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64、暗殺会議

 ゼファードは唇の傷を舌先で探り、何の味もしなくなったことと、指でなでて赤い色がつかなくなったことで血が止まったことを知った。

 それをどこか惜しく思う自分を感じながらも、彼はやるべきことに着手した。

 やるべき細かなことはたくさんあったが、それらはほとんど、末弟派に付け入る隙を与えないための日常の雑務と末弟派を排斥するためにめぐらせる罠でしかなかったから、結局、ヴァーディスさえ取り除くことができれば、話はずっと簡単になるのだった。

 ヴァーディスが国境付近でひと悶着起こそうとしていることは――具体的に言ってしまえば、隣国の国境を預かる有力者にグランヴィールでの地位を約束して買収し、留守宅同然になったその地域への侵略を企てているということは――あきらかだった。

 その買収資金と武器購入資金にあてるために、ゼファードの地所の収益が横領されている。露見すれば、ゼファードがヴァーディスに与していると見られるおそれは充分にある。だからといって表沙汰にして罰するのも角が立ち、さらに王家の醜聞として顰蹙をかうため容易には動けないという、何とも狡猾な計画で面倒な事態なのだった。

 しかし、そのように狡猾で面倒きわまりない相手であるヴァーディスも、甥を甘く見積もっていた。彼の印象では、甥のゼファードはお堅い事なかれ主義者で、思い切った決断に踏み切るよりも、法にのっとり事務的に破綻のないやり方でちまちまと足掻くだけのものと、計算していたのだから。

 もちろん、当人であるゼファードも、ヴァーディスどころか多くの宮廷人がおのれをそのように評価していることを知っていた。

 実際のところ、ゼファードはお堅く生真面目な性質であるし、先例にのっとるほうが面倒が少ないと考えている。道理からはずれた物事の処理は至極煩わしいので、できるかぎりそんな処理をする羽目に陥らないよう立ち回っている。

 だが、アーラを自分の従妹にしてしまったり暗号じみた言語を学んだり一癖も二癖もある密偵を抱えていたりと、グランヴィール王たる父の子にふさわしく、腹の中にそれなりのものは持ち合わせている。つまるところ、面倒で煩わしい事態を回避するためなら、多少道理から外れていても使える手段を行使する程度には柔軟なのだった。

「いまのところ、後手後手だからな」

 悪友のもとから呼び出した密偵を前にして、彼は言った。

「このあたりで先手に転じる。できることなら、荒っぽいことはやりたくないんだが」

「では、やらなければよろしいのに」

 ゼファードが睨むと、くすくすと彼女は笑った。ごく実用的な服装の彼女は、夜会でやたら目立つ存在と同一人物とは思えないほど、ありふれたただの美人に見えた。

「冗談ですわ。けれど、殿下がそういった手段をわたくしにお許しになるのは、よくよくのことだと存じておりましてよ。……ねえ、アーラ様のためなのではなくって?」

 ゼファードはおのれの眉間にくっきり皺がよったのを感じた。目の前の少女は――否、アーラをしのぐほど若く少女のように見せかけて実は、ゼファードよりも年長の彼女は――彼女の悪魔じみた美貌の恋人と同じく、性格も大層悪魔じみているのだった。

「口が裂けてもアーラにはそう言うな。これはアーラの〝ため〟じゃない。政治的手腕だけで弟の暴走を止められなかった朴念仁の王と、どこに耳や目や脳みそをつけているのかわからないくらい阿呆な議会の面々の〝せい〟だ」

「それもそうですわね」

 コルディアは悪魔めいた微笑を浮かべたままあっさりうなずいて、

「で、どのように始末なさいますの? 明らかに毒殺されたとわかる死に様では、真っ先に殿下が疑われるでしょうし、ここは病気になっていただき自然死に見せかけるのが一番だとは思いますけれど。……食事にはすべて毒見がつき、立食の夜会では他の方々に被害が及ぶおそれがあり、皮下に注射できるほど近づく手段がないとくれば、いったいどうしろとおっしゃって?」

