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57、囁き

「アーラに教えてほしいことがある」

 そう言ってゼファードは部屋の奥の長椅子に腰掛け、アーラを手招きした。

 アーラはテーブルを挟んで彼の正面にある一人がけの椅子に座ろうとしたのだが、ゼファードは扉に背を向けている長椅子に――彼の隣に座るように示した。

 アーラが思わず眉をひそめると、彼はほとんど空気音だけの早口で囁いた。

「悪いが本当に、秘密の会議をせざるを得ないんだ」

 ゼファードはためらいがちに、「あのドアを閉めてもいいなら、多少声は出せるかもしれないが」と言ったが、アーラは燭台をそのままにして隣に座ることにした。なぜドアを閉めて音量を上げてもらうほうを選ばなかったのか、後で考えても良くわからなかった。

 何であれ、隣り合って腰掛けて身を寄せ合っていれば、万が一ドアの隙間からのぞき耳をそばだてる者がいたとしても、王子とその婚約者候補が親しげに語らっているようにしか映らないだろう。そのように映ることが不本意であっても、ゼファードの言う秘密とやらは守られるわけだった。

「で、何が起こったの?」

 アーラは囁き返した。

「教えてほしいことがあるって言ったって、こんなところで私がゼファに教えられることなんて、なかなかないじゃないの」

 ゼファードは懐から折りたたんだ紙を取り出した。

「早馬が着いた。これを運んできたんだ」

 アーラは黙ってそれを受け取り、ゼファードの視線にうながされて広げた。

 そこにえがかれていたのは落書きのようなペン画で、しかしそのペン先で雑多に引いたかと思われる柄の中にたしかに日本語の文章を見つけてアーラは目を見張った。セリスティンの字だ。

――絵の中に字を隠したの? 万一盗られても、気取られにくいように。

 字自体はいびつでほとんどがひらがなだが、きちんと文の形を成している。さすがはセリスティンだと、アーラは舌を巻いた。

「なんて書かれているのか、教えてほしい」

 ゼファードにうなずいてアーラはまず黙読し、そしてさきほどまでよりさらに声をひそめて読み上げた。

「国境方面から末弟のところへ早馬がきた。帳簿を燃やしているのを発見。殿下のそばに間諜がいるおそれあり」

 ゼファードの表情がたちまち険しくなり、苛々とこめかみをこすった。アーラも「間諜」という良い思い出のない言葉の出現に顔をしかめていた。

「これだけで、どういうことかわかるの?」

「俺たちの今回の遠出は表向き、例の地所のただの視察だ。帳簿を調べに行くという目的を知っているのは、ごく一部にかぎられている。俺とおまえと、ジルフィスとクオード、セリスティンとコルディアとユンナ・ゾルデ、そして向こうの代官くらいだ」

「私たちがあっちに着いてないのに、不正がびっしり書き込まれてる帳簿が王城までわざわざ持ち込まれて、さらに燃やされてるのなら……」

 何通りもの可能性を考えて、そのどれもがろくでもない可能性でしかないことにアーラはうめいた。

「そうだ。俺たちが行くと知ったと同時に代官が証拠隠滅をはかったと考えるのが一番簡単だが、それならその場で燃やしたほうがずっと早いし安全だ。なのになぜ、わざわざ王城まで持ってきてから燃やした? ……俺は、王城にいる〝誰か〟にその帳簿を見せる必要があって、その後でなければ燃やせなかったからだと思う」

「それに、遠くから王城まで持ってくるのだってそれなりのリスクがあるでしょう? 確実に家宅捜索されると知らなければ――視察に来られて念を押される程度にしか思ってないならば、普通、隠すわよね。屋根裏なり床下なり、埋めるなり」

 囁き声で話し続けるのはなかなか大変で、アーラは途中何度も唇を湿らせなければならなかった。

「徹底的に家捜しされるとわかってたってことはつまり、間諜がそのことを知らせた、と」

「セリスはそう考えたんだろう」

「……やっぱり、私が間諜だと思うの?」

「そうは思ってないからセリスもアーラにしか読めない字で書き送ってきたんだ。俺だって、疑っていたらこうしてこそこそしゃべるのをとうにやめている。茶番だからな」

 そういわれてアーラは言いようもなく安堵した。自分が裏切らない身内だと認めてもらえていることが、とても嬉しかった。

「明日、どうするの? 帳簿はなくなっていても、予定通り代官を締め上げに行くの? それとも、王都に帰る?」

「証拠帳簿がなくなったとわかった上で行くのは無駄足だ。理由をなんとでもでっち上げて、帰ろうと思っている。代官にはあとで召喚状を出せばいい。だが、おまえの体調が優れないなら、もう一泊ぐらい休んでいっても」

「一晩寝れば大丈夫。万が一私が明日の朝動けないくらいひどかったら、置いてってくれてもいいわ」

 アーラは冗談めかして言ったのに、ゼファードはひどく憤慨した様子だった。

「妃候補を残して帰られるはずがないだろう」

 囁き声で憤慨するというのは奇妙な芸当だった。たしかに彼がアーラを残していけばたいそう体裁が悪いだろうと彼女は思い当たって、軽はずみな発言を反省した。

「ごめんなさい。たかだか候補者だけど、扱いがぞんざいだと周りの目に見えたらゼファの評判にもかかわるものね。明日こそ、迷惑かけないようにするから」

「違う、そういう意味じゃない」

 ゼファードはかぶりを振った。アーラはまばたいて、首をかしげた。

「いいのよ、王子殿下が私風情にそんなに気を遣わなくたって。表向きは、人の目があるからちゃんとしなくちゃいけないかもしれないけれど。私はごたいそうな生まれ育ちではないから、気にしないわ。晩餐会にずらりと並んだほかの候補者たちは、育ちのよさがにじむどころか後光みたいに背負われていたけれど」

 ゼファードがこちらをじっと見ている。アーラはいたたまれなくなって目をそらした。

「そういえばゼファは、もう最終候補者の三人を決めたの? でもまたいったん三人にしぼるだなんて、面倒よね。三人選ぶくらいなら、もう一気に一人に決めればいいのに。細かく段階を踏んで決めるのは伝統なの? 私がゼファだったなら、晩餐会で私の斜め前に座ってた令嬢をえらぶわ。ゼッティーラ家の次女ね。話し方に嫌味がなくて、知的で、それに緑色の目がとてもきれいだった。ゼファもそう思わない?」

「ゼッティーラの娘より、俺はアーラがいい」

 それは反射的に、独り言のようにこぼれ出た。

 その言葉のために、アーラはいきおいよく振り返ってしまった。自身の言葉に驚いているらしいゼファードと目が合う。

 彼は、本当に自分の舌がその言葉を発してしまったのか確かめようとするかのように口を開きかけ、また閉じた。

 ゼッティーラ家令嬢よりもいいと言われただけなのだから軽く受け流すべきなのに、アーラは真っ白になった思考のために何もできずにいた。「そう言っていただけて光栄ね」とでも、「お世辞言ったって何にもでないわ」でも、なんとでも軽口のたたきようはあったはずなのに。

 先に立ち直ったのはゼファードのほうだった。決然とは言いがたいが何かを決め込んだ様子で、彼は硬直しているアーラの肩に手を置く。そして、先ほどまでの会話よりもさらに低くかすかな声で、彼女の耳元に囁いた。

「俺は、アーラがいい」

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