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59、警告

――ああ……これはまたあの、悪い夢だ。

 アーラは目の前に現れた絞首台に、吊るされているおのれの姿を見た。首の骨は折れているらしく、頭の重さでうつむいているため、ありがたいことに死に顔は見えない。

 さわさわとそよいでいる黒髪が、不意に波打つ褐色に変わった。ゆっくりと頭が持ち上がる。アーラは吐き気を催してしまわぬように腹に力を入れたが、こちらに向けられた顔は崩れても、鬱血してもいなかった。可愛らしい面立ちだ。

「これは、警告」

 絞首台の乙女が、白いうなじに縄を食い込ませたままそう囁いた。

「これは警告よ」

 アーラはまじまじと彼女を見返した。やはりティアーナに……ジルフィスに似ている。その甘やかでたおやかな、少女じみた女性が縄でぶら下がっているというのは、不謹慎かもしれないがどうも滑稽な画と見えた。

「あなたはだれ?」

 アーラは率直にたずねた。

「ジルの妹ね?」

「私はあなたよ」

 絞首台の彼女は即答した。

「もちろん、ジルフィス・グラントリーの妹でもあるけれど」

「知ってるわ。ティアーナが、街道の途中で破水してしまったって聞いたの。予定日よりもずいぶん前に」

「ええ、そうね。それでも私は、あなたでもあるのよ」

 禅問答のようで、アーラにはわけがわからなかった。

「あちらをご覧になって」

 うながされて、アーラは彼女の視線を追った。そこにはいつの間にかもう一台絞首台が現れて、一人の若者が吊るされていた。後ろ姿しか見えないがそれはアーラであり、やがて角髪を結った皇子になり、王子に――ゼファードになった。

「これは警告よ」

 彼女は繰り返した。

「このままでは、いずれこうなる」

「このままでは……いずれこうなる?」

 彼女がはっきりうなずくさまを見て、アーラは慄いた。

「これは予知夢だというの?」

「夢ではないわ。これは警告。今のままでは、王子は殺されるわ」

 褐色の髪の乙女は吊るされたまま、ほっそりとしたかたちよい指でゼファードを示した。

「王家の血を引き野望を抱く者にとって、正統なる王子は脅威だもの。彼は、きっと殺されてよ。私が――あなたが、止めない限り」

「私が?」

 アーラは面食らいながら、脳裏で渦巻く記憶に心奪われていた。

 歴史というよりもまるで物語りのように語られる千数百年前のこと。母はさして身分が高くないが、父こそが帝であった皇子は、義理の伯父に命を狙われる。周囲の多くが帝のあとを継ぐのは皇子ではなく伯父だと了解していたにもかかわらず、その伯父は皇子を脅威とみなしたのだ。

 そして清らかな皇子は、陰謀と信じた者の裏切りのために、絞首となった。

「王子は殺されるわ。そして、あなたも。みんな」

 アーラが途方くれた。

「私にどうしろというの?」

「おのずとすべきことがわかるはずよ」

――わかるわけないじゃないの。

 ふと、まるでノイズのようにアーラの意識に雑音が入り、乙女の声が遠くなった。

「あなたのしたいようにすればいいのよ」

 そのときだった。

 吊るされているゼファードの体が傾ぎ、乙女とは似ても似つかぬ生気のない首がちらと視界に入った。たちまちアーラの記憶と、自分の名前の由来と、それに伴う想像と、昨日街道で見た悪夢がすさまじい勢いであざやかな狂気となり、彼女に襲い掛かった。

 警告は明確な恐怖となり、吊るされていた首が重力に従ってごとりと落ち、それがアーラの上に降ってきて……


 自分の悲鳴で目が覚めた。

 アーラは荒れ野でも絞首台でもなく、辺境貴族の客室のベッドにいるのだった。真上にゼファードと侍女でもある女官の顔があり、心配そうにこちらをのぞきこんでいる。

「アーラ様が大変うなされて、お苦しみのご様子でしたので、殿下にお知らせ申し上げてしまいました。お許しくださいまし」

 弁解がましく言う女官に「いや、おまえはよく知らせてくれた」とゼファードはねぎらってやって、彼女に退室するよううながした。アーラは壁のほうへと寝返りを打ち、流れ続けていた涙をこっそりぬぐった。麗しの美少女でもなければ涙など最悪だ。

 ゼファードが言った。

「疲れているのかもしれないな。昨日から、うなされてばかりだろう」

 アーラは「警告」についてどのように説明すべきか、まだわからなかった。伝えるべきだとは思うのに、自分の中で整理すらつけられていないのだ。

 何よりもまず、顔を洗ってさえいない夜着の姿で――もちろんベッドの中にもぐりこんではいるが、それがなおいっそう悪い気がする――早朝ゼファードと対面する羽目に陥っていることに気づき、うめいた。このていたらくでは、早くも家令失格だ。

――ゼファもゼファで、来たりしないで女官に任せておいてくれれば良かったのに。

「あの」

 アーラが様子をうかがいながら声をかけると、ゼファードが耳を傾け顔を近づけてきた。突然、昨晩「アーラがいい」と告げたときの彼の声が、まなざしが頭をよぎると共に、夢の中の吊るされた姿が浮かんで、背中の内側が冷たい手で撫でられたかのようにひやりとする。

「身づくろい、するから。あの……廊下で、待っていて」

 それを聞いてなぜかゼファードはやや不機嫌になったらしかった。

「だから言ってるじゃないか! 無理がたたるのだと。今日一日ぐらい休めばいい」

「身づくろいくらいしないと。仮にも殿下たるお方に、合わせられる顔じゃないもの」

「……俺が、アーラがいいと言ったのは」

 憮然とした口調が、壁と向き合っているアーラの後頭部にぶつかった。

「なにも、二十人の女官に洗濯されてドレスの山に突っ込まれたアーラばかりがいいと言ったわけじゃないんだ。本当に」

「でも、仮にも王子殿下にこんな」

 ひゅっと吸い込まれる息に彼のもどかしさを感じ取って、アーラは慌てて振り返り、言った。

「ゼファ」

 見開かれた藍色の双眸とまともに見合う。生きている目。きちんとつながっている首。それを見とめてまた勝手に滲む涙をアーラは飲み込んだ。

「……大丈夫だから。ちょっと手を、貸してくれる?」

 眠ったはずなのに、眠る前より疲れている気がする。アーラはゼファードの腕につかまって起き上がりながら、顔にかぶさった前髪をかきあげた。

「もう一泊しなくたって、大丈夫だから。それよりもお願い、帰り道に馬車で話したいことがあるの」

 なんとかして、彼にも「警告」しなければ。

――私だって、馬鹿げていると思えるのに。

 それでもアーラは決意して、立ち上がるべく上履きを探した。

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