 無論、コルディアを寝所に忍び入らせるなどありえない。ゼファードは、王子に仕掛ける罠とするべく、そのためだけに生かされていた憐れな娘のことを思い出して身震いした。コルディアも、セリスティンに救われるまでは、あの娘とそう変わらぬ境遇だったのだ。

「おまえのほうが毒にはずっとくわしいだろう? 夜会のダンスのときにでも仕掛けられるんじゃないか?」

「ただ暗殺するだけなら、それも可能ですわ。ダンスにかぎらずとも、ずっと簡単です。けれど周囲の目がなく、しかも証拠を残さず――針の痕すら残さず――やってのけるというのは、相当の運と素晴らしく細い針と、その細い針でも一瞬で致死量を――しかもゆるやかに死をもたらす効能の毒を……ああもう! つまり、九割九分無理でしてよ。毒よりも、事故を装って崖からでも突き落とすほうが簡単ではなくって?」

「だれが突き落とすんだ?」

「……末弟殿下と二人きりになって不自然でなく、尚且つ突き落とした後、どんな追及や拷問を受けてもシラを切りとおせるような都合のいい人物は皆無ですわね」

「ああ。ヴァーディスと心中でもしなければ、事故こそ無理だ」

「暴れ馬の馬車をけしかけるとか?」

「古典的だな。あまりに古典的すぎて、都合よく暴れ馬がヴァーディスにつっこんだのを、ただの偶然だと世間は見なさないだろうな。しかも、凶器が大きいだけにとばっちりを受ける者もそれなりに出ることだろう」

「つまり、毒しかないということですわね」

「だからおまえを呼んだんだ」

 コルディアは小さな肩をすくめ、苦笑いした。

「俺の頭では他に思いつかなかった。ほかにいい方法があったら言ってくれ」

「謙虚ですこと」

「心にもないことを口先にするのが得意だな、おまえは」

「十年前までは、それが身上でしたから。……とにかく、考えてみますわ」

 そして優雅に臣下の礼をとり、立ち去ろうとした密偵を、ゼファードは呼び止めた。

「コルディア。もう一つ、頼みがある」

「なんですの?」

「アーラを守ってほしい」

 コルディアはいぶかしげに首をかしげた。「体はひとつしかないのにどうやってアーラの護衛とヴァーディスの暗殺をやってのけろと?」――そう考えているのが、ありありと伝わってくる。

「アーラに四六時中はりついて護衛しろというわけじゃない。……俺が、アーラのそばにいられるときはいいんだ。ジルでもユンナでも、あいつらがいてくれるならそれでいい。だが、そんなときばかりじゃないだろう」

「現に今はお一人でしょうね」

 指摘されて思わずゼファードは顔をしかめた。

「おまえなら、尚書官であるユンナより目立たないだろう。尚書官がしばしば欠勤しては怪しまれるが、コルディアなら友人とでもセリスの使いだとでも何とでも言える。つかず離れずに、アーラのまわりを見張ってやってくれ。あいつを、守ってほしいんだ」

「それなら、腕っ節の強い者におっしゃればよろしいのに。王弟閣下の娘御ですもの、強面の護衛が一人二人ついたところでおかしくなくてよ。なぜそうなさらないの?」

 既に答えを知っている顔で、わざわざ彼女はそう問い返してきた。ゼファードは小さく息をついて、コルディアの大きな目を見返した。

「腕っ節が強ければいいわけじゃない。……俺は、アーラから警告を受けたんだ。今のままでは俺は殺されるのだと。俺もアーラも危ない。だがそれは、どうやら力ずくで殺されるわけじゃない。謀殺だ。謀殺に腕っ節ではかなわない」

「だから、〝ここ〟のよろしいわたくしの出番だと?」

 こめかみをこつこつたたいてコルディアは艶然と微笑んだ。「厳密には違う」とは、賢明にもゼファードは口にしなかった。

「たのめるか?」

「期待しないでいただけるなら」

 それがヴァーディス暗殺のことを言っているのか、アーラのことを言っているのか、コルディアははっきりさせないまま出て行った。

 だがしばらくの後、アーラが毒で倒れたものの回復し、近くに居合わせた少女が介抱していると聞き及んだゼファードは、コルディアを遣ってよかったとつくづく思い、胸をなでおろした。

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