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22、言い訳

 ゼファードは、一応逡巡する様子は見せた。だがそれだけだった。群青の瞳に罪悪感めいたものは浮かんでいたものの、撤回するつもりはないらしかった。

「俺も、彼女をつらい目にあわせたいわけじゃない」

 ゼファードの言葉はジルフィスに言い訳じみて聞こえた。

「この提案は、彼女にとっても悪くはない話だと思ったんだ。セリスティンは彼女の授業に意欲的だから、遅かれ早かれあの複雑雑多な文字を覚えてのける。そうなれば彼女の教師役は終わって、宿屋の手伝いにもどるだろう。それでも正式な市民としての身分は持たないままだ。何しろ、戸籍がないんだから。宿屋の主人夫妻かその親戚筋を親に仕立てて戸籍をつくってやるくらいなら、グラントリー叔父の娘になってもっといい暮らしをさせてやったほうがいいじゃないか」

「宿屋の手伝いと傍系王族の娘と、どちらの暮らしがいいのか決めるのはアーラであるべきだった。なのにおまえは、アーラにゼファの都合がいいほうを押し付けたんだよ!」

 ゼファードは言い返さなかった。自分の台詞が言い訳でしかなかったと、認めているようなものだ。

 ジルフィスがにらみ続けていると、ゼファードは睫毛を伏せて視線をそらした。多くの物事をそつなくこなし、花街で遊ぶこともほとんどなく、感情をめったに表に出さず、ジルフィスよりもよほど大人びた顔で日々過ごしているはずのゼファードが、ふいに年相応に見えた。

 腹立ちをこれ以上ぶつけても、何にもならない。ジルフィスは立ち上がった。

「ゼファ。おまえはアーラに甘えているよ」

 羞恥のためかそれとも救いようもなく侮辱されたと思ったのか、ゼファードの目元にかっと血の気が上った。それでもジルフィスを振り返りはせず、無言でこぶしをにぎりしめている。

「グラントリーの家にアーラを入れるなら、貴族系統簿に戸籍を新しく作るより、ほかの方法もあるって知ってたか?」

 ジルフィスの言葉にゼファードの睫毛が震えたが、まだこちらを向きはしない。ジルフィスは扉に歩み寄り、取っ手をにぎりしめた。

「俺は、アーラを奥方に迎えてもいいと思ってたんだ」

 今度こそ、ゼファードが振り向いてジルフィスを見た。目を見張り、こくりと喉が動く。

「もちろん、それはアーラがいい返事をくれたらの話さ。王位継承権を持たない俺なら、町娘を奥方にしたってうるさく咎めるやつはいない。物珍しいだろうがそれだけだ。俺はアーラを利用するでも恩に報いるでもなくて、そばにいて、アーラのためにできることがしたかった」

 それなのに、

「それなのに兄妹だって? しかも義兄妹じゃないときた」

 血のつながりがなければ、ゼファードのエスコート相手役には適さないからだ。

「褒美といってクラーレン金貨を放ったり、家名が名乗れないからって閉じこめたりするおまえのことだ。できる限りのことをするって言ったって、役目を終えたあとの彼女を幸せにできるか? 王家とのつながりや地位を求めて砂糖にたかる蟻みたいに〝王子の従姉妹〟に下衆がたかっても、守れるのか聞きたいね」

 ジルフィスはそれだけ言い置くと、廊下に出た。

 兄として妹を守ることはできるだろう。だが、できることはそこまでだ。身分がつりあっていてこれといった障りがないならば、兄とはいえ妹への縁談を片っ端から壊すことはできない。そんなことをすれば敵を増やして攻撃される材料を量産するだけだ。

――俺の奥方になれば、そんな心配はいっさいなくなるのに。

「ジル?」

 突然の声に、しかも今考えていた人物の声が聞こえたことに驚いた。

 顔を上げると、目の前にアーラが立っていた。宵の空のような、あざやかな藍色のガウンをまとって。

「ちょうどよかった。殿下に見ていただこうかと思ってきたんだけど、ジルのほうがセンスよさそうだから。これ、明日着なきゃいけないドレスの仮縫いなの。どう思う? 私はちょっと青があざやかすぎるんじゃないかと思うんだけど」

 よい生地だ。レースは東部製の最高級品だし、裾にちりばめられたビーズの刺繍も嫌味にならない。仕立て屋がいい仕事をしている。ジルフィスはそれらのことを頭の隅で考えながら、アーラを見つめていた。

「たしか採寸、って」

「うん、私も最初は採寸って聞いてたのよ。でも夜会は明日だから、そんな悠長なことは言ってられないからって。採寸がすんだと思ったらあっという間にこの仮縫いが出来上がってきたの。お針子さんたちを総動員させたみたい。……やっぱり、ここにもう一枚黒か少し暗い色の生地をかぶせてもらったほうがいいわよね?」

「いや、すごく似合ってる。かわいいよ」

 ジルフィスは本心を言ったのだが、アーラは当然のようにお世辞だと思っているらしかった。

「ありがとう。男の人にほめられると、社交辞令でもうれしいわね。殿下なら私ではなくって、仕立て屋さんの腕前をほめられるんでしょうけど。……でも、ジルがそう言ってくれるなら、余計に布を足してもらうこともないわ。もったいないしね。仕立て屋さんに言ってくる」

 そのままもどろうとする彼女を、ジルフィスは呼び止めた。

「アーラ」

「なに?」

 褐色の瞳が、ジルフィスを見返している。

 ゼファードのこと。末弟派のこと。この先のこと。胸の中で燃える前に蓋をするよう言いわたされた、感情のこと。伝えたいことはたくさんあったはずなのに、ジルフィスの口から出てきた言葉は、これだけだった。

「……ダンスを、教えてあげるよ。必要だろう?」

「ありがとう! これをぬいで着替えたら、ぜひお願い。一曲ぐらいは踊れないと、おかしいものね。引き受けたからには、ジルフィスの妹としてはずかしくないようにきちんとしたいから」

 アーラはにっこりした。それは感謝と不安と疲労と責任感がないまぜになった、泣きたくなるような笑顔だとジルフィスは思った。

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