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53、報告

 晩餐会が無事に済み、日常が戻った。

 しかしこれからは二か月余り年の暮れにかけて、新年早々七日続く祝宴のための準備が静かに、しかし熱心に始まってゆくのだろう。日常と思えるのはおそらくわずかの時間で、気づいたときには、人々が新年を待ち焦がれる気違いじみた熱気につつまれているに違いない。

 今日、ゼファードの執務室は静かではあったが日常ではなかった。そこにいるのはアーラでもジルフィスでもなくユンナ・ゾルデで、一介の尚書官が部屋の主よりも堂々としている。

 萎縮することなく執務室のソファに腰掛けて長い足を組んだ尚書官を、ゼファードはまじまじと眺めた。このジルフィスの古馴染みは、文書でやり取りはするものの王子の執務室は始めてのはずだったが、物怖じの「も」の字すら彼女の辞書にはないらしい。

「あのお嬢さんは本当にいい生徒だね。飲み込みが早いし、熱心だ」

 挨拶もそこそこに、ユンナはアーラをそう評した。ユンナの口調がくだけているのは手紙であっても同じことで、彼女は常々「育ちが育ちなものでね、礼儀がなっちゃいないのさ」とおのれを笑うが、彼女がその気になれば最高の紳士にも貴婦人にも化けられることをゼファードは知っていた。

「事務の基礎は初めからできているみたいだし、この分だと半年もあれば、立派な家令に仕上がるだろうよ。本当に殿下は、いい従妹姫をお持ちだね」

――まったくだ。

 いわれなくとも重々承知している。

 話題はアーラの勉強の近状から、尚書局に回ってくる書類から読み取れる末弟派の思惑の報告へと移った。末弟派は国境警備の予算要求を表立ってではなく、かなり遠まわしに水面下からおこなっているらしい。ユンナは彼女なりの筋から手に入れた暗号文書をゼファードに差し出し、それらが国境付近でかかれたものであると請合った。

「それ、セリスの大好物だろ。解読してもらうといい。きっと穏やかならぬことが書いてあるんだろうね。殿下が持ってる地所の一つも国境近くじゃなかったかい? これを機会にひとつ、代官から帳簿を回収して調べなおすようおすすめするよ。田舎代官の帳簿の監査くらいなら、今のアーラにもできるだろう。やらせたらどうだい? 実践もだいじだからね」

 ゼファードがうなずいて、それで話は終わりのはずだった。

 けれどもユンナはソファから立ち上がろうとはせずに、にんまりと笑みを浮かべてゼファードを見ている。ゼファードは自分の部屋にいながら居心地の悪さを感じて、身じろぎした。

「まだ、何か報告があるのか?」

「末弟ヴァーディスがお嬢さんに並々ならぬ興味を持ったらしいって話、ジルから聞いてるかい?」

 低くささやくように発せられた彼女の言葉に、ゼファードは目を見張った。

「なんだって?」

「晩餐会で食事が終わったあと、部屋を変えて歓談会ってことになったんだろう? その場で、ヴァーディス殿下がアーラお嬢さんに言い寄ったらしい」

――聞いてない。

 ジルフィスはヴァーディスに会ったとは言っていたが、アーラが言い寄られたなどとは一言も告げていない。血の気だけでない何かが、ゼファードの中で引いた。

「お嬢さんも言ってないんだろう? そうだろうね。だってゼファード殿下の婚約者候補という肩書きがあるってのに、ヴァーディスに妻か養女にと望まれたっていうんだから。私はお嬢さんから直接聞いたんだが、それは彼女がヴァーディスの情報を聞きだしたかったから仕方なしに話したんであって、できることならその出来事を口にもしたくなかったんだと思うよ。我らがお嬢さんはヴァーディスをたいそう嫌っているようだからね」

「……それでも、アーラは俺に言うべきだった」

 ユンナは温かく微笑んだ。

「そうだね。でも私は、お嬢さんの気持ちもわかるな」

「家令の務めとして、あったことは報告すべきだろう」

「家令としては、ね。だがお嬢さんは――あの子は、あんたをこんなくだらないことでわずらわせたくなかったんだろうよ」

 ゼファードはユンナの意図がわからずに、眉間に皺を刻むより仕方なかった。ユンナは意図が伝わらないのを承知の上で言ったらしく、微笑んだままだった。

「まあいいさ。とにかく、ジルフィスがお嬢さんに熱を上げているのは見てりゃわかるが、殿下だってお嬢さんのことが好きなんだろう? 末弟派の毒牙からお嬢さんを守んなきゃならないのは事実だし、私も協力を惜しまない。ゼファード殿下、あんた、候補を絞るだなんて無駄な過程すっ飛ばして、さっさとお嬢さんを妃に決めたらどうだい」

 とてつもなく重大で大変なことをさらりと口にしたユンナはそこまで言ってのけて、ようやくソファから腰を上げた。

「だが……アーラの気持ちという問題がある。俺はもう、あいつに何も強要なんて」

 おのれの気持ちを、格好だけでも否定することすら省いてしまったことに気づいたときには、すでに遅かった。熱くなる顔と反比例してあばらの底がすうと冷える。

 だがユンナはからかいもせずに、面倒見のよさそうな風情で彼に笑いかけた。

「あの子の気持ちがあんたに向いたなら、それは強要じゃないさ。だからそうなるようにがんばるんだね。私も力添えするって約束するよ」

「どうしてそんな申し出を?」

 退室際にユンナは肩をすくめて、言った。

「どうしてだと思う? ……それが、みんなのためだと思うからさ」

 ユンナが去ってからも、ゼファードはしばらく執務室の中央に立ち尽くしていた。

――みんなのためって、どういうことだ? 

 あっさり彼を応援すると告げたジルフィスの古馴染みは、ジルフィスの味方ではないのだろうか。アーラの気持ちを獲得する努力はもちろんおしみなどしないが、だからといって候補者を絞るようすでに定められている過程をすっ飛ばすのはいかがかと思う。何事も――アーラに近づくことも――段階というものが大切なはずだ。

 ともすれば混線しがちな思考をいったん切り上げて、ゼファードはため息をついた。今は嫌われてはいないと思うが、勝算はと問われれば疑わしい。

――いったいユンナは何がしたいんだ? 

 ともあれ、やることは目の前にたくさんある。

 ゼファードはまず、今日も言葉の授業にやってくるアーラのために、とっておきの茶葉と蜜入りの焼き菓子を用意しておくことを心に決めた。

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