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46、疑念

 せっかくユンナと近づきになれたというのに、宮廷の煩雑極まりないらしい事務業務の何たるかを少しも教えてもらえなかった。そうアーラが残念がると、ユンナは夕方にグラントリー邸をたずねると約束してくれた。

 芝生も散歩もユンナの微笑みからも離れがたかったが、アーラはしかたなしに、女官に急き立てられるようにしてゼファードの執務室に向かった。

 何かが起きたらしかった。だが、女官はただアーラを呼んでくるようにとゼファードに命じられただけで、詳細は知らないようだ。

 アーラが執務室に入ると、そこにはゼファードのほかにセリスティンがいた。二人の表情を見て、瞬時にアーラはかなり喜ばしくない事件が起きたのだと察した。

「アーラ。俺は、おまえにも話すべきかどうか迷った。初めはやめようとしてユンナ・ゾルデにおまえを預けたんだが、行きつ戻りつして考えるうちに、仮にも俺の家令なら知っておいてもらうべきだろうと結論したんだ」

 気が進まないようすで、しかめた眉間を指先でほぐしながらゼファードは唸った。とても疲れているように見える。

「今からの話すのは、ジルとセリスとクオードと、そのときに居合わせた見張りたちしか知らない」

 アーラは眉を上げた。

「ジルも知ってることなの? さっきまでいっしょだったけどそんなそぶり全然なかったし、何にも教えてくれなかったわ」

「簡単に口外できることじゃないんだ。相手が誰であっても」

 ゼファードの口元がゆがむ。彼はたいそうアーラの反応を気にしており、その様子から相当話しにくい内容であると知れた。

「気分のいい話ではないが、聞いてもらいたい」

 そう言った彼にアーラは心得顔でうなずいた。

「わかったわ」

 そして、アーラは知った。昨夜ゼファードの寝所にボーロックの娘が侵入し、彼を誘惑したことを。

 たしかに、理由はどうであれ、おのれの寝台に女が不意に入り込んできた事実を女性であるアーラに告げるのは、気が進まなくて当然だろう。侵入者に気づいたゼファードはすぐに短剣を突きつけその娘を牢へ送り緘口令を敷いたらしいが、一連の出来事を聞かされてアーラはなんとも言い表しがたい気分になった。

 ゼファードは淡々と事実だけを語ってくれたようだが、日本の一般家庭で生まれ育ったアーラにしてみれば、その事実はあまりに現実離れしたものだった。

――政敵を脅迫するために、自分の娘をその寝所へ送り込むだなんて。

 〝あちら〟でも歴史上そういった〝ささやかな〟事件はいくらでもあったと知っていてさえ、アーラにはボーロックの神経が理解できなかった。

 彼女は改めてゼファードを見た。アーラの視線を受け止めて、彼が小首をかしげる。寝不足で疲れてはいても清潔な印象のゼファードがボーロックの娘に誘惑されるさまを想像してみようとして――すぐにやめた。とても後ろめたい気持ちになり、首の後ろがむずむずする。

 かぶりを振って、アーラは気を取り直した。

「その娘さんは、このあとどうなるの? ボーロックに引き取りに来いって言うわけにも行かないでしょう?」

「アーラ嬢。今ここで問題になってる問題ってのはさ、殿下がベッドで襲われかけた事件そのものじゃないんだよ」

 セリスティンが美しい顔をしかめて見せた。

「そのあとに……たぶん今さっき、牢屋で起きた事件についてなんだ」

「牢屋で起きた事件?」

 話の先が見えずに、アーラが助けを求めるようにゼファードを見ると、彼は苦々しげにつぶやいた。

「例のボーロックの娘が、死んだんだ。城の牢でな」

「……死んだ?」

 あまりに展開がめまぐるしく、アーラは目をしばたいた。

「どうして。拷問とかそういった非文明的なことはしてないんでしょう?」

「してない。拷問死はありえない。まず前提として、俺の私室への侵入を許したなんて失態を公にできるわけがないだろう? ボーロックのにやついた顔が浮かぶようで忌々しい。だからただの娼婦を軽微な罪で捕らえたことにして、奴を牢に入れたんだ。この物事を片付けるにはほんの少々の時間が必要だった。わずかな時間稼ぎのつもりで閉じ込めておいただけなんだ。それなのに死んだなど、信じられない」

「一見自害したように見えるそうだよ」

 セリスティンがアーラに教えた。

「ナイフで喉を刺してたって」

「だが、奴は俺に命乞いをしたんだ。命乞いをした奴が自害するか?」

 しないだろう。アーラは思わず自分の喉をさすった。

「ボーロックがやったのではないの? 自分がそういう非道なことをさせたってほかに知れる前に、口封じを」

「牢番は怪しい人間を見ていないんだ。見回りをしている牢番仲間と様子を見に行ったクオードくらいしか出入りしていないと、彼らは証言している」

「だから自害したとしか考えられないんだよね。どんなに不自然でもさ」

 セリスティンが肩をすくめたが、彼の氷色の瞳は別の可能性を考えているに違いないとアーラは見て取った。

 アーラも口にこそ出さなかったが、疑念が鎌首をもたげている。おそらくゼファードも同じ疑念を抱いていることだろう。疲労の色が濃いのは、何も寝不足だけが理由ではないらしい。

――クオードが。

 アーラはその可能性を脳裏に留めつつも、表に出さぬように努めた。

「……その亡くなった女性は、どうなるの?」

 遺体こそ、ボーロックは引き取りに来ないだろう。血を分けた娘であっても。

「軽微な罪で囚われているあいだに病気や事故などで死んだ者たちは、共同墓地に葬られる」

 淡々とゼファードが教えた。

「実際はどうであれ、罪状は王族の私室への侵入、ではないからな。さらし首にはならない」

 共同墓地であれ、一応は葬ってもらえるのだと聞いてアーラはほっとした。城門や街中でさらされるならたまったものではない。――アーラ自身の心身の衛生上。

「今日の授業はなしだ、アーラ」

 ゼファードが告げ、セリスティンがつまらなさそうに口を尖らせた。

「しかたないけど調べるべきことが山ほどできたからね。それに今日は殿下のお妃候補発表の日だから、授業をやってたら時間が押しちゃうわけだ。……じゃ、僕は検死官に頼んで遺体を見せてもらってくるよ。喉の傷、どんなものかたしかめておきたいからね」

 退出するセリスティンの背中を見送ってから、アーラはふと気になったことをゼファードにたずねた。

「でも、そもそもどうして、ゼファを守る一流の近衛兵たちがその人の侵入を許してしまったの?」

 ゼファードは一瞬言葉につまり、アーラから視線をはずしたものの再び彼女を見て何かを言いかけ、思い直したのか口を閉じた。明らかに挙動不審だったのでアーラが問うように見つめると、彼の目元が薄紅に染まっている。

 何か訊いてはいけないことを訊いてしまったような気がしたが、侵入を許してしまった理由を訊くことの何が不都合なのかさっぱりわからない。

 はからずして見てしまったゼファードの反応にこちらまでも気恥ずかしくなり、アーラはうつむいてしばらくつま先を見つめることにした。

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