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SUPER LUCKY # 4  作者: 澤群キョウ
 ■ 新しい人生の始まり
24/60

24 少年を襲った悲劇的喜劇的衝撃

 本当にすぐ目の前に人がいる状態。少年にとって、初めての経験だった。

 ふわふわに広がったピンク色の髪が遮って、視界には光がまったく入ってこない。そんな暗闇の中感じるのは、唇に当たる少し湿った柔らかい……多分、果林のテカテカリップだ。


 突然巻き込まれたラブシーンに体が固まったものの、すぐに我にかえって少年はえいやっとレディを思いっきり突き飛ばした。一体どれくらいの時間、密着していただろう。ひどく長かったような、ほんの一瞬だったような。


「なにすんだよっ!?」


 いや、時間の長さは関係ない。全然嬉しくない相手とシチュエーション。父の観覧つきの、さんまの内臓のような苦すぎるファーストキスに憤って、想は怒鳴る。

 しりもちをついた果林は、目の端に涙を浮かべたまま、ぷうっと頬を膨らませていじけた。


「キスだけど」

「いや……」

 この相手に真剣に怒るのは無駄なのだろうか、と思えるこの脱力感。想は手の甲で自分の口をぐっと強く拭ってから、勢いを削がれた怒りをなんとかひねり出して果林にぶつけていく。

「なんで、したんだよ?」

「そーちゃんはかりんの王子様でしょ?」

「はい?」

 ますます、体から力が抜けてしまう。


  ――落ち着け、相手は人外だ。質問をする時には具体的に、はっきり要点をつかないとダメだ。


「王子様って?」

「あのね、サッチが言ってたの。すぐにエッチしない男の子が、かりんの運命の王子様なんだよって」

「……ごめん、ちょっとわかんねえわ」


 果林は座りこんだまま、じっと上目使いで想を見つめている。うるうるとした瞳はチワワを想起させるが、少年はチワワを可愛いと思ったことがない。


「サッチが言ってたの。男の子はみーんなエモノなんだって。だけどその中にエントロピーがいるはずだから、そういう素敵な王子様と付き合うんだよって」


 想の眉間に、かつてないほどの深い皺が寄る。


  ――お手上げだ!


「……ちょっと急ぐから、俺、行っていいか?」

「うん、いいよ。そーちゃん、またね」


 あっさりと笑顔で王子様を見送るピンクに、何度目かの衝撃を感じつつ、少年は振り返った。道路の向こうの父は、そっと斜め下のあたりに視線を向けて小さくなっている。

 もうため息をつくしかなくて、想は弱った足取りでいつもよりゆっくりと家へと歩いた。



 諌山家のリビングには、ソファでぐったりと横たわっている母の姿があった。

「想、おかえり……。お友達のところに行ってたの?」

「まあね」

 父がコホンと、わざとらしく咳をする。それにムカついて、少年は顔をしかめた。

「さっきの、別にカノジョとかじゃねえからな」

「……じゃあなんなんだ?」

「俺が知りたいよ。さっきいたのはクラスのやつの部屋で、その隣にあの女が住んでて勝手に来て勝手に暴れたの!」

「へえ」

 初めて見た、父の冷たい視線。絶妙なムードを醸し出している父と子の対峙する姿に、母は困惑した表情を浮かべた。

「なにがあったの?」

「いや、別に」

 親子で完全に同じセリフを口にしてしまって、想はますます顔をくしゃくしゃにした。


「想、明日携帯電話の契約に行くぞ」

「あん? 俺の?」

「そうだ。母さんが安定期に入るまでは、すぐ連絡が取れた方がいいから」

 父の言葉を受けて、視線を動かす。ソファの上でぐったりしている母は、つわりとやらで参っているらしい。

「高齢出産は色々とその、大変なんだ」

「高齢ね」


 先ほども出てきた、黒と茶色でできた思考のクズが頭の中にまた積もっていく。

 考えても答えが出せない、焦げついた色んな感情をブルドーザーで全部隅っこに押しのけて、少年は大きく頭を振って答えた。


「わかったよ」

「ありがとう」

 母の声は震えている。

「泣くほど嬉しいの?」

「うん」

 どうしたことか、ソファの上に涙がぽろぽろと落ちている。


「情緒不安定なの?」

「そうだ。妊娠するとちょっとしたきっかけでああなっちゃうから、あんまりキツイこと言わないでくれよ」

 声をひそめて、渋い顔の父と会話を重ねる。面倒くさい気分でふうと少年が息を吐き出すと、父親が背中をバシンと叩いてきた。

「大変だけど、期間限定だから。とにかく、無事に生まれるまでは頼む」

「わかりましたよ」



 部屋に戻り、想はごろんとベッドの上に転がった。

 頭の中に詰まれた、最近起きた色々な出来事の記憶。どれもこれも角がとんがっていて、触れるとケガをしてしまいそうな痛いことばかりだ。

 思わず、少年は唇に触れた。ついさっき起きた、あまりにも唐突で理解不可能な事件。記念すべき、ファーストキスのメモリー……。

 ここまで考えて、げえっと舌を出す。飲み物が欲しい。立ち上がって、上着を持って家を出る。

「ちょっとコンビニ」

「想、なにかレモンが入ってる飲み物買ってきてくれないか?」

「……いいよ」

 

