26 超幸運の体の交換についての対策会議
新年がやってきた。
しかし、少年の暮らしに変化はない。具合の悪い母、家の雑事であたふたする父は正月どころではなく、高校一年まで成長した息子は両親が手伝わなくとも大抵のことは自分でできる。
年始まわりもなく、親戚が大挙してやってくる習慣もない諌山家は元日から通常営業だ。周囲の店が閉まっていて、テレビ番組のプログラムがやたらとめでたいくらいで、大きな影響はない。
超幸運にメールを送る。
隣のおかしな女がいつ襲撃してくるのか、確認するためだ。しかし返信はない。スルーにムカついてみたものの、よく考えてみたらどうやってメールを受信しているかもわからなかった。
仕方なく立ち上がり、父に一声かけて外へ出る。町は正月特有の静けさに包まれ、人影はない。とりあえずコンビニへ向かい、入る前に中を覗くとピンクの姿は見あたらなかった。
「いらっしゃいませー」
ホットドリンクの棚の前に立ち、ゆずの入った日本茶に手をかける。
――もしかしたら家にいるのか?
そして四谷と二人でコタツに入っているところに突撃してくる可能性は何パーセントくらいだろうか。
――いや、正月だし、帰省してるとか。
そういえば森永果林について、残念すぎるアホだということ以外なにも知らない。それに笑いながらレジへ移動し、肉まんを一つ注文する。
「あ、そーちゃんの人?」
「はあ?」
いきなり声をかけてきた加藤君をジロリと睨むと、バイト店員はひどく慌てながらバーコードリーダーでお茶をピっと読み取った。
「すいません」
――あいつ、余計な話をしてそうだな。
果林だって、想についてなにも知らないはずだ。
隣に住んでいる四谷の友人で、何故か一緒に鍋をつついたことがあって、安易な肉体関係になるのを拒否したナイスガイで……。
――その他に知ってるのなんか、名前くらいだろ?
ふう、とため息が漏れ出てくる。
――あれか。ロールスロールに乗せてくれる人でもあるのか。
小さく笑って、お茶と肉まん入りの小さいレジ袋を受け取って、店を出る。
少年が向かったのはもちろん超幸運の部屋で、勝手にドアを開けようとすると珍しく鍵がかかっていた。意外に思っていると、内側から扉が開いて、四谷の青白い顔が現れる。
「諌山想、質問か願いができたのだろうか?」
「いや、別に」
中に入ると、四谷はしっかりとドアに鍵をかけている。
「もしかしてあいつ、勝手に入ってくんの?」
「その通りだ」
大真面目な顔に、想は笑いが堪え切れない。
「諌山想が自由に出入りしているので、それを真似たらしい」
「なに? 俺のせいなわけ?」
「そうは言っていない」
――言ってるじゃねえか。
「諌山想」
コタツのスイッチは相変わらずオフだ。もちろん、ファンヒーターも。コタツ布団の中に手を入れて、スイッチを入れながら想は答えた。
「なに?」
「あけましておめでとう。今年もよろしく」
「……おう」
――ウケ狙いじゃねえよな?
本契約になって以来、無駄口を叩くようになった超幸運を想はじっと見つめた。
相変わらずの澄まし顔に、ふと思う。
――来月、変更なのか……。
次はどんな姿になるのだろう。不安な気分になって、想は袋からお茶と肉まんを取り出し、向かいに座る四谷に尋ねた。
「次に使う体って、俺が選んじゃダメなの?」
「次に使う体とは、二月十七日に交換されるわたしの肉体だろうか」
「それ以外にねえだろ」
「それは不可能だ。われわれは限られたものの中から、契約者とその生活や周囲の状況にとって最もふさわしいものを選ぶ。契約者はこの選択に関わってはならない」
「なんでだよ。しょっちゅうお前の顔を見なきゃならないのに。俺の都合に合わせてくれたっていいんじゃねえか?」
超幸運の動きが、ピタリと止まる。
「お前、ピタって止まってる時はなんなの? 処理落ち?」
「違う」
――じゃあ、どこかにある超幸運の本部と通信でもしてんのかな……。
その謎は明かされず、四谷の視線はまっすぐ想に向いた。
「心配しなくても、わたしは候補がいくつかある場合にはより諌山想の好みにあったものを選択する」
「好みってなんだよ」
「たとえば女性の肉体しかなかった場合、より美しく、より胸の大きいものを選ぶようにする」
「おい! バカ! お前! バカ!」
