28 高校生の極めてノーマルな日常 2
ダラダラと冬休みを浪費し終わったら、学校生活が再び始まる。
なまりきった体に鞭を打って、学生たちは朝早く、家を出なければならない。
外は寒いが、学校が歩いていける距離にあるのは救いだ。一時間以上もかかったり、満員電車に揺られる通学なんてまっぴらごめんな少年は、それを第一の理由にして県立録戸高校を選んだのだが、その近さが本日からは悩みの種になってしまったらしい。
想がマンションのエントランスを出ると、同じタイミングで向かいのアパートから四谷が姿を現す。
程なくして隣のドアも開いた。そこから飛び出してくるのはもちろん果林だ。
「そーちゃーん!」
何故か両手で顔を覆ったまま、指を開けて作った隙間で確保した視界を頼りに駆けてくる。
「なんだお前」
「四谷君と一緒にどこ行くの」
「見りゃわかるだろ? 学校だよ」
「そっかあ。高校? だよね? どこにあるの? かりんも行きたいなあ」
「受験すれば?」
まだ願書の受付はこれからだ。それ以前に、疑問はいろいろとあるのだが。
――こいつ、何歳なんだっけ?
「受験かー。かりん、そんなのしたことないよ」
「そ」
簡潔な一言だけを返して、想は構わずに歩いていく。
手で顔を覆った果林は、歩きづらそうに一生懸命ついてくる。
「なんで顔隠してんの?」
「まだメークしてないんだー。でもね、そーちゃんがどうしても見たいんだったら見せてもいいよ」
「別に」
ぶう、という声から察するに、どうやら怒っているらしい。
髪もいつもの形に整える前のようで、ふわふわの長いピンクの髪はだらしなく広がっている。
「前が見えないまま歩いてたら危ないだろ。もう帰れよ」
「かりん、そーちゃんの学校行ってみたいな! ダメ?」
「生徒以外のヤツは入れないと思うぜ」
「ダメなの? じゃあ生徒になったら、そーちゃんと一緒にお勉強できるかなあ」
答えるのが面倒臭くて、想は四谷にチラリと視線をやった。
もちろん超幸運の対応は、「完全にスルー」。
このままついて来られては迷惑すぎて、少年は小声で四谷に命令をした。
「四谷、なんとかしてくれよ」
「なんとかしてくれとはどういう意味だろうか」
――お前だって迷惑なクセに。
果林の表情はよく見えないが、弾むような楽しげな足取りでずっと想の隣を歩いている。
よく見れば部屋着らしいピンクのスウェットの上下しか着ておらず、足元は靴下なし、隙間だらけのサンダルで、丸出しの足の指がひどく寒そうに思えた。
「お前、寒くないの? なんにしても学校には入れねえし、そんな格好だし顔も出せねえんだろ? 帰りな」
「そーちゃん……」
果林の足がピタリと止まる。思わず、少年の歩く速度も落ちる。
「そーちゃんって優しい!」
ピンクがぎゅうっと背中に抱きついてきて、胸のあたりに絡んできた腕から抜け出ようと想は体をひねって、思わず叫んだ。
「わあ!」
――誰だこいつ!?
「そーちゃん大好き! やっぱりかりんの王子様なんだねー。うふ。今日お昼からバイトだから、遊びに来てね!」
大きく両手をバイバーイと振って、ピンク頭の誰かが帰っていく。
「おい四谷、今のって森永果林で間違いないんだよな?」
「その通りだ」
――化粧ってすっげえ!
「詐欺じゃねーか」
超幸運は何も答えない。
それにしても、あんな起き抜けのような状態で上着も着ずについてくるあたり、本当に慕われていると考えて良さそうであり。想は大きくため息をついて、学校へむけて歩きながら、四谷に質問を投げた。
「あいつ何歳なの?」
「本人に聞いてみてはどうだろうか」
「それがイヤだからお前に聞いてるんだ。勿体ぶらないで教えてくれ」
「森永果林は現在二十歳三ヶ月の女性だ。職業はコンビニエンスレインボー南録戸三丁目店のアルバイト店員で時給は八五〇円。深夜帯には更に手当てがついて」
「そういう細かい情報はいらねえ」
――あれで四つも年上なのか。
受験をしたことがない、と言っていたあたり、高校には通わなかったのだろうか。
そんな自分の思考に、少年は顔をしかめながら歩く。別にあんな電波系の近所の残念な二十歳の詳細など、知りたくもないし考えたくもない。そのはずだ。
「おはよう諌山君! おはよう諌山君!」
「よう」
――なんで二回言った?
