4、予言
昔、一つの事件があった。
王位継承権を早々に放棄し、王族にしてはめずらしく焦がれた相手と結婚して幸せな家庭を築いていた王弟サリアン・グラントリー公だが、その幼い一人息子がかどわかされたのだ。
屋敷は天地をひっくり返さんばかりの大騒ぎとなった。奥方はショックのあまり倒れ、使用人は厨房の皿洗いにいたるまで王都中を駆けずり回った。
それでも、七歳になったばかりの息子は見つからない。
頬はこけ目は落ち窪み、憔悴しきったそんな王弟のもとへ、さすらい人の老婆がやってきた。
老婆は、おのれは予言者だとうそぶいた。さすらい人は多く占いや先見を生業とする民だ。さすらい人に自称予言者は大勢いた。
しかし老婆は、自分こそは「本物」であるとうけあった。そして、かどわかされ行方不明となった一人息子をあきらめよと、グラントリー公に進言した。
「王弟閣下、何度でもおんなじことを申し上げまする。この家を栄えさせるのはおぬしの息子ではない。“娘”じゃ」
言いながら、老婆は浅黒い肌の若い女を差し出した。さすらい人の女だ。
「わしには見える。おぬしの娘が、この家に幸と光をもたらすさまが。……息子のことはあきらめよ。いかほどのことがあろう? ちっぽけな息子など忘れ、このおなごと枕を交わし、おぬしの未来の輝かしきのために、娘を生ませるがよい」
王弟は、大切な一人息子を「ちっぽけ」呼ばわりしたさすらい人たちをたちまちのうちに屋敷からたたき出した。もとより彼は、愛しい妻のほかに、どんな女をも腕に抱くつもりなどなかった。
その日の夕暮れ。
多くの者が、誰一人口にはせずとも、もう駄目かと思いはじめていたところに、一人息子は帰ってきた。
沈みかけた西日に照らされて、真っ赤に染まって見えた。王弟サリアンは息子に駆け寄り、力強く抱きしめた。
そのとき、ぬるりと指が滑った。あらためてよく見てみると、息子の姿が赤く見えるのは西日のせいではなく、血染めになっているからだった。
だが、幼い彼が大きな怪我をしているわけではない。
「おまえをさらった奴は、どこにいるのか、どうなったのか」
父親に問われて、ひとこと息子は答えた。
「ころした」
この息子の名を、ジルフィス・グラントリーという。
二十年後。
二十七歳になったジルフィス・グラントリーは近衛隊の筆頭騎士を務め、王子殿下の親友であり腹心として、宮廷で活躍していた。
「かわいい子だったな」
ジルフィスは狐色の髪をかきあげて、次席騎士のクオードをふり返った。クオードはぴくりと眉を上げた。
「おまえは、あんな子どもじみた容貌の女が好みだったか? ひいきにしているのは、派手な美人ばかりだと思ったが」
「花街で遊ぶときに選ぶ女とはちがうって」
ジルフィスはゼファード王子のために連れてきた語り手の声を思い出した。
『私の物語りに、何か障りがありましたでしょうか?』
よい声だった。高からず低からず、穏やかな抑揚で響く声音。
そして彼女は、どことなく幼げな容貌に反して、几帳面で落ちついた口調をしていた。
「語り手ってのは、さすらい人によくいるだろ? 俺はさすらい人がきらいだから、今回の話も、実は乗り気じゃなかった。けどあの子は、さすらい人じゃないな。さすらい人にしては色が白すぎる。顔立ちもちがう」
「春の芽吹き亭の、主人夫妻の親戚か何かなんだろう? あの娘は。名前は、何と言ったか……」
クオードが思い出そうとしてこめかみをもむ。ジルフィスは教えてやった。
「アーラだってさ。話し方もしっかりしているし、態度も丁寧だ。きちんとしつけられている。宿屋の看板娘にしとくだけじゃ、もったいないな。ゼファの用事がすんだら、俺もあの子を屋敷に呼ぼうかな」
軽口をたたいていると、部屋の扉が開いた。
御前に引き出されるにふさわしい身なりに飾られ、げっそりと疲れきった様子のアーラが、女官たちに押し出された。平民にはやはり、女官たちによる「洗濯」がよほどこたえたらしい。
それでも、彼女は慎みを忘れずに姿勢正しく立っていた。
「とてもよくお似合いですよ、アーラ殿」
お世辞ではなく、実際よく似合っているとジルフィスは思ったのだ。
ゼファード王子に引き渡すのが惜しくなるほどに。