番外編、飴の目
大変ご無沙汰してしまっております。
あまりに時間があいてしまったため、リハビリのために書いた、本当に短い番外編です。
アーラとゼファード。ジルの扱いがちょっとかわいそう。時系列は、本編現在よりも後のほう。
糖度高め(当社比)です。本編でのイメージを壊されたくないかたはご注意くださいませ。
ゼファードの熱い――語弊があるかもしれないが、居心地が悪くなる程度の熱心さではあったのだ――まなざしに見つめられて、アーラはついに手を止めた。
「目は口ほどにものを言うとは言うけれど、言いたいことがあるのなら、ぜひ言葉にして頂戴。生産的な話なら、私はきちんと耳で聞きたいの」
「いや……話しかけては、仕事の邪魔になるかと思ったんだ」
「ゼファ。あなたは自分の視線の威力をよくよく知るべきよ」
手にしていた数冊の本をわきの棚に積み、スカートのすそに気をつけながら踏み台から下りる。
書架の整理は、アーラの気に入りの仕事だった。
古い紙の匂い、書架のつややかな木目から立ちのぼる香り。一冊一冊に何かが宿っているように思われる重みを感じながら、美しい装丁を愛で、金の箔や綴り糸をなぞり、それらの本をあるべき場所に帰してあげるのは、心の休まるものだった。
「威力? 俺には、アーラをにらみ殺そうなんて意図は微塵もなかったんだが」
「悪いけど、にらまれたくらいじゃ死んでやらないんだから」
アーラとゼファードは目を見かわして、唇のはしをつと上げた。
これほどの軽口が叩き合えるようになるとは、まさか、語り手として王城によばれたときには露ほども想像しなかった。
「で? 用事があるなら聞くわ。」
アーラはゼファードの正面の椅子をひいて座り、その美しい群青の双眸をのぞきこんだ。
冬の夕刻のような、海の深淵のような。アーラが大好きな、美しい眼。
ジルフィスの琥珀色の瞳なら、蜂蜜のように甘やかさが香る。糖蜜にも負けない、とろけるほどの好意。彼のことは尊敬しているし、打てば響くような会話も好もしく思っているが、時折あふれて押し寄せる濃密な思いと彼女を閉じこめかねない腕には、息が詰まりそうになる。
けれどもゼファードの眼を飴玉のように舌で転がしたなら、きっと、月桂樹のように気高く突き抜ける味がすることだろう。すがすがしい宵や明け染める前の蒼い森を思わせる彼のまなざしは、いくらでも見つめていられる。
それなのに、
「アーラ」
すいと、ゼファードは睫毛を伏せてしまった。この長い睫毛もまた、ながめるだけの価値がある見事なものなのだが。
「なに?」
それでも、今は上がっていてほしい帳に他ならない。声音にほんのひとさじ非難をふりかけて応えれば、睫毛の庇の下から、群青の瞳がちらとこちらをうかがう。
「人のことばかり、言えやしないぞ」
「何のことよ」
「アーラこそ、視線の威力たるや空恐ろしいものと知るべきだ」
「?」
「俺に焦げ跡をつけるか、穴でも開けるつもりか」
両手のひらで両頬をすくうようにして、顔を上げさせられる。ゼファードの親指が、やわらかく目じりをなでる。
「アーラの目は、舐めたら火傷ではすまない、熱く煮立った飴じゃないかと思うぞ」
「申し訳ないけれど、飴みたいに甘くはありません。何の変哲もない、茶色の目玉よ」
「なら、試してみるか」
その意味するところにおののき、アーラが言い返そうとしたところで、声よりもまぶたの反射のほうが早かった。
とっさに閉じたまぶたに舌先が触れる。いつの間にか立ち上がり、机越しに距離を詰められていたのだ。
「惜しい」
至極残念そうにつぶやくゼファードを薄目でうかがえば、その柔く弧をえがいた双眸は、蜂蜜色でも飴色でもないというのに、とびきり甘い。
まるでここぞという夜にのみ蔵から出される、秘蔵の葡萄酒のように、深く濃く甘く酔わせるのだ。
それを悪くないと思ってしまうあたり、たいがい己も勝手だと――ジルフィスに心の内で詫びつつ――アーラは群青の葡萄酒のいざないに応えて、みずから腕を伸ばすのだった。




