。

 ここからは見えない、裏手に立っているオンボロアパート。一〇五号室には、頭の悪い能天気なピンクが住んでいる。


  ――家族といれば、イコール幸せってわけでもない。


 では自分は?


 今、自分は、どうだろうというところに考えが至って、少年は静かに目を伏せる。


 からっぽの自分、なにもかもが億劫で、やる気のない空虚な日々。

 静かに死んでいく自分の魂。

 その底で燻っていた、いいようのない感情。


  ――前とは結構、違うか。


 黒の超幸運と出会ったあの日から、少しずつ変化をしてきた自分の日常にふっと、笑う。

 

  ――まあ、いいんじゃないの?


 家族でたいした会話もしないまま夕食をとって、眠れば明日はお楽しみだ。



 両親に「おやすみ」と挨拶をして、あくる日に黒の超幸運がおかしな姿で現れないよう願いながら、少年は特別な一日を終えた。

 

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