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65、死神の馬

「どんな物語りがお望みなの?」

 アーラが問うと、コルディアはけろりといってのけた。

「毒の話がいいわ」

 語る当人が、毒に倒れたばかりだというのに。

――でも、それを無神経だとは感じさせないのが、すごいところだわ。

 遠慮がないように見えて無遠慮と思われるほどではなく、あけすけのようでいて、絶妙なバランスで人を不快にさせないすべを心得ているコルディアに、アーラは好感を持った。

「毒の話、ね」

 毒、と聞いて記憶をひとさらいする。毒林檎を食べた白雪姫、仮死状態になる毒をあおったジュリエット、世界の終末まで毒蛇の毒の脅威にさらされ続ける北欧の神ロキの話。

 幸いにもというべきか、アーラの脳裏の引き出しには、それらよりなおいっそうおあつらえ向きの在庫があった。

「『蒼ざめた馬』、という物語りをしましょうか」

 コルディアはきょとんとした。

「蒼ざめた、馬?」

 『蒼ざめた馬』はミステリの女王、アガサ・クリスティの作品だ。ちまたでよく知られている「ポアロ」や「ミス・マープル」のシリーズほど有名ではないが、アーラはクリスティの数ある作品の中で、この『蒼ざめた馬』が一番好きなのだった。

「そう。蒼ざめた馬とは、死神の騎馬のことをそう言うの。この物語りでは、その蒼ざめた馬が看板になっていた元居酒屋が問題になってくるのよ」

 何度も読み返した、細かな字の文庫本。コルディアが気に入るに違いない物語。

 アーラは語り始めた。

「あるときある国に、歴史学者の若者がいました。彼は自分の名付け親である老婦人の形見分けをしてもらったのだけど、ひょんなことから、この老婦人は自然に亡くなったのではなく、誰かに殺されたのではないかという疑問を抱くようになるの。殺されたかもしれないとはいっても当初は病死として処理されたのだし、もちろん目に見えてあやしい傷や痕跡はなかった。けれど、老婦人は〝呪い殺された〟のではないかと疑うに足る状況証拠が、少しずつ出揃ってくるのよ」

「呪い殺す、ですって?」

 長い睫毛にふちどられたコルディアの目の奥に、馬鹿にしたような色がひょいとのぞいて、すぐに消えた。アーラはかすかに笑んであとを続けた。

「そうよ。ナイフや鈍器で誰かを殺せばどんなに気を配ってもどこかから――凶器とか、血痕とか、頼んだ殺し屋とか、目撃者とか――そういったものから足がついてしまうけれど、呪い殺すのでは殺人を犯す過程を証明できないから、法律上罰せられないでしょう? しかも、たとえ逮捕して法廷に引き出して『私が誰々を呪い殺しました。私には黒魔術の力があるのです』なんて証言させても、聞く人は被告の気が狂っていると思うか、戯言を言っているとしか考えないわ。それにグランヴィールでも、呪殺は殺人とは認められないはずよね?」

「ええ。呪いで人が殺せるだなんて、今時小さな子どもか、とんでもないヒステリー持ちの年寄りくらいしか信じちゃいませんわ」

「多くの人がそう思っているわね。もちろん、物語りの主人公である歴史学者の彼も、本当に呪いやまじないで人を死なせることができるとは思っていなかった。でも、その呪いが本当にまがいものであるということを、確かめる必要があったのよ。だから彼は呪いがおこなわれているという元居酒屋を訪れ、真偽をたしかめることにしたの。

 もともと居酒屋で、〝蒼ざめた馬〟の看板を飾っている建物は、いまでは三人の老嬢の住居になっていたわ。一見社会にそれなりになじんで暮らしているようだけれど、彼女たちは冗談交じりに魔女と称され、あやしがられ、不気味がられてもいた。そして、邪魔者を消したいなら蒼ざめた馬にいってみなさいという、そんな噂もあった。実際、〝蒼ざめた馬〟に関わった人物のまわりで、次々と人が死んでいるのよ。でもそれはすべて病死として、不自然ではない死として扱われてしまっている。お年寄りの体がだんだん弱ったり、死因が腫瘍だったり、かかった風邪がなかなか治らなかったり。

 死んでいった者たちの生活にこれといった不審者は見当たらないし、昨夜の夕食にあたったというふうでもない。呪いがはじまったその日から少しずつ弱り、腫瘍が発生し、やつれて髪が抜け落ちていくのは、やはり呪いが原因としか思われない状況になっていくの。そこで若き歴史学者は、それが本当なのかどうか突き止めるために、仲間の女性と協力して魔女たちに偽の仕事を依頼したわ。憎むどころか……死んでほしいと思うどころか仲間であり、本当は好意を抱いてさえいるその女性を呪い殺してくれと、魔女にたのんだのね」

「そしてまさか、本当にその女性が呪い殺されたわけじゃないでしょうね?」

 アーラはコルディアに微笑んだ。

「話の先をそんなに焦らないで頂戴。彼の依頼を受けて、魔女たちはあやしげな儀式を始めたわ。鶏の生贄を捧げ、何やら装置を動かし、あやしげな声と装置の光がまじりあって……そして、これで呪いはかかったということになるの。でも仲間の女性はこのときまだぴんぴんしていたし、きっと呪いだなんてただ人を不安にさせるだけの暗示に違いないって、そういう結論を出そうとしたのよ。でも」

