幕間
両親は今日も遅くまで何かと飛び回っているのだろう。家の居間は静まり返って、妹の徳子がテレビもつけないで宿題をしているだけだった。
長屋はネクタイの結び目を緩めると、ソファから新聞を取り上げてざっとすばやく――しかしすべての記事に目を通して、ため息をついた。
――載ってない。
唇を噛み締める。毎日藁のように頼りない希望にすがってテレビのニュースを見、新聞を確認するが、彼が期待するような事柄はどこにもなかった。
無論、それはわかりきっていることだ。「何か」があったなら、新聞に載るよりもカメラマンと記者が駆けつけるよりも先に、自分たちの耳に入っているはずなのだから。警察や、そういった類いのしかるべき筋から。
「お兄ちゃんも、お父さんもお母さんもどうかしてるよ」
金属的で神経質な声が疲れた頭に響く。顔を上げると、徳子がノートをペン先で攻撃しながらこちらをにらんでいた。
「なんでお姉ちゃんのことばっかりなの? だってさ、普通に考えたらもう絶対死んでるよ? 事故が起きてからどれだけたってると思ってんの。あんな崖からバスが落ちてさ、死んだ人がいっぱいいて、生きてる人もすっごい怪我なんでしょ? それでさ、行方不明のお姉ちゃんが無事なわけないじゃん?」
「徳子」
「現実的に考えようよ。絶対死んじゃってるよ。なのにさ、なんでそうやって、生きてるって思おうとするの? お姉ちゃんの死体が見つかったときにむちゃくちゃ嫌な思いするだけじゃん」
「おい徳子!」
咎めるように名前を呼ぶと、ますますへそを曲げた顔で徳子は長屋を見返してきた。
「あたしが本当のこと言うとさ、そうやって怒るんだよね。お兄ちゃんも、お父さんも。なんで? 死んだ人のこと、いつまでもうじうじ考えてたってしょうがないじゃん? お姉ちゃんは死んでも、あたしたちは生きてるんだよ? あたし、来年受験生だよ? だから今のうちにやっときたいこといっぱいあるんだ。なのにお姉ちゃんが帰ってくるまでがまんしなさいとか、そういうのっておかしくない? お姉ちゃん、きっと帰ってくるわけないのにさ」
毒と棘を撒き散らす妹の言いように負わず手を挙げたくなって、長屋はそれを理性でおしとどめた。
長屋にとって、ひとつ上の姉はいちばん身近で、それでいて遠い目標だった。何ごとにも真面目で成績がよく、気配りができて友人も多かった姉に、長屋は子どもの頃から対抗意識を燃やしてきた。中学生になると数学や物理に関しては長屋のほうが得意だとわかり、テストの点を自慢して見せると、姉はくやしがったものだ。
そのくやしがる顔が見たくて、「負けないからね」とまっすぐに見据えてくるまなざしか好きで、長屋は勉強にも部活動にも励んだ。偏差値だけでいえば、大学受験時にすでに超えていたのだと思う。けれど、長屋は姉という存在を越えた気にはなれなかった。
それは、彼が一学年後に生まれたという年齢の隔たりだけではなかったと思う。すぐそばで笑っているときも、正面から問いかけるように長屋を見つめているときでさえ、彼は姉から、人が気づかない何かを悟ったばかりに世界を包む薄い膜の向こう側へ行ってしまったような、奇妙で切ない気配を感じたのだ。
姉の消息が知れなくなって、長屋は世界の半分がすとんと切り落とされたような心地すらした。
けれど十四歳の徳子にしてみれば、人に好かれ優秀で口うるさく鼻につく姉という存在が消えたことで、清々したというのが本音なのかもしれない。年が近くても比べられるが、年が離れていても同性だからか「お姉ちゃんはこうだったのにね」と親戚連中は比較する。そのたびに徳子は眉間の皺を深くし、暗い気持ちを育てていたに違いない。
長屋は妹から目をそむけて、ソファに体をしずめた。「現実的な考え」を受け入れようとし折れそうになる望みと戦いながら、祈ることしかできなかった。