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3、御前へ

 四季のあるグランヴィールに、アーラはほっとしていた。灼熱の砂漠や、一年の半分以上が氷に閉ざされるような土地で暮らしていける自分は、およそ思い描けなかった。

 ただ、日本とは異なり梅雨はない。「大風」はあるが台風はない。夏でも湿度は低く、からりとしているので、蒸し暑さに悩まされることは少ない。

 緑が多く、王都の外は山がちで、山すそに街が点々としているのだという。街並みは石造りと木造、そしてそれらの折衷建築が混ざり合っている。それでも雑多な印象はなく、アーラの知識を以ってたとえるなら、ドイツの田舎の質実さとイタリアの明るさという相反しそうな要素を足して二で割ったような雰囲気だった。

 グランヴィールの民の誇りは、巨大な石造りの王城だ。アーラは初めて見たとき、「お城」などというロマンチックなものではなく、まるで「要塞」だと思ったものだ。

 しかしそのいかめしい外観は、周辺諸国との物理的な戦いがたえなかった建築当時の名残で、わざわざ砂糖菓子のように繊細な建造物に造り変える趣味が歴代の王になかったというだけのことらしい。

 いかめしい王城には王家の紋章と貴族議会の象徴が描かれた旗が掲げられていて、その旗を彩る明るい色使いが、石壁の表情をわずかになごませている。

 その王城に参上するために、質素な宿屋の二階で、アーラは鏡を見ていた。

 夏の終わりの午後。日本ならまだむしむしとして我慢ならない頃合いだが、ここ王都では、窓から差し込む陽射しも目を刺す白からはなやかな金色に変わった。カーテンを閉めなくても、鏡に映した姿がきちんと見える。

 いいだけ伸びてしまった、細くてこしのない黒髪に、焦がし砂糖のような褐色の瞳。肌は白いほうだろう。身長は日本女性の平均よりやや低い。さらに丸顔なので、二十六という年齢ながら幾分少女じみて見える。

 美人でもないが不細工でもない。化粧映えのしない童顔だ。日本にいたころは必要最低限、身だしなみ程度のことはしていたが、グランヴィールに転げ出てからというもの、ほとんど化粧らしい化粧をしていなかった。

 そんなアーラだから、王城に上がる当日である今日も、たいしたことはしていない。

 給金で買ったよそゆき用のワンピースを着て――何度か、近所づきあいのある店の祝いの席によばれて着ていったものだ――おかみさんに借りた粉を肌にはたき、蜂蜜をなめて唇にほんのりとつやを出せば、それで準備は終わりだった。

 アーラが知っているヨーロッパと同じく、グランヴィールでも過去の時代には汚物を路上に捨てていてそのにおいが我慢ならないものだったため、香水が発達したらしい。廃物処理が義務付けられて何十年かたっているようで、現在ではそのようなことはないものの、女性たちは香水を好んでつけている。おかみさんもご主人と外出するときにお気に入りの香水をふりかけていくが、アーラはひとつも持っていない。ありがたい給金は、香水よりももっとほかのものに使いたかったからだ。

 王城に出向く今日でさえ、何も香らせてはいない。ひょっとすると、昨晩洗った髪に、まだわずかに紫草水の匂いが残っているかもしれないけれど。

 時間になると、先日も来た二人の兵士が迎えにやってきた。

 アーラは気をもむおかみさんに明るく手をふって馬車に乗り込むと、御者の見事な手綱さばきによって、あっという間に王城へと連れ去られた。


「こちらでしばらくお待ちを」

 簡素な応接間のようなところで待たされながらアーラは、じきに王子の部屋へ案内されるものだと思い込んでいた。

 その予想は、大いにはずれた。

 女官がざっと二十人。軍隊の行進のように整然と部屋に入ったときには、アーラは本気で逃げ出そうかと思った。女官たちは有無を言わせずアーラから服を剥ぎ取り、下着まで問答無用で脱がそうとするありさまで、アーラは追い立てられるようにして浴槽に落とされた。

 上下水道が調っている王城の浴室は、アーラに〝あちら〟を思い出させた。金メッキの管から適温の湯が注ぎ、石鹸はとても泡立ちがよい。しかし豪華な浴室の雰囲気に浸る余裕などあったものではなかった。

 皮がむけるのではと思われるほど肌をこすられ、湯と水を交互にかけられ、バラの花びらが浮いた盥の中身を頭からあびせられ、香油をすりこまれて、アーラは泣きたくなった。

 ――風呂に入れるなら最初っからそう言いなさいよ! 

 いったい何の因果で、初対面の人々に裸をさらさなくてはいけないのか。

 けれども女官たちは裸の人間を磨きたてることなど日常茶飯事という顔で、嫌味も嗤うこともなかったのがせめてもの救いだ。

 コインランドリーの巨大ドラムでさんざん引っ掻き回されたかのようにへろへろになったアーラを次に待ち受けていたのは、衣装合わせだった。

 衣装係の女官たちは入浴係とは打って変わってにぎやかしく、アーラにいろいろなドレスをあてては、ああでもないこうでもないとやかましくさえずった。

 ――着がえなんかさせなくたって、あのワンピースで充分じゃないの! 

 アーラが至極丁寧に且つ熱意をこめて抗議すると、充分不十分必要不必要の問題ではなく、女官としての沽券と面子が大切なのだとの回答だった。そんなもの、アーラの知ったことではない。

 やっと濃い紫に藤色のシフォンをあしらったドレスが選ばれ、着付けられ、真珠の髪留めが飾られた。

 コルセットが締め上げられ、息がつまる。鯨骨や木製でなく厚布製なのがせめてもの救いだ。ドレスの無駄に多い後身頃の裾が一枚掬い上げられ、腰で振袖の帯のように豪華絢爛に留められた。

 女官たちに部屋から押し出されると、廊下にはくだんの兵士たちが待ち受けていた。

 狐色と、灰色の金髪の二人組だ。

 彼らは同時に「ほう」と声をもらして、狐色の金髪はにっこりし、灰色の金髪は片眉をぴくりと上げた。

「とてもよくお似合いですよ、アーラ殿」

「お褒めに預かり光栄にぞんじます」

「……まったく光栄にぞんじていない言いかたですね」

「なぜ教えてくださらなかったのですか! 洗濯物みたいに洗われて、せっかくのワンピースをみっともない呼ばわりされて、着替えさせられるってことを」

「そんなことをお話したら、あなたは来るのをやめたかもしれないでしょう?」

 狐色の髪をかきあげ、彼はなやかに微笑んだ。

 ――もっともだわ。

 疲れきった体と心に鞭打って、アーラはしかたなく、彼らの案内に従った。



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