「でも?」

「彼女は少しずつ、ほんの少しずつ、体の不調を感じるようになっていったの。医者を名乗る犯罪者に毒を注射されたとか、誰かに転ばされて頭を打ったとか、そういうことなしに。彼女は怪しげな人間にはとても注意していたし、これといってどこかへ出かけることもなかった。それなのにじわじわと蝕まれていくかのように、体調がおかしくなっていくのよ。そしてもう、呪いが効きはじめたとしか思えなくなるの」

 コルディアは眉間にしわを寄せ、上目遣いにアーラを見た。

「けれど結局、呪いではなかったのではなくて?」

 アーラはうなずいた。もちろん、これはミステリの女王クリスティの推理小説なのだから、もやもやとした呪いや魔法が手段なのではなく、巧みな手口とミスリーディングと犯人がそろっていてしかりなのだ。

 物語りは、やがて終盤を迎える。そしてアーラは声をぐっとひそめ、コルディアにしか聞こえない声で、その「呪い」が、巧妙な「犯行」であったのを――いかにしてその「犯行」を「呪い」に見せかけていたかを主人公らがあばいてゆくのを、順を追って語っていった。

 コルディアは満足げなため息をつき、目が異様にきらめくほど興奮した様子で告げた。

「素晴らしくおもしろかったわ。さすが、王子殿下の語り手でいらっしゃるわね」

「いいえ、もとの話が素晴らしくおもしろいのよ。私はただ語っただけ」

「アーラ様のその聡明な頭脳には、いったいどれだけの殺人のやり方がつまっているのかしら?」

 コルディアの口調はもちろん冗談めかされていたが、半ば本気で知りたがっていると思われるほど、彼女の目には貪欲さがひらめいたのを、アーラは見逃さなかった。

――コルディアは、人を毒殺するように仕込まれて育ったと言っていた。セリスティンにそんな境遇から救い出されるまでは。でも……昔の生活を憎んで蔑みながらも、どこかでまだ引きずっているのかもしれない。

「どれも、机上の空論よ」

 笑顔でアーラは釘をさした。

「現実ではありえない緻密な計画が破綻なくきれいにおさまっていて、それが少しずつあばかれて過不足なく清算されるところまで一遍の物語に整っているのが私は好きなの。実際は犯人も死体もページにおとなしくおさまるほど行儀がよくないから、本物の殺人は当然嫌いよ」

「ええ、そうでしょうとも」

 そのとき、客間のドアがノックもなしに開け放たれた。

「アーラ!」

 びくりと身がすくむほどに、その声はするどかった。アーラはおとないも告げずに乱入してきたジルフィスを、ただただ驚いて凝視した。

 よほどいそいできたと見えて、狐色の髪が乱れている。蜜色の目に甘さは微塵もなく、焦燥と恐れが入りまじり見開かれていた。その双眸が、ベッドの上のアーラを注視した。

「大丈夫なのか」

 今にも粉々に砕け散りそうなガラスさながらに張り詰め、ひどく切羽詰っている彼から、あふれこぼれるほどの不安を感じ取って、アーラはようやく体から力を抜いた。

「大丈夫よ。コルディアが助けてくれたの。だからジル、安心して」

 アーラが応えた途端、憑き物が落ちたようにジルフィスの表情が和らいだ。

「よかった……」

 コルディアを押しのけてベッドの傍らにひざまずき、アーラの額をゆるりとなでた。

「倒れたと聞いて――毒を盛られて倒れたと聞いて、俺がどんな気持ちだったと思う?」

 コルディアは大いに気に入らない様子でジルフィスを睨みつけ、丁寧なのか無礼なのかわからない例の口調で毒づき続けていた。それでものれんに腕押しだと察すると、アーラに肩をすくめて見せ、いそいそと部屋を出て行った。おそらく、アーラをジルフィスに任せてゼファードに報告に行くのだろう。

「私が倒れたって、誰から聞いたの?」

「ゼファだよ。君の命にかかわることだってというのに腹が立つくらい奴は冷静で、最後までとても聞いていられなくって、ここまでいそいできたんだ」

 これほどまでに心配してもらえるのは妹冥利に尽きる。だがゼファードが責められるのは本意ではないし、もともと命に関わるような毒ではなかったのだ。さらに言うなら、ゼファードがこの事件をなんでもないことのように冷静に語ったというのも、ジルフィスの主観だと思いたい。

「誤解しないで頂戴。ゼファがコルディアをよこしてくれたから、大丈夫だったの。それに、はなからたいした毒じゃなかったのよ。それはコルディアも言ってたわ。たぶん敵にしてみれば、私をこわがらせることが目的だったんでしょうね」

「だからって、命を狙われていないとは言い切れないだろう? ここじゃ危ない。屋敷へ帰ろう」

 最後の一言は提案ではなく、有無を言わせぬほど強いもので、アーラはぽかんとした。

「ちょっと待って。私はゼファの家令だしここにいてしかるべきで、誰かさんから挨拶代わりに命に別状のない毒を盛られたからって、おめおめと屋敷に引っこんでるわけにはいかないわ。もうちょっと休んでいれば、すぐに本調子にもどるわよ」

「そしてまたおめおめと毒を盛られるって?」

 ジルフィスは言い、羽根布団を軽やかに剥ぐとアーラを問答無用で抱えあげた。

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