思いっきり歯を剥いて怒ってみせたものの、超幸運の顔は無表情のままで、一気に気分は萎えていく。
――絶対わざと言ってるな、こいつ。
「顔と胸はどちらを優先にしたらいいだろうか」
「うるせえよ! 女なんか選ぶなよっ! 絶対だぞ!?」
「参考にさせてもらう」
肉まんとお茶をプリプリしながらたいらげ、想は自宅へと戻った。
のんびりとした空気の中、母は最近すっかり指定席になったソファの上でだらんと座っていて、父はその隣に控えている。
「おかえり」
「うん」
「なあ、想」
父に呼び止められ、息子は仕方なくそばに座る。
「父さんはもう五日から仕事だから、学校が休みの間母さんのこと頼むぞ」
頼むぞ、の具体的な内容はわからない。ただ、今の父のようにつきっきりでいろといわれたらかなりのうんざりが蓄積しそうだ。
息子の顔の険しさに反応して、母がそっと口を開く。
「頼むっていっても、お買い物に行ったり、掃除手伝ってくれたらいいだけだから」
「わかったよ」
「安定期になったら具合もよくなるし」
それにも、わかった、と返事をして少年は自分の部屋に戻った。
パソコンを立ち上げて、「安定期」について検索を始める。
――五ヶ月くらいから?
その前に、母が一体今妊娠何ヶ月なのかが不明だ。父と母、二人の間に愛が戻ってきた日……などと考えると、妙に生々しい話になってきて、思考はそこで止まる。
――しーらないっと。
おそらく今年の夏頃に、可愛い弟か妹ができる。そしてその子は……まっすぐ育つ。
四谷の言葉を思い出し、少年はニヤニヤと笑った。
――良かったね、おとーさんおかーさん。
ちょっと前まで、妻はよそのおっさんと不倫、夫は家族に無関心だったわけで。
――可愛い天使はまっすぐ育つんだってよ。
なにせ、地球からの贈り物の折り紙つきだ。人間性に保証がつくなんて、心強いったらない。
――名前、どうなるんだろうな。
きっと超幸運は知っている。あの時、あやうく名前を言いそうになったのだろう。
本契約になって以降、口数が増えた。あの変化は一体なんなのだろう。少しだけ面白くて、想はふふんと笑うとベッドに転がって、そのまま眠った。
「想、電話だぞ」
新年になって三日目、少年はこんな父の呼びかけで目を覚ました。
「誰から?」
「ナカシマ君だって」
家に電話をかけられるなんて一体、人生で何回目の経験だろう。そんなことを考えつつ受話器をあげると、ウザキングはテンションの高いしゃべり方で新年の挨拶を述べ、宴を催すから遊びに来ないかと想を誘った。
「いいぜ」
「じゃあ今から迎えをやるよ!」
――今からかよ。
どうも最近周囲には勝手な連中しかいない気がする。そんな考えが少年の頭をよぎる。
「ちょっとでかけてくる」
「ナカシマ君の家に行くのか?」
「うん」
「そこの、目の前のアパートに住んでる?」
「違う。それとは別」
父と母が見つめ合って微笑んでいる。どうやら、息子を招いてくれる友人が激増中なのが嬉しいらしい。今までゼロだった、掛け算すらできない数字だったのが、今では二。凄まじい増加率だ。
父からのクリスマスプレゼントと、契約したての携帯電話を持ってエントランスへと降りる。
――あいつがバイト中か確認できたらいいのに。
果林が在宅していて、ふっと出てきてリムジンと遭遇するとおそらく、面倒くさい。
しかしわざわざ家までいって、いるかどうかの確認をするのもおかしい。
――おーい四谷! あのピンクは今どこだ!?
当然ながら返事はない。ポケットには携帯が入っている。どこからでもメールを送れるようになったが、質問を送っても返事は来ない。
仕方なく歩いて、一〇三号室の扉に手をかける。すると、鍵はかかっておらずノブはクルっとまわった。
――ということは。
今なら果林が勝手に入ってくる心配はない。イコール、どこかに行っていて、留守。
安心しつつマンション前に戻ると、すぐに仲島家の車がやってきた。
「諌山様、あけましておめでとうございます。本年もお坊ちゃまをよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
想は珍しく満足そうにニッコリ笑うとフカフカのシートに体を埋めて、久しぶりの仲島家へ、優雅な気分で出かけていった。