03 超幸運との契約解除の方法と一つ目の願い
すべての授業がつつがなく終わり、教室からは次々と生徒達が飛び出して行く。
アルバイトに向かう者、部活動に向かう者、はたまた遊びに繰り出す者。
彼らは去り、教室には少年が一人残る。それが高校生活が始まってから今までの放課後の常だった。しかし、今日はもう一人残っている者がいる。
四谷司はおもむろに自分の席から立ち上がると、じっと動かない想の元へゆっくりと歩いてきた。
「諌山想。契約の解除について話さなくてはならない」
――死ぬまで続くと言っていたのに?
ちらりと青白い顔を見ても、四谷は黙ったままだ。
「解除できるんだ」
「解除の方法は二つある。一つは契約者がその命を終えた場合」
「死んだら終わりってことね」
「そうだ。そしてもう一つ。他人にわれわれについて語った場合に契約は終了される」
「他人に語った場合?」
「そうだ。超幸運について誰かに話した瞬間、事前にも事後にも確認はなく契約は終了し、われわれは次の当選のための条件を設定しそれを満たした者と契約する」
「へえ」
誰もいない教室で、自分の席に座る想とその前に立つ四谷が向かい合っている。
こんな話をわざわざしにきたのだから、先ほどの真っ黒い空間でのやりとりは夢ではなかったのだろう。四谷が本当に願いを叶える力を持っているのかはわからないが、彼と「契約」したのは確からしい。
今日初めて話した級友がどこまで本気なのか、どこまで真実を話しているのか想像がつかず、少年は困った声でこう切り出した。
「今までその、超幸運とかいうのに選ばれた奴って、どんな願いを叶えたわけ?」
「それは答えられない。われわれは、契約者に対して願いの提案をしてはならないからだ。契約者の自由な意思を奪う可能性のある行為は、禁止されている」
「あっそ」
――どうしたらこの話が本当だって、すぐに証明できるだろう?
そのためのヒントをもらおうと思って聞いたのに、えらくお堅い答えが返ってきて想は口をへの字にして窓の外を睨んだ。
九月の昼下がり、空はまだ明るい。ほんの少し冷たくなってきた風は校舎横に植えられた木々の葉を揺らし、部活動に励む若者たちの体に優しく吹き付けている。青春に満ちた光景が広がる校庭から野球部のあげる大声が響いて教室まで届き、それは少年にとってたまらなくうざったい。
「あいつらを黙らせるっていうのは?」
「それはできない。他人の心理の操作は無効であり、人間が高みを目指して行っている肉体的、精神的活動を無意味に邪魔するのも許されない」
――ダメか。
頬杖をついて少年は再び考え、思いついた疑問を口にする。
「たとえば他人の邪魔をするとして、それがその相手にとっていいことだったら許されるわけ?」
「その願いが諌山想のためにもなるのならば、叶えられるだろう」
――なるほど。
「じゃあ、たとえば仲島、わかるか? クラスで一番ウザイ男の仲島」
「仲島廉だな」
「あいつがベラベラしゃべってるのをやめさせてくれよ」
「お前の願いを叶えよう。この願いは今から八分後に叶えられる」
――マジか。
一体何が起こるというのか。少年は何年かぶりの高揚を心に小さく感じながらその時をじっと待った。
あいかわらず想は自分の席に着き、四谷はその少し前に立っている。
二人の間に会話がないまま時が過ぎ、どこへ行っていたのかは不明だが仲島とその友人が四人、連れ立って教室へと戻ってきた。
「あれ、イサじゃん。お前いっつもいるんだな。でも今日は一人じゃなくて、二人? とうとうお友達ができたわけ?」
いつもいじる対象として絡まずにはいられないクラスメイトが残っていたことに喜び、その前にもう一人誰かがいるという新しいシチュエーションにもっと喜びながら仲島がゆっくりと想の元へ近づいてきた。残りの三人の仲間も、少し離れてついてくる。
