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60、王子殿下の密偵

 ジルフィスが尚書局の一室をたずねると、口を開くより前にユンナに目顔で止められた。

 ユンナはしばらく気配を探るように耳を傾け、黙っていたが、しばらくして満足したのか唐突に口を利いた。

「散歩に出るぞ、ジル」

「あ?」

 なぜ散歩などに出なければならないのかわからず、ジルフィスはとんでもなく間の抜けた面持ちをさらしてしまった。

 しかしユンナは有無を言わせずに、

「真面目に根をつめている尚書官と、顔色の悪い筆頭騎士には休息が必要だ。ちょうど外の空気を吸いたいと思っていたところなんだ。つきあえ」

 椅子にかけてあった外套を羽織ると尚書局を出た。ジルフィスですら置いてきぼりにしかねない大またで石畳を歩いてゆく。女性にしてはかなり長身の部類である彼女のコンパスは、そこいらの騎士よりも長いのだ。南側の庭園に向かっているようだった。

 王城に数ある庭園の中でもユンナが選んだのは迷路のようなバラ園でも凝った形に刈り込まれた木々が並ぶ区画でもなく、芝生と花々の絨毯が広々と続く見晴らしのよいなだらかな丘だった。冬に近づいてゆく季節ゆえに花の種類は少ないが、それでも庭園としてそれなりの面目を保っている。

 ユンナはジルフィスを振り返って、にっこりした。

「一介の尚書官ユンナ・ゾルデと筆頭騎士殿が旧知のあいだがらであることは秘密ではないし、連れ立って散歩をするのだってたびたびあることだ。誰も不信には思わんだろ。だが、用心するに越したことはない。ここなら誰にも立ち聞きされないし、どんな間諜も私たちに姿を見せずしてこちらをうかがうことはできない。さあ、思う存分話してみろ」

 ジルフィスはユンナの用心深さを感心すると同時に、煙たいとも感じていた。

「こんなところまでくる必要があったのか?」

 彼らが「旧知のあいだがら」であることによって尚書局の一室でぐだぐだ展開される雑談に、末弟派の間諜たちがわざわざ聞き耳を立てているとは思えなかった。

「あると私は思うね。あんたの話の内容にもよるかもしれないが。さ、話せよ」

 このまま帰ったところで無意味なので、ジルフィスはグランヴィール王がつい先ほど打ち明けた旨を話し出した。

 ユンナ・ゾルデは黙ったまま一通りジルフィスの話を聞いてくれたが、話しが終わるやいなやこういった。

「あんたは愚痴りにきたのか私の意見を聞きに来たのか、どっちなんだ?」

 ユンナの声音に呆れと苛立ちを聞き取って、ジルフィスは慌てて気分を引き締めた。

「意見を聞きに来たんだ、もちろん」

 たしかに、大いに愚痴じみてしまったかもしれない。だがあのように馬鹿げて無責任な話を王から聞かされたのだからたまったものじゃない、仕方ないだろうといいかけたジルフィスを、ユンナはさえぎった。

「ジル。アーラお嬢さんに恋するのは大いに結構だ。だが、恋は盲目というがな、恋と無関係なことにまで盲目になってもらっちゃこまるぞ。あんたはどこに目と耳と脳みそをつけてんだ?」

 吸い込んだ空気がひゅっと喉で鳴る。理不尽な中傷にジルフィスの苛立ちは大いにふるえ、それは怒りに変わる限界でかろうじて留まった。

「貴様はなにが言いたい? アーラのことと、俺が今話した王の馬鹿げた話はまったく別問題じゃないか!」

「はっきり言おう、ジル。王がおっしゃったあれはデマだ」

 沈黙が下りた。

 ジルフィスはユンナの言葉を反芻し、それでもなおその意味が飲み込めずにいた。

「……王がおっしゃったあれ、というのは、どれが〝あれ〟なんだ?」

「疲れただとか王妃が恋しいとか王制への疑問とか、その辺の心情は陛下の本音だろうな。しかし陛下ご自身をぽっくり死んだことにしてもらって、後は末弟殿下だろうが好きにやってくれというのは餌だ。ひっかけるための」

 ジルフィスは古馴染みの顔をまじまじと見つめた。大金持ちに花街で少年と間違えられて見出され、紳士にも淑女にも泥棒にも公僕にもなれる教育をほどこされたユンナ・ゾルデ。ゾルデ卿が養子である彼女にそれほどの知識と技術を習得させたのは、卿の交易という商売を拡大する一助にするためにちがいないが、それが達成されるより前に卿は鬼籍に入った。

「……おまえは、あの場で陛下の話を聞いてたのか? クオードが見張っていたのに」

 ユンナは唇の端をつりあげ、目を細めた。

「ドアに耳をくっつけなくたって、話を聞く方法はいくつもあるさ。王子殿下の密偵をなめてもらっちゃ困るな」

 商売を他人に任せて尚書局で働くユンナをゼファードに紹介したのはジルフィスだが、ジルフィスが知る以上にユンナは大いに活躍しているらしい。……そう。ユンナ・ゾルデは、ゼファード王子殿下が抱える密偵の一人なのだった。

「ゼファード殿下だって気づいたんだ。同じかそれ以上に、陛下も末弟ヴァーディスが国境付近でよからぬことをしでかしてるのに気づいている。……そして陛下は、殿下がまだ疑ってすらいない、裏切り者の存在にも目星をつけた」

「裏切り者だって?」

 ユンナは笑みを消してうなずいた。

「陛下ご自身とゼファード殿下を裏切り、あざむいている輩と言うべきかな。こいつをあぶりだすために、陛下はあんたたちをゼファード殿下に同行させなかったんだよ。思うに、陛下が裏切り者候補として目してらっしゃるのはあんたとグラントリー閣下、そしてクオードだ」

 ジルフィスは喉元をつかまれたようなショックを受けた。

「俺や、親父が裏切り者だって?」

「ここでの裏切り者の定義は、グランヴィールという国家そのものや陛下よりもヴァーディス殿下のほうに忠誠を誓っているということだろうな。だからこそ陛下はあんたたち三人を招いて――もっとも、クオードはドアの向こうだったが話の内容は聞こえてるだろうからな――デマを吹き込んだんだろうさ。ああしてとんでもない話を聞かされたんだから、あんたと閣下とクオードのうち誰か裏切り者の間諜は、主人であるヴァーディスのところに報告に行くってわけだ。つまり、陛下の執務室を出てすぐにあんたには尾行がついたと思うよ。きっとこっちに近づくことができずに、あの繁みの陰あたりで気を揉んでいるだろうがね。かわいそうに」

 その繁みを思わず振り返り、呆然とジルフィスはユンナに視線を戻した。誰が裏切り者なのか――その問いの答えはひどく簡単なようにも思えたが、同時にそれはありえない答えでもあった。

「クオードなのか?」

「私にきくなよ」

 ユンナはにべもない。

「でも、親父であるはずがない」

「じゃあ、クオードなんじゃないか?」

「それもありえないんだ。いや、万が一陛下とゼファが争うようなことになったら、クオードは陛下を裏切って、ゼファに忠誠を尽くすとは思う。それは考えられる。けど、ゼファを裏切って末弟派につくなんてことは空が落ちてきたってありえない」

 ユンナは肩をすくめて、遠くを見遣った。

「どっちにしろ、遠からず陛下が答えを突き止めるだろうさ。殿下やお嬢さんが帰ってくるよりも先に」

 けれどもそうはならなかった。

 ゼファードとアーラの帰りは、思いのほか早かったのだから。

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