41、宣戦布告
翌朝一番に、ゼファードは父王に掛け合いジルフィスを呼び出した。父は夜半の出来事について何も知らないはずなのに可笑しげに眉を上げ、ジルフィスの退出を許可した。
人払いをした執務室で、ゼファードは従兄と向き合った。
「どうしたんだ? おまえがこんな朝っぱらから血相変えてるだなんて、めずらしい」
ゼファードは単刀直入に告げた。
「夜、俺の私室に女が侵入した。ボーロックの差し金だ」
聞いたジルフィスの表情がたちまち引き締まる。
「未遂なんだな?」
「結論を言えば俺に害は及ばなかった。だが、寝台まで上がられたのは確かだ」
「くそっ! おまえんとこの近習は何やってたんだ?」
「その女はアーラの扮装をしていた」
それを聞いてジルフィスの顔から見る見る血の気が引き、数瞬の後には怒りのあまりにこめかみに筋が浮いた。落ち着けと、ゼファードは諭した。
「これが落ち着いていられることか!」
「だが興奮してもどうにもならんだろう? ……女は、黒髪の巻き毛をまっすぐになるように手を加えて、アーラのものに似せた外套を着てきた。それで見張りはあざむかれたらしい」
「夜番の見張りは、いくら従兄妹同士とはいえ深夜におまえを訪ねに行くほど軽薄な令嬢だとアーラを思ってたってわけか?」
「その点については厳しく言っておいた。彼女を侮辱しているに等しいとな」
「あたりまえだ。それで?」
従兄の表情がいつになく険悪になっている。ゼファードは小さく息を吸って、はいた。
「侵入者は俺が気がついて短剣を突きつけても、ひるまずに誘惑してきた。無論俺は応じなかった。すると女は洗いざらい白状する代わりに保護を求めてきたんだ」
「保護だと?」
「ああ。……驚くなよ、その女は、ボーロックが娼婦に生ませた庶子だったんだ」
口を開きかけたジルフィスを押しとどめて、ゼファードは続けた。
「俺の子種を宿して強請る計画だったと言っていた。ボーロック令嬢として正式に妃候補の一覧に加えて公表し、ゆくゆくは妃にするようにと。女はリルグリッドと名乗ったが、おそらくボーロックと娼婦の娘として生まれた瞬間から、その人生はすべてたった一晩のために仕組まれていたんだろう。アーラが現れなければどんな変装をするつもりだったかは知らないが、何であれ、妃候補公表の直前に実行するつもりで綿密に準備されていたらしい。そして、失敗が知れたらボーロックに始末されるといっていた。だから父親の企みを話す代わりに保護してくれと願い出たんだ」
地の底から絞り出すような声でジルフィスが問うた。
「その娼婦は今、どこにいる?」
「牢に入れてある」
「処刑だろう? 普通なら」
「普通ならな」
「おまえは……アーラの姿と名を騙られて、腹が立たないのか?」
ゼファードは怒れる従兄をまじまじと見返した。そして、アーラを彼の血の繋がった妹としたことの残酷さを――ジルフィスにとっての残酷さを、はじめて実感した。
多くの女性を虜にし、花街でも名をとどろかせた過去のあるジルフィスだ。これまでなら奔放で不真面目に見せかけることさえしたのに、今ではアーラただ一人にその心は向けられている。人前では妹を溺愛する兄を演じていても、その実はアーラを心底求めているのだろうということが、身内だけの場で見せるふとした視線や言動からうかがえた。
「ジル」
「なんだ」
「まず、お前にあやまりたい」
怒りに燃えていたジルフィスの目がたちまち冷え冷えと凍る。ジルフィスは探るようにゼファードを眺め、彼の真意を質したがっているようだった。
「おまえは、俺ににあやまらなくちゃなんないようなことをしでかしたのか?」
つま先を見つめて拳を握る。強く握りすぎて手が震えた。ゼファードは、ただ声だけは震えぬようにと祈った。
「俺も、アーラを伴侶にしたい。半端な気持ちでも責任からくる偽善でももちろんジルへのあてつけでもなくて、だ。本気だからこそ、あやまるべきだとわかったんだ。自分の気持ちに気がついて、公にアーラを奥方にできない立場の意味がわかって恐ろしくなった」
ジルフィスに胸倉を掴まれ罵られるのを覚悟していたのに、そうはならなかった。
顔を上げるとジルフィスは視線をそらしており、痛みをこらえるように唇を噛んでいた。
ゼファードは彼の真意をはかりかねた。正々堂々とアーラを争わせてほしいというつもりで、気づいたばかりの彼女への気持ちをこうして打ち明けたというのに。
「ジル?」
「ああ……いいんじゃないか」
――いいんじゃないか? いいんじゃないかだって?
ゼファードは混乱した。ジルフィスがアーラを想っていることは確かなのに、牽制するでも罵倒するでもなく恋敵の告白を「いいんじゃないか」ですませてしまう意味がつかめなかった。
――アーラとのあいだに、何かあった?
半日か一日ばかり二人がぎこちないことはあったが、ちょっとした行き違いをしたくらいにしか思えなかった。実際、今では彼らのあいだにわだかまりがあるようには思えない。それなのに、ジルフィスはこの話題についてアーラに何らかの遠慮を感じているようだ。
百戦錬磨のジルフィスに比べて、いくら兄妹という肩書きがついていなくとも自分のほうが大いに不利だろうと信じて疑わなかったゼファードにとって、この従兄の反応は不可解なものだった。
「ゼファが本気だというのなら、駄目だという権利は俺にないだろう? もしも万が一アーラが遠慮や責任感からじゃなく心からおまえを選ぶなら俺は祝福するし、もっとふさわしい男の求愛をアーラが受け入れるなら俺もそれを認めるしかない」
静かに噛み締めるようにジルフィスは語った。
「でも、だからって俺はあきらめるわけじゃない。紙の上で血が繋がってようがそんなもの俺には関係ないんだ。いつかアーラに求めてもらうつもりで俺もいる。それでいいんだろ?」
ゼファードはうなずいた。
「もちろん、それでいい」
「……リルグリッドとかいう娼婦は、助けてやるのか?」
「そうしたいと、思っている。有益な情報提供者だ」
「それなら、ユンナに話を通してみよう。あいつは花街の出身だから、信用できる知り合いを身元引受人として紹介してくれるだろうさ」
「ああ」
ありがとうと彼がつぶやくと、ジルフィスは背を向けたまま軽く片手をあげて退室した。