27 超幸運と契約者の親密度によっておきる変化
「やあやあ、よく来てくれたね諌山君。あけましておめでとう!」
「おう」
仲島のご機嫌な笑顔は、こんがりと日に焼けている。
南半球は夏だったんだなと納得しながら、いつも通り、想はリッチなソファに体を沈めた。
息苦しい自宅に比べ、座り心地といい、室温といい、美人揃いのメイドさんがズラリと並んでいる様といい、最高に快適で少年の気分は良くなっていく。
「仲島、これやるよ」
すっかりいい気分になって、去年もらったクリスマスプレゼントを鞄から取り出して親友へ手渡す。
「なんだい、これは」
「いつも世話になってる礼」
安っぽい茶封筒からチケットを二枚取り出したボンボンは、そこに印字されている内容を確認して、そのまま後ろにドーンと倒れた。
「坊ちゃま!」
「きゃあ、廉様!」
執事とメイド軍団が慌てて駆け寄ってきて、応接間は大騒ぎだ。
お坊ちゃまはすぐに意識を取り戻して、後頭部をなでつつ、笑顔を振りまきながら立ち上がる。
「いやいや、大丈夫だ。あまりの嬉しさにちょっと、意識がね」
「なんなのですか、それは」
「ふふふ……ははははは! みんな見るんだ! この、僕達の輝かしい友情を!」
ババーン! と効果音を背負いながら仲島がチケットを前に突き出して、執事の権田がふむふむと確認し、大きくのけぞってこう叫ぶ。
「これは! 我々が全員で電話をしたのに予約が取れなかった……!!」
「そうだ! クラッカアンドサイダーの単独ライブの! ティケッツ!」
――うぜえーっ!
学芸会のような大げさな展開に、笑うしかない。
想は半笑いだというのに、仲島の目にはガチの涙が輝いていた。
「僕のために……、なにか、無茶をしてくれたんじゃないだろうか、諌山君!」
「いや。たまたま親父が手に入ったって、くれたんだ」
「んふー! なんという、なんという導き! やはり諌山君は僕と親友になる運命だったんだね! わかった一緒に行こうじゃないか、この喜びを二倍、いや、四倍、いやいや無限大にするために!」
「俺興味ないから、誰か他のファンのやつと行けよ。その方が楽しいだろ?」
「なん……て、無欲な男なんだ君は! 本気で言ってるのかい!?」
――お前のテンションにはついていけねーっつーの。
一緒に行けば、その後何週間もきっと「あの時のエキサイト」について語られ続けるに決まっている。そんなのはご免こうむりたい事態でしかなく、少年としては「一緒にライブ♪」のイベントだけは絶対に避けたい。
仲島にうんうんと笑顔で頷いていいお友達のフリをし、想は用意された中華風のおせちに手を伸ばした。
「これなに?」
隣に控えるメイドさんが、ニッコリと微笑む。
「北京ダックでございます」
「へー、これがあの。旨いね」
「恐縮です」
他にもおいしいものがぎゅうっと詰まった箱に、少年はすっかりご満悦だ。
思い起こせば、ろくでもないばかりの、とんだ年末年始だったな、なんて思いながら次のなにかに手を伸ばす。
「これも旨いね、なに?」
「あわびだよ、諌山君」
「これがあの、ね。納得だわ」
「ねえ諌山君、本当に君はライブに行かなくていいのかい?」
真剣な顔で目の前に迫る仲島に、想は眉をひそめた。なにせ距離が近い。キスでもしそうなその距離感に嫌な思い出が蘇って、体をそらす。しかし、仲島はそれを追ってさらに迫ってくる。
「いいって言ってんだろ? 興味ねーんだから」
「じゃあ、僕が、僕がその……あの、おおおおおおんなの子と行っても、怒らないかい?」
思いっきりかみまくったお坊ちゃまに、想は思わず噴き出してしまう。
ツバが何粒か顔にかかったというのに、仲島は微動だにしなくて、とてつもなく不気味だ。
「怒るわけない。勝手に行けよ」
つっけんどんな口調に、坊ちゃまは今度はしゅんとしおれてしまう。
「やっぱり怒るんだね? ごめん、やっぱり誰か……権田、一緒に行こうか?」
「怒らねえってば。それ、速攻で売り切れるほど人気のライブなんだろ。行きたいやつが行くのが一番いいんだから、誰でも好きなやつ誘えばいいじゃねえか」
――めんどくさいヤツだな、ホント。
「本当にいいんだね?」
迫りくるボンボンに、サービスで笑顔を浮かべ、うんうんと頷く。それでようやく、仲島は離れていった。
「ああ、ありがとう。なんて素晴らしいんだ。やっぱり諌山君を招いて正解だった!」
「ようございましたな、お坊ちゃま」
――よかったね、仲島クン。
いいことしちゃった感に満足して、想は次のなにかに手を伸ばす。今度は見た目でわかる。海老だ。
「ねえ、諌山君にはお付き合いをしている女性は、そのー、いるのかい?」
「いない」
「そうなのか。過去には? 誰かその、素敵なサムバディはいたのかな?」
「ノーバディだ」
そっけない返事に、仲島はほっと安心したような表情を浮かべた。
対して、少年は渋い顔だ。恋バナなんか一番したくない話題であり、しかも相手はウザキング――。いい予感は皆無だ。だからこの話には一切乗らない。
