43、昔物語
「ユンナさんはどんな物語りがご希望?」
「そうだな、甘ったるい恋物語じゃなけりゃなんでも歓迎さ。あんたの引き出しはいっぱいあるんだろ? おまかせするよ」
ユンナの微笑みを見ると、アーラはなんだかこそばゆいような心地がした。
「本当におまかせでいいの?」
「女に二言はないってね」
ユンナと話しているうちにアーラの脳裏に浮かんできて、ちらついてはなれない物語があった。それは大学生のころに論文を書くために読んだもので、確かな年代は不明だがおそらく鎌倉時代に書かれたらしい物語だ。アーラはそれを、グランヴィール風にかみくだいて話すことにした。
「私の故郷で遠い昔につむがれた物語をお聞かせするわ」
「楽しみだねえ。……じゃあ、ぶらぶら歩きながら聞くとしようか」
セキレイが早足で目の前を横切ってゆく。二人は王城の芝生の小道を、ゆっくりと歩いた。
アーラはおもむろに、丁寧に改めた口調でゆったりと物語りを始めた。
「昔々あるところに、心正しくよい家柄だけれど、なかなか子宝に恵まれない貴族がおりました。この貴族は妻とともに、何度も神様に『跡継ぎとなる息子をお恵みください』とお祈りしました。そしてようやく子どもを授かったのですが、生まれてきたのは願った息子ではなく、玉のように美しく凛々しい女の子だったのです」
「アハハハ! 神様もまったく粋なことをなさるね! でも、その夫婦はやっとこさ生まれたその子をかわいがったんだろ?」
「もちろん、目に入れても痛くないほどにかわいがりました。それに、その女の子が生まれたとき、夫婦は神様のお告げを聞いたのです。女であることを世間に隠して男子として育てよ、と。そうすればゆくゆくは、大いなる名誉と権威が約束されると」
「へえ」
興味深いというように、ユンナは両眉をあげてアーラを見た。
「貴族は、神様のお告げのとおりに息子が生まれたと発表しました。生まれた姫は男子としてすくすくと育ち、負けず嫌いで好奇心旺盛な彼女は弓に剣、語学に詩歌など学ぶことすべてを砂が水を吸い込むように吸収していきました。そして文武両道の、世にもまれな美貌の少女に――表向きには美少年に、成長したのです。
特に音楽が得意で、彼女が横笛を吹くと花が舞い風が香り空が輝くほどでした……比喩ではなく本当に花は降ったし、風は甘く香り、笛の音のすばらしさに惹かれて神々の庭で遊ぶ妖精が下りてきて踊ったのです。
あらゆることに秀でたこの美少女は長じて、美貌の貴公子として宮廷に上がるようになりました。家柄がよくて実力もあり、すぐに武官長に任命された彼女と若き王とは年が近かったので、人より秀で人の上に立つもの同士気が合い、彼らは親友となりました。
王の覚えもめでたい貴公子のもとには、『うちの娘をぜひ』という申し出がなだれ込まないわけがありませんでした。ですがもちろん貴公子とはいえ正体は女です。どんな娘を娶ったところで子どもができるわけがないのです。そこで彼女は、心無い身内からの振る舞いにより身ごもってしまったかわいそうな姫君を見出して、助けて自分の妻に迎えました。姫君のお腹にいる子を自分の子だということにして」
アーラがちらと見あげると、ユンナは含み笑いをしていた。
「……それで?」
「皆はそれを信じ、世間的には貴公子が姫君を娶って子どもができたということになりました。子ができて、傍から見るかぎりお家は安泰、ますます隆盛といったところです。けれども貴公子自身は、世間や親友である王をだまし続けているということに葛藤し、苦しんでいました。悩みのためにやつれていく彼女は痛々しく見えましたが、そのために儚げな美しさに磨きがかかって、王は親友を心配すると同時に『もしもこいつが女だったら、何が何でも妻にするのに』と強く思ったのです。その思いは日に日につのって、二人きりになったある日、ついに王は貴公子に迫り気持ちを打ち明てしまいました。その拍子に、長らく隠し続けてきた彼女の正体は暴かれてしまったのです」
物語が佳境に入り、アーラは少し間をとって、かわいた唇をしめらせた。ユンナが先をうながすようにうなずいている。
「王は貴公子の正体を知り、親友に裏切られたと思う気持ちもありましたが、長く近しく過ごしていたのに彼女が女であると気づかなかった自分自身にあきれていました。そして彼女の儚げな美しさと強いまなざしにうたれ、なにがあっても彼女を手放したくないと思ったのです。
王は、その思いを実行しました。武官長である貴公子は朝が来れば務めに戻らねばならないのですが、王は夜が明けても彼女を私室から放しませんでした。美しい小鳥を鳥籠に閉じ込めるように。彼女の美しさを、もはや誰の目にも触れさせたくなかったのです。