「お前、四谷だっけ。なんでこいつなんかと一緒にいるの? 全然面白くないだろ、イサなんかといてもさ」
仲島は想と四谷の二人の顔へ順番に視線を移し、三往復したところでいつもいじっている無口な少年ではない方で固定させるとニヤリと笑顔を浮かべた。
「四谷って案外、顔がイケてんだな。あれだ、芸能人でいうと俳優の三隅キヨハルに似てる。クールだし、長髪だし。あれ? なんか部活って入ってたっけ」
四谷は口元をきりっと結んだままで、返事をしない。
「なんでイサと一緒にいんの? なあ、今からカラオケ行くけど一緒にいかねえ? お前と一緒だったら女の子がひっかかりそう。なあ、そうだよなあ!」
仲島が勢いよく振り返ると、仲間の三人はうんうんと頷いている。
「四谷ってなんて呼んだらいい? ヨッツン? ヨッツンはクラブスマイラーズ観てんの? 俺あれに出てるクラッカアンドサイダーが好きでさあ!」
クラッカアンドサイダーは今売り出し中の若手の芸人二人組で、クラブスマイラーズというコント番組の出演者の中では断トツに出番が多い。仲島は話しているうちにテンションがあがってしまったのか、番組中で一番人気のシリーズである、「キラリと光る刑事たち」の劣化コピーを始めてしまった。
「警部! ここはアンパンです! アンパンを食べて落ち着きましょうあっ!?」
クラッカアンドサイダーのツッコミの方、倉敷が演じる刑事のセリフを上機嫌で叫び終わったところで仲島は悲鳴をあげて倒れた。
四谷が思いっきり、左太ももに蹴りを入れたからだ。
「なにすんだよ! 痛えだろうがっ!?」
「お前はつまらない。お前の言ってることもつまらないし、お前の芸人の物まねは更につまらない。誰も笑わないし、笑いたくない。お前がしつこいから仕方なく付き合いで笑っているとそろそろ気づいて自称人気者はもう卒業しろ」
四谷の冷静な顔から飛び出てきた冷酷なセリフに、仲島は目を丸くして震えている。
その仲間たちは少し離れたところで黙っていたが、しばらくして一人がぶーっと思いっきり吹き出していた。
「なんだよ……、なに笑ってるんだよ小久保……」
仲島の声は震えている。目には涙をいっぱいためて、床についた手をガクガクさせている。
「お前もそう思ってたわけ?」
「いや、そんなことないけど」
答える小久保は半笑いの状態で、セリフにまったく説得力がなく、その態度に打ちのめされて仲島は次の友人に救いを求めた。
「窪山は? もしかしてお前もそう思ってた?」
「いやいや! 全然、ぜーんぜん!」
「あうっ」
残る一人、奥掘には聞くまでもなかった。ここまでのやりとりに笑いをこらえきれず、腹を押さえてブルブルと震えている。
「お前らなんか友達じゃねえよーっ!!!」
仲島は立ち上がって教室から走り去ろうとしたが、蹴られた足が痛んだのか入り口付近で激しく転び、床にべったりとうつぶせになったまま大きな声で泣き始めてしまった。
さすがに良心が咎めたのか三人の友人たちはそばに駆け寄り、お前は面白いよ、大丈夫だよ、などというなんの慰めにもなっていない言葉を半笑いの状態でかけながら可哀相な仲島を立たせている。
しばらく廊下には悲しげな嗚咽が響いた。
それが遠くへ去っていって、とうとう、聞こえなくなる。
「なんだよ今のは」
「これから先、仲島廉はもうベラベラと余計な話をしない。明日の朝まで仲島廉は今までの自分を大いに反省し、諌山想を不愉快な気分にさせることはなくなった。彼の人生も、今までより良い方向へと向かう」
「へえ」
「諌山想の一つ目の願いは叶えられた」
澄ました顔でしれっと告げる四谷に、想は思わずふんっと笑った。
「ホントかよ?」
「われわれは嘘をつかない。契約者には真実のみを述べる」
明日にならなければ四谷の言葉が真実かどうかはわからない。
しかし、あまりにも痛快な制裁に想は本当に久しぶりにおかしな気持ちになって、静かな教室でしばらくの間笑った。