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50、意識

 ほのかなこそばゆさに身じろぎする。眠りはすうっと浅くなり、アーラの意識はぎりぎりの水面下まで浮かび上がった。

 耳元で髪がさらさらと音を立てる。まぶたという膜を通して感じられる世界は明るい。

 夢とうつつの曖昧な境界でアーラは早朝の「あと五分」の心地よさを味わうべく、目を閉じたままでいた。毎朝の起床は飛び起きるのではなく、早目に設定した目覚ましによって段階的に、ゆるやかに意識の手綱を手繰り寄せるのが彼女のやりかたなのだ。猫のように毛並みを撫でられて、うっとりと息をつく。

 けれどもふと思い出す。ここには目覚まし時計のスヌーズ機能も「あと五分」もあるはずがないのだと。そのうえ、幼い時分は別としてこの二十年近く、まどろんでいるときに頭をゆったり撫でる「誰か」の心当たりもないのだということを。

――誰かが、私を撫でている……? 

 たちまち意識が鮮明になる。人待ちをしながら居眠りをするという失態に自身を叱咤し、今後は睡眠時間と体調の自己管理を徹底せねばと決意する。

 それでも目を開けるのが、そこにいる何者かに起きていると悟られるのが恐ろしくもあり、アーラは細心の注意を払ってごくごく薄くまぶたを持ち上げ、睫毛のわずかなすきまから「誰か」の正体を見極めようとした。

 十中八九、ジルフィスだと思ったのだ。ゼファードの執務室に入ることができてためらいなくアーラに触れる人物といえば、ジルフィスのほかに思いつかない。けれども睫毛のすきまから見出せたのは狐色の髪でも蜜色のまなざしでもなかった。

――ゼファ? 

 アーラの側頭部から長い髪をするすると梳き、手のひらで黒髪をすくってはまた梳くということを繰り返している。やがて手を止めたかと思うと今度は長椅子の肘置きにこぼれた毛先を長い指先に絡めて、もてあそんだ。

 目覚めていないふりをしている以上、まぶたをさらに引き上げる勇気もゼファードの真意をさぐる度胸もないアーラはただ、いつどのようにして起き上がるべきかと悩んだ。

 そうしているうちに、ゼファードが動いた。髪から指が離れる。この時機を逃してなるものかとアーラが目を開けかけたとき、左手首に触れられてぎょっとした。

 慌てて寝たふりに戻り、薄目でゼファードの横顔を盗み見る。彼はアーラが眠っていると信じて疑わない様子で(あれだけ髪を梳かれても起き上がらなかったのだから無理もないが)、それでも起こさぬようにだろう、恐る恐る、息をつめるようにして、アーラが投げ出していた左手を取る。

 完全に起き出す時機を逸してしまい、アーラはおのれの眠気と意気地とゼファードのわけのわからない行動を呪いながら、ただただ、次に目覚めるべき不自然でないタイミングがおとずれるのをひたすら待った。

 アーラの左手が、わずかに持ち上げられる。その指先を見つめるゼファードの横顔が、そのまなざしが、なんとも言い表しがたく優しかった。彼がこれまで見せたことのないたぐいの表情を盗み見ている心地に、罪悪感を覚える。戸惑いつつも身動きのできないアーラの心中を知る由もなく、ゼファードはそっと身を乗り出した。

 そしてアーラの左手の指先に、かすめるように口付けた。そのまま身をかがめて、手首の内側にも。

 すっと首のうしろが冷たくなったように感じ、次の瞬間、たちまち顔が熱くなった。心臓は敵前逃亡を決行したかのようにすさまじいスピードで駆け出し、その異常な鼓動と顔に集中した血の気がゼファードに狸寝入りを知らせてしまうのではと思い、気が気ではなかった。

 ジルフィスにも指先に口付けられたことはあるが、世の中の女性にすべからく愛想が良い彼とゼファードでは違うだろう。指先に残るやわらかな感触と、愛しげとも言えるまなざしで見られている我が左手にアーラは答えを見つけることができず、状況把握を放棄した。

 ひとたびきつくまぶたを閉じ、小さく息を吸い込む。すると左手は膝の上にそっと解放された。

 今度こそ何かが――何が?――起きる前に目覚めてしまおうと決心して、あらかじめ覚醒していたと気取られぬように気をつけつつ、気だるげに身を起こす。ゆっくりまぶたを持ち上げると、ゼファードがぬいだ上着をまさにこちらにかけてくれようとしているところだった。

「待ちくたびれたみたいだな。よく寝ていた。……遅くなって、悪かった」

 アーラは髪をなおしつつかぶりを振る。

「ごめんなさい。控えの間とはいえゼファの執務室のすぐ隣で居眠りだなんて、どうかしてるわ。……ありがとう、上着、大丈夫だから」

 差し出された腕をありがたく借りて立ち上がりながら、明日の晩餐会に集中すべく頭を切り替えようとした。眠気はとうに吹き飛んでいたものの、物事を冷静に考えられるようになるにはしばしの時間が必要だった。

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