「そうか。僕は今、片思いをしているんだ。この切ない気持ち、どうしたらいいのかって思い悩んでいるんだよ。オーストラリアでは言い寄ってくるレディもいたけれどすべてお断りした! 僕のこの一途な思いは邪魔できないんだよ! 海外の女性のあのアグレッシヴさって、僕にはちょっと合わないんだよね。日本女性の奥ゆかしさこそがやはり、日本人である僕には合っているわけで……」
目を閉じて熱く語る親友を無視して、フカヒレのスープを啜る。
「旨いなこれ。おかわりってある?」
「はい、ただいまご用意致します」
壁に沿って並んでいるメイド軍団の、いつも左から三番目に控えている子が一番可愛い。そう考えている少年の耳に、坊ちゃまが語る恋愛論が届くことは最後までなかった。
「諌山様、今年も坊ちゃまをよろしくお願いいたします」
「いえいえこちらこそ。よろしくお願いします。ごちそうさまでした」
リムジンで送ってもらい、ご機嫌で権田と挨拶を交わす。
長い車が去っていくと、道路の向かいに立っている人物と目が合ってしまった。
――ゲッ。
「そーちゃん! かりんも乗せてねって言ったのに!」
ピンクの髪が揺れながらパタパタと駆けてくる。想はくるりと身を翻して家に帰ろうとしたが、オートロックの解錠までは間に合わなかった。
「そーちゃん、どこ行ってたの? ロールスロール乗ってどこ行ってたの?」
「ロールスロイスだろ、アンタが言いたいのって」
「ロイス? あれれ、ロールだと思うけど」
「大体、リムジンって言うんじゃねえの、ああいう車って」
「うがいするやつ?」
面倒くさいなあと顔をしかめて見せても、果林には効果がないらしい。
力の抜けた笑顔を浮かべたまま、バイト店員は想の腕にぎゅっとしがみついてきた。
「あのねえ、果林のお部屋に来てもいいよ。今からご飯作るから一緒に食べよ」
「いっぱい食ってきたところだから、悪いね」
絡んだ腕をほどき、ぽいと外す。
「えー、なに食べてきたの? 美味しかったの?」
「おせちだよ、中華の。旨かったぜ」
「いいなあー、そーちゃん、いいなあ」
「いいだろ。じゃあな」
想が手を振ると、果林はそれにゆるーく手を振り返してきた。どうやら対応はこれで良かったようだ。
「想、おかえり」
「うん」
家に帰ると父が出迎えてくれた。母はソファの上でぐったりとして、手だけをひょいとあげてくる。
「ご飯は?」
「食ってきた」
「そうなのか。仲島君だったっけ? お礼の電話しないといけないかな」
「いいよ。あいつん家はいつも大量に作って余らせるらしいからさ」
適当なセリフで父の気を散らすと、少年は自分の部屋に戻った。
満腹になった腹をさすりながら、PCのモニターをぼんやりと見つめる。
――いいもん食ったなー。
思い出すと口の中に蘇る、豊かな味のハーモニー。そして、まぶたに浮かんだのは倒れていくお坊ちゃまの姿。
――あいつ、失神してたな。
よっぽど嬉しかったんだろうと、思わず笑う。
あんな風に直立の姿勢のまま倒れるなんて、もう二度と見られないであろう衝撃的な姿だ。
「想、どうした?」
「は? ……なんでもない」
ドアの外からかかった父の声に、想は慌てて答えた。笑い声がリビングまで聞こえてしまったなんて、恥ずかしい。そして気がついた。いつものアレ、お部屋で過ごす時の必須アイテムがない。
「ちょっとコンビニ」
「いってらっしゃい」
喉の渇きを潤す今日の一本を求めて外へ出る。
冬の空気が顔をなでて、想は小さく震えた。
道路の向かいにエスポワール東録戸が見えて、想は行きつけの店でホットドリンクを用立てると、帰りに一〇三号室へ寄った。
鍵が外れる音がして、ドアが開く。いつもの挨拶の言葉は何故かない。
「よう。アレ、言わねえのか? 諌山想、願いか相談が、ってやつ」
「そろそろ飽きてきたのではないかと思われるので、違う挨拶を考案している」
――なにそれ。
「新年は色々違うんだな」
「冗談だ。ドアを開けた状態で話すと、森永果林が在宅をかぎつけてやってくる可能性が高いので、声を出すのを控えた」
――なに、それ。
「諌山想、願いか相談ができたのだろうか」
「ねーよ。お前、最近ウケ狙いすぎじゃねえの? 俺になにを求めてるんだよ」
「私は契約者になにも求めない。これは、本契約になったひとつの効果だ」
「本契約だとお前が面白くなるのか?」
四谷は黙って首を静かに振った。長い髪がさらさらと、左右に揺れる。
「本契約になると、契約者と超幸運の親密度が我々に影響をもたらすようになる」
「親密度ときたか」
――そんなに仲良くなったっけ?
「契約者が超幸運を信頼すればする程、われわれは……」
「われわれは?」
「表現が難しい」
少年はじっと待ったが、超幸運はうまい表現が見つけられなかったのか黙ったままだった。
想が特に追求をしなかったせいで、結局どうなるのかは解明されないまま、この日の訪問は終わった。