面倒な果林が去ったと思えば、ウザイ仲島がお出迎え。最近どうも、想の周囲は無駄に騒がしい。
「今日、例のライブに一緒に行って欲しい相手、誘おうと思うんだ。で、あの、諌山君もつきあってくれないか?」
「はあ?」
目をキラキラとさせるお坊ちゃまに、想はもともと大きくない目を細めて答えた。
「女誘うのにお友達付きって、どんなチキンだよ、お前」
「あう……」
確か正月に言っていたはずだ。女の子を誘いたいと。それは、同じ高校の生徒だったわけだ。
「一人で行けよな」
「わかった。これが諌山流の叱咤激励なんだね! 僕は頑張るよ。親友の励ましに応えようじゃないか!」
――ポジティブですこと。
勝手に元気を取り戻した親友を、作り笑顔を浮かべて見送ってやる。
再開したばかりの学校生活の一日目はあっという間に終了して、帰り支度をすると少年はしばらくじっと、自分の席に座ったままで過ごした。混み合う廊下や玄関が、相変わらず好きではないからだ。
そろそろいいかと立ち上がると、廊下からやけに大きな足音が響いてきた。
早足で歩くその音は、どうやら二人分のように聞こえる。特に気にせずに想が教室を出ると、その音の主達とまんまと遭遇することになった。
「あ、諌山君、ちょうどよかった」
一人は仲島で、その後ろに女子生徒がいる。肩より少しだけ上までのボブカットに、赤いチェックのフレームのウェリントンタイプの眼鏡をしている。
少し鋭い目に、ちょっと大き目の鼻。それ以外の特徴はいまのところ見当たらない。
確か同じクラスの女子生徒だった、と想は考える。名前は残念ながら、思い出せない。
「俺、帰るから」
「ちょっと待って、あの、えーとね、彼女が話があるんだって、君に」
「彼女なんて、気安く言わないでほしいんだけど」
「いや、この場合の彼女っていうのは、いわゆるステディな関係をさすカノジョではなく、英語で言えば『She』にあたる代名詞的な使い方をしているのであって、決して気安い気持ちで言ったんではないということは理解してもらいたいんだけれども」
「ああ、そう」
冷たい口調が、女子生徒の印象を少し悪くしていた。
見た目もまったく少年のタイプではない。
どうやらちょっと、お胸のサイズは大きそうではあるが。
「俺になんの用?」
「ええ、あの、諌山君、って、四谷君と仲良しだよね?」
お坊ちゃまへのドライな態度とは打って変わって、穏やかな口調、上目遣いに、モジモジとした様子だ。その変わりようを目の当たりにして、仲島はショックを隠し切れないらしく、蒼褪めている。
「別に。仲良しってほどじゃないけど」
「嘘……、だって、いつも一緒に帰ってるよね? おうちにもよく遊びに行ってるでしょ?」
メガネの発言に、想は思いっきり眉間に皺を寄せた。
「なんなのアンタ。いちいち人の生活チェックしてんの?」
「え? ううん、全然! そんなことないよ。そんなー、えー、話をちょっと聞いたような気がしたってだけでえ」
教室の中にまだ、契約者に付き合って超幸運が残っているはずだ。
「四谷に用があるならまだ中にいるから、直接言えば?」
「ええっ、いや、そんなそんな……。まさかまさかのそんなバカな、ですよー」
――なんだこいつ。
気持ちの悪い反応をしてきたメガネの言葉を無視して教室の中を覗きこんでみると、いつの間に出て行ったのか四谷の姿はない。
――あの野郎、逃げたか?
「いなかったわ。とにかく、用がないなら俺は帰るから」
「あ、うん。えーと、ごめんね、なんか変なこと聞いちゃってー、あははは!」
「じゃーな、仲島」
「あう。うん、では諌山君、また明日」
クラスメイトに片手をあげて、教室を後にする。
廊下を進む想の背中に、かすかに、お坊ちゃまの声が届いていた。
「あの、柿本さん……、それで、ライブの件なのだけれど……」
――柿本?
階段を降りて玄関に向かうと、ガラス扉の向こうに四谷が立っている。
それが目に入った瞬間、思い出した。
『柿本史絵は四谷司の容姿が好みなので、好意を持ってよく観察をしている』
昼間一人ぼっちで過ごしている理由を話している時に出てきたプチ自慢。
――あいつなんだな。
靴を取り出し、床に放り投げて履き替える。
――お坊ちゃま、切ない片思いじゃねえか。
ふふんと笑いながら、上履きを下駄箱に突っ込み、少年は外から吹き込んできた冷たい風に身を震わせながらこう思う。
――あの女、やっぱストーキングとかしてんじゃねえの?
よく一緒に帰っているだけならともかく、「家に」発言は聞き捨てならない。
その真偽を確かめるために、想は足早に外へ出て、超幸運と並んで家路を急いだ。