しかし何日も武官長が出仕しなければ、皆が怪しみます。王は仕方なしに彼女を屋敷へ帰らせました。彼女は親友と思い信頼していた王に正体を知られ、恋を打ち明けられて、死を望むほどに思い悩みました。王に知られてしまった今、このまま男として偽り武官長を続けていいとは思えないのでした。
彼女の両親は苦しむ我が子をなぐさめ、彼女が女として生きていけるように策を講じました。まず、貴公子にはそっくりの妹姫がいるのだといううわさを流したのです。世の宮廷貴族たちは貴公子によく似た美貌の姫の存在を聞いて、ぜひ我が妻にとさざめきました。
その噂が充分に真実として知れ渡ったとき、男装の女貴公子は武官のマントを脱ぎ、華やかなドレスに着替えました。両親は貴公子が病に倒れて帰らぬ人となったと公表し、その喪が明けるのを待って、噂の妹姫――女の身なりに変えた元貴公子を、王に嫁がせたのです。
彼女を王妃に迎えた王は大いに満足し、城の奥深くで大切に大切に、何ひとつ不足なものがないよう気を配って暮らさせました。しかも彼女を自分だけのものにしたいと思うあまり、社交界にすら出させなかったのです。王の愛情の深さは、臣下が驚きあきれるほどだったといいます」
長く黙って耳を傾けていたユンナが、おやおやと肩をすくめた。
「どうやら、王妃になれてめでたしめでたしってわけにはならなさそうだね。女貴公子がそんな結婚をして幸せになれたとは思えないな。一途に愛してもらえるのはいいかもしれんが、そこまでいくと鬱陶しそうだ」
「そのとおりです」
アーラは力をこめてうなずいた。
「王妃となった元貴公子はまったく満足していませんでした。彼女は弓にも剣にも学にも秀で、実力で武官長の任を拝命し、同僚である男性官吏のねたみやそねみを蹴散らしてきた強者なのです。ドレスや宝石や豪奢な部屋を与えられても、男として宮廷で活躍していた日々を思えば、しかも王の愛情の檻に閉じ込められ通しとあっては、なんとも息苦しく味気なく退屈なのでした。
彼女にとって一番つらいのは、大好きな横笛を吹けないということでした。この国では横笛は男の楽器とされ、女が演奏するのは認められなかったのです。
やがて息子を生んだ王妃は成長した彼に横笛を譲り、自分はリュートを奏でることにして、親子の合奏を宴にて披露したいと夫である王に願いました。王はそれくらいならと受け入れ、ようやく彼女は公の場所に出る機会を得たのです。……そして、彼女のささやかな復讐が始まりました」
アーラはすがすがしい思いで息を吸い込んだ。
アーラがこの話を好きな理由はいくつもあるが、最も印象深いと思い気に入ったシーンは、これからの「ささやかな復讐」の場面なのだ。
「息子が女貴公子の横笛を吹くと天が割れ、雷が走りました。王妃がリュートを奏でると風がうなり、雲間が光り、そこから幾人もの妖精が舞いながら現れます。笛とリュートの音色は激しく竜巻のように渦巻いて、城の明かりが一斉に消え、王も臣下たちもあわてふためき、雷雲と風のあいだを自在に行き来する妖精の乙女たちに恐れおののくことしかできませんでした。
妖精の乙女の一人が、震える王や男たちには目もくれず、王妃のもとへと歩み寄りました。そして手にしていた花を王妃に捧げ、『わたくしは、あなたさまと天上の庭でともに楽しく過ごした日々を忘れはいたしません。我が君』とこの世ならぬ美しい声で歌ったのです。実は王妃は、神様に愛された妖精の女王の生まれ変わりだったのでした。
王妃は妖精の乙女から花を受け取ると、息子とともにまたひとたび華やかにリュートを奏でました。人の世とも思われない激しく狂おしい雷と花と風と乙女の饗宴が最高潮に達したところで、この物語りは終わりです。
この及ぶべくもない力を目の当たりにして恐れおののいた王が、妻を所有物のように――一等上等な飾り箱に鎮座させる宝石のように扱っていたのを後悔し、彼女にひれふして謝罪し、若かりしとき親友として彼女を対等に見ていたころのようにしようと心を入れ替えたかどうかは、御聴衆の想像におまかせいたします」
アーラが立ち止まって本物の語り手よろしくお辞儀をすると、ユンナが楽しげに拍手してくれた。
「ふつう、王様と結婚したらめでたしめでたしで終わる物語りが多いってのに、こりゃあおもしろいね。竜が出てくるわけでも魔女が出てくるわけでもない、主人公の敵が実は愛情深すぎる王様ってところがさ。私はこの王妃様の気持ちがよくわかる気がするよ」
アーラは苦笑した。
「私もなの。だから、この話が好き」
二人は再びぶらぶらと歩き始め、やがてユンナが言った。
「例の授業まで、まだ時間はあるんだろ? 今の物語りのお礼に、私も一つ、昔語りをするとしようか」