  ――妊娠したら酸っぱいものが食べたくなるってか。


 エレベーターがやってきて、エントランスまでひゅうっと降りていく。

 扉が開いて、一気に冷気に晒され、想の体は大きく震えた。


  ――離婚するって言ってたの、なんだったんだろうな。


 息子を試すために、両親がついた嘘。……が、正解だろうか。

 一人暮らしなんてイヤだ、行かないでと言われたいあまりにあんな嘘をついたのか。

 もしそうなら、悲しい話だと少年はふっと笑った。

 息子を理解できないあまりに、ここまで大がかりな仕掛けを用意しなければならなかったのだから。


  ――あの時、グスグス泣いてたのってもしかして?


 クリスマスの悲しいディナー。母の頼りない姿が脳裏に蘇る。妊娠のせいで情緒不安定らしいところに、自分のあの態度はないよなあとケラケラ笑う。小さく笑うたびに息がふわふわっと白く宙に舞って、愉快そうに少年に同意してきた。ほんとうだぜ、想、お前はひどい奴だ! と。


 コンビニでレモン入りのドリンクと、自分用のお気に入りの清涼飲料水を買って、寒い道を戻っていく。ちらりと向かいにあるボロアパートが目に入って、想はふと立ち止まった。あの鍋パーティの始末はもう終わっただろうか。超幸運はあのイカれピンクにどう対応したのだろう。思い出したくもない強引な扱いには腹が立ったが、規格外のバカに振り回される四谷の様子の面白さがちょっとだけ勝利して、想の口からはまた小さく笑いが漏れた。ついでに、笑うことができた自分に安心している。


  ――甘酸っぱい体験でしたね。


 惨劇を忘れると決め、エントランスをくぐる。エレベーターは誰も使う者がいなかったのか、一階でじっと少年を待っていてくれた。

 


 翌朝、契約に行く前に父に買い物を頼まれ、想は家を出るとまず四谷の部屋を訪れていた。


「諌山想、相談か願いができたのだろうか」

「別に。昨日あの後どうだったのか聞こうと思ってさ」


 さぞかし困った事態になっただろうと、ニヤニヤしながら返事を待つ。

 部屋の中は寒い。窓が開け放たれているからだ。カーテンが時折窓の端でゆらゆらと揺れて、空気が入れ替えられていく。


「諌山想が帰宅した後、森永果林は上機嫌で片づけを済ませ、この部屋に持ち込んだ荷物を自分の部屋に持ち帰ったがまた戻ってきて、わたしに諌山想についての詳細を質問した」

「は? お前、なんか余計なこと言ってないだろうな?」

「想という字をどう書くか教えるのに三十分を要し、かけるようになったら満足して帰っていった」

「それだけ? それだけならまあいいか……? いや、なんか気持ち悪いな」


  ――大体、そんな難しい漢字じゃねえだろうがよ……。


 心が音を立ててしぼんでいくのを感じて、少年はふうとため息をついた。

「喜んでいたぞ」

「なにを?」

「想の字に、『木』の字が入っていると」

「はあ? なんで?」

「『自分の名前には木がたくさん生えているから』らしい」


  ――わっかんねえ。つーか怖え。


 体がブルブルっと震えたのは、窓が開いているからなのか、コタツの電源が入っていないからか。

「あいつをなんとかしてくれよ」

「なんとかして、というのは具体的にはどういった対策を指すのだろうか」

「他の王子様用意するとか?」

「その願いを叶えるには二年と十五日かかるが叶えてもいいだろうか」

「長えよバカ! 明日用意しろ!」

「それは不可能だ」


  ――なんでも叶うんじゃないのかよ、超幸運!?


 わなわなと震える少年に、超幸運は穏やかな声でこう話した。


「諌山想、明日用意できる他の王子様では、森永果林に非常に不幸な運命をもたらす」

「いいよ、それで」

 なげやりに答える想に、超幸運は鋭い視線を向けて問う。

「本当か?」


 今までになかった気迫あふれる確認に、思わず目を閉じる。


  ――あいつのあのテンションで、新しい王子様が来て、不幸な運命が……。


 ありとあらゆる悪い展開が想の頭の中を駆け巡る。あまりにも簡単にポンポンと浮かんでくるバリエーション豊かな鬱展開に、少年はこくこくと小さく頷いた。

「ま、確かにイヤな気分になりそうだな」

 四谷はいつもの無表情だが、どこか、なんとなく満足そうな雰囲気で頷いていた。

「お前、なんか口数増えてない? そんな口出すようなキャラだったっけ?」

「本契約になったからな」


  ――やる気が出ちゃってるって?


「やる気は俺のために出すんじゃないの?」

「今断ったのは、諌山想が不愉快な気分にならないための処置だ」

「あっそ」


 しかし自分が王子様扱いされる日々が続くのかと思うとそれもだいぶ不愉快で、想は厳しい視線を超幸運に向けたが、期待したような返答は得られなかった。

 

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