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25、作られた過去

「うん、だいじょうぶだ。これだけ踊れれば、ぜんぜんはずかしくないよ」

 努力の甲斐あって、アーラのダンスにもついにジルフィスのおすみつきがもらえた。基本中の基本ができるようになっただけだが、できないよりはいいに決まっている。

 アーラは練習を終えて、ジルフィスと共にゼファードの執務室を訪れた。明日から演じなければならない〝グラントリー公の娘〟について、ぼろが出ぬようその背景設定を詳しく聞くためだ。

 顔を合わせたジルフィスとゼファードのあいだに妙な緊張感がただようのをアーラは感じ取ったものの、彼らはそれについて何も言わなかった。

 ゼファードは書類を裁いていた手をとめて、机の上で指を組んだ。

「適当に座れ。クッションがほしかったら、そっちにあるのを勝手に使っていい」

 アーラは手近にあったスツールに腰かけようとしたが、ジルフィスに腕を引かれて窓際の長椅子に一緒に座ることになった。ゼファードは不機嫌に鼻を鳴らして、アーラたちに向きなおった。

「さて。アーラ・グラントリーについてだが」

 前置きなく、単刀直入に本題に入った。今度はジルフィスが面白くなさそうに鼻を鳴らす。ゼファードはそれを無視して続けた。

「まず、王家のことから話しておこう。俺の父上――グランヴィール王には姉が一人と、弟が二人いる。姉の名はカダリア、上の弟はサリアン、そして父上と十五も年が離れた末弟ヴァーディス。俺ではなくこのヴァーディスを次の王に据えようとしているのが末弟派で、水面下でだが俺たちと対立している。カダリア伯母は三十年も前に外つ国に嫁ぎ、サリアン叔父は婚姻と同時にグラントリーを家名として、王位継承権を放棄した」

「王弟サリアン・グラントリーは幸せな結婚をして一子をもうけたが、その息子ジルフィスが七歳になったとき、事件は起きた」

 ゼファードのあとをひきとって、ジルフィスが幼い頃自分の身の上に起きたできごとを他人事のように語った。

「息子がさらわれたんだ。身代金の要求も、脅迫も一切なかった。グラントリー家は天地をひっくり返したかのような混乱に陥り、王弟閣下の一人息子を探し回った。だが犯人の目星はつかず、息子の居場所の手がかりすら見つからなかった」

「そのときの叔父上の様子は、尋常ではなかったそうだ」

 ゼファードが細く息をつく。

「公明正大で人望厚い叔父上が見る影もなくやつれ、憔悴しきっていたという。奥方はショックと心労のあまり倒れて病床についていた。……この時期、南東部出身の娘がひとり、女中として奉公していた。これは作りごとではなく、事実だ」

 そしてたちまち、群青の瞳に燭台の火が映る。

「この女中がこれから、アーラ・グラントリーの母親になる」

 冷静に燃えているゼファードのまなざしが痛かった。アーラは不意に、自分が震えていることに気がついた。こぶしをにぎって震えをこらえようとすると、ジルフィスの左手がアーラの右のこぶしを包み込んでくれた。彼の横顔を見ると、ジルフィスが一瞬微笑んだ。それを咎めるような視線をゼファードがよこした。

「女中の名前はアリザ。病を得て、若くしてグラントリー公邸で死んでいる。身寄りがなく、屋敷に来たときに紹介状は持っていたがたしかな素性は不明だ。さすらい人のように籍をのこさない、流浪の身だったのかもしれない。……黒髪に濃い色の瞳をした女中だったと聞いたから、俺は南の海の民だったんじゃないかと踏んでいるんだが」

「南の海の、民?」

 アーラが聞き返すと、ジルフィスがうなずいた。

「ゼファのお母さんがそこのお姫様だったんだよ。グランヴィール人よりは彫りの浅い顔貌で、華奢で小柄な人が多い。真珠や珊瑚をとって細工物にするのがうまい、手先の器用な民だ」

 振り向くとゼファードと目が合った。黒い髪、深い海の色の双眸。バルコニーで国民に手をふっていた国王陛下とは異なる髪と瞳の色。

「おまえの面立ちに近いんだ。ありがたいことに」

「肌の色はもう少し濃いんだけどな。海の民だから日焼けしているだけかもしれないけど」

 その女中アリザと精神的に追いつめられていたグラントリー公のあいだに交わされた、たった一夜によってアーラ・グラントリーが生まれることになると、ゼファードは言った。

 グラントリー公は生まれてきた娘をおのれの子と認め、外聞をはばかって屋敷の中でひそかに育てた。アリザは間もなく亡くなるが、アーラは父と奥方、兄ジルフィスらによって何不自由なく成長する。

 しかし二十歳を迎え、外の世間を自分の目で見たくなったアーラは家族と使用人たちの目を盗んで屋敷を飛び出す。家出を決行したはいいが、そこは世間知らずの箱入り娘、右も左もわからずにいるところを親切な宿屋の主人夫妻に拾われる。宿屋での暮らしが気に入り、手伝いを始め、そうこうしているうちに一年がたった。偶然兄のジルフィスが王子ゼファードの語り手を連れてくるようにとの命を受けて宿屋を訪ねたところ、近所で評判の語り手とは自分の妹アーラだった……。

「そこで兄妹の感動の再会、今に至るというわけだ」

 なんともいえない心持ちで、アーラはゼファードを見返した。

「うかがったお話は理解しましたし、覚えました。けれどとてつもなさすぎて、私の身の上にするには無理があるように思われるのです」

「異界から転がり落ちたというよりは現実的だろう」

 ゼファードの返事はにべもなかった。……たしかにその通りなのだが。

「人に出自を聞かれたら、グラントリーの娘ですと答えればいい。しつこく母親について訊かれたら今の話をもっともらしく匂わせてやれ。あとは、俺とジルでうるさくたかってくるハエを追い散らす」

 アーラは肩をすくめた。

 困難だとわかりきっていたことだが、話を聞くたびに責任と無謀さの重みがのしかかってくる。だからといって、いまさら投げ出すわけにはいかない。くじけないようアーラは腹の底に力を入れた。

「これでおまえの過去の話は終わりだ。おまえを部屋に帰す前に、もう一つやっておくことがある」

 うんざりした気分が表情に出ないように気をつけながら顔を上げると、ゼファードがすぐ目の前まで歩み寄ってきていた。

「あいさつの流儀の練習だ」

 あいていた左手をとられ、指の関節に軽く唇が押しあてられた。ひゅっと、ジルフィスが息を飲む音がする。

 西洋の絵画や絵本の挿絵によくある場面なのに、ゼファードが実践するとまるで冗談のようだと、アーラは唖然としたまま頭の隅で思った。

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