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幕間

 お偉い方々がまします王城にいったい何箇所、どれほどの種類の牢があるのか知ったものではないが、自分が放り込まれたこの牢の居心地はさして悪くないとリルグリッドは思った。

 こごえないように暖気が送られ、マットレスこそないがシーツでくるまれた藁の寝床は香りよく、清潔な毛布もある。はばかりにもきちんと衝立があって、用を足したあとは臭いが気にならないよう砂がかけられる。娼婦見習いの少女たちが詰め込まれて雑魚寝する共同部屋よりもずっと素晴らしい住まいだ。

――市街の酔っ払いや親と喧嘩した家出娘みたいなのが放り込まれて、一夜明かして帰されるときのための牢なのかしらね? 

 リルグリッドは、高級娼館とはいえないがその日暮らしの労働者を相手にするわけでもない、言うなれば中流の店で生まれた。店は広くはなく、看板娼婦たちが個室を持っているだけで、下働きをする見習いの共同生活は楽ではない。彼女は貴族である父の命令で特別扱いで育てられたが、同じ年頃の少女たちの暮らしがいかに大変であるかを目の当たりにしてきた。それでも空腹と寒さに悩まされないだけまだよく、場末の店ではもっとひどいのだろう。

 政治の中枢に出入りするという父ボーロック公がなぜ高級娼婦ではなく中流の店にいた母に白羽の矢を立てたのか? その理由を、彼女は何度となく考えてきた。あまり学がないので確かな自信は持てないが、いつも同じ一つの答えにたどり着く。

――きっと母さんは、秘密を漏らさないためにボーロック公に殺されたんだわ。あたくしを生んですぐに。

 名の売れた高級娼婦であれば、有力な貴族や金持ちを客に持っていることが多い。そんな人物では、簡単に消してしまうことはできない。

――だからあたくしが失敗したとわかれば、ボーロック公はあたくしを消すわ。

 仮に成功していたとしても、その成功と引き換えに安穏とした生活が約束されたかは疑問だ。

――あたくしが殿下の一夜の寵を得ても、子を生んだら始末されるに違いなくってよ。……母さんのように。

 だからよかったのだ。ことをなす前にゼファード王子殿下に見破られ、すべてを伝えることができてよかったのだ。

――殿下は、非情な方には見えなかったわ。

 きっと、リルグリッドの訴えを聞き入れてくださるだろう。どこか遠い静かな場所で、何も知らない一人の女として暮らす自由を与えてくださるだろう。

 政治の難しいことなどわからない。ボーロック公がわざわざ娼婦の娘を王子の閨に滑り込ませるために二十年かけて自分という駒を準備させた理由も、知りたいとは思わない。現王陛下の御世かその系統に畏れ多くも何かの不満があって失脚を望んでいるのだろうとは思うが、そんなことはリルグリッドにはなんの関係もないことだ。

――あたくしはただ、食うに困らず何事にもおびえず暮らせれば、それだけでよくてよ。

 リルグリッドはひとつ大きくあくびをして、寝床にもぐりこむことに決めた。

 そのとき、ブーツが石敷きの廊下を踏み鳴らすコツコツという音が聞こえてきた。牢番だろうか? 

 現れたのは、簡素なお仕着せを着た牢番ではなかった。

「貴様が娼婦のリルグリッドか」

 灰色がかった淡い金髪に、オオカミのように引き締まった精悍な面立ち。見上げれば首が痛くなるほどの長身で、広い肩幅と厚い胸板が騎士の見本のようで素晴らしい。リルグリッドは返事をするのも忘れて、突如出現した騎士にほうと見蕩れてしまっていた。

「ゼファード王子殿下の御寝所に侵入した咎で収監されたと聞いた。間違いないか?」

 我に返ったリルグリッドはあわててうなずいた。

「ええ、間違いありませんわ。反省しています」

「ボーロックの差し金らしいな。血も涙もない父親を持って気の毒なことだ」

「仕方のないことですわ。お偉い方々のお考えはあたくしのような下賤のものにはわかりませんもの」

 無言で騎士に見下ろされて、リルグリッドは射すくめられた心地だった。

――ああ、このお人は、何を考えてらっしゃるの? 

「……殿下のお体に、傷はつけなかったか」

「は、はい! 畏れ多くも大変な真似をしでかしましたけれど、お体に傷一つつけなかったと誓って言えます」

「そのしでかした馬鹿な真似を、悔いているか」

「もちろんですわ。ですから、すべてお話したのですもの」

 騎士はしばし瞑目すると、ブーツの裏側から何か細長いものを取り出した。銀色に冷たく光る。

――刃物? 

 リルグリッドはその騎士が、そのナイフで牢の錠を壊し開けてくれるものだと信じて疑わなかった。彼女は牢の冷たい鉄柵を握り締め、期待をこめて騎士を見つめた。

「貴様を解き放ってやる」

 騎士は抑揚のない声で言った。囚われの身から解放してくれるのだから心ときめいてもよいはずなのに、リルグリッドは背筋に尋常ではない何かを感じた。

「同時に、貴様の罪を償え」

 鉄柵を握り締めていた手に、騎士の大きな手のひらが重ねられる。革手袋の感触。

 そして、銀のナイフが閃いた。

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