21、王子殿下の従姉妹
目の前が真っ白になった。
しばらくすると、今度は赤くなった。怒りのためだ。
視界の端がちかちかする。ジルフィスは罵倒すべきかこぶしを振り上げるべきか従弟の胸倉をつかむべきか、むしろそれらすべてを同時にやってのけたくなり、結局、壁にこぶしを打ちつけてゼファードをにらんだ。
「むちゃくちゃだ」
ジルフィスのいつになく低いうなりに、ゼファードはたじろいだようだった。
「どうしてまず俺に言わなかった?」
「それは……初めにグラントリー公に許しを得るのが順当だと」
「その前に俺にひとこと言うことが親父への無礼になるわけじゃないだろう!」
ジルフィスはともすれば剣の柄に手をかけたくなる衝動を何とか押さえ込み、手近な椅子にどさりと腰を下ろした。
耳の奥ががんがんと鳴っている。額に手をあて、何とか落ち着こうとするものの、自分で思った以上に取り乱している自分の手綱をとるのは簡単ではなかった。
――アーラが俺の妹になるだって?
ゼファードが、今回の夜会のエスコート相手探しに難儀していたことは知っていた。それはゼファードの生真面目さによるものであり、物事の先の先まで考えなくては取り掛かれない性質のせいでもある。まどろっこしいのが苦手のジルフィスは、適当に選んで後からどうあしらうか決めればいいじゃないかと助言したのだが。
――まさか本当に「適当」な人材を選んで、面倒なことを後回しにするなんてな。
ゼファードらしくない――自分が言ったことを棚に上げて、そう思う。
アーラならまさに「適当」、うってつけだ。戸籍がもともとないのだから改ざんの必要がなく、新たに作ったものをそっと貴族系統簿に滑り込ませればよい。作法やダンス、貴族の最低限の慣例などは彼女なら覚えられるだろう。あれほどまでに複雑怪奇な文字を習得し、なおかつさまざまな物語を頭の中に詰め込んでおけるのだから。
それに、授業を引き受けたことから考えても、彼女は気が進まなくても嫌だとはいえないだろう。しぶしぶながらエスコートの相手役を承諾し、それにふさわしい肩書きとして「ジルフィスの妹」という名を甘んじて受けるに違いない。
ようやく時間ができてアーラの顔を見ようかと立ち寄ったら、「彼女は夜会用ガウンの採寸のために留守だ」とこの従弟がぬかした。ジルフィスはアーラが気を変えて夜会に出てくれるつもりになったのかと喜んだが、次の瞬間、ゼファードはとんでもないことを言い出したのだ。
彼女をジルフィスの妹にして、自分のエスコート相手役を務めてもらう、と。
狡猾な末弟派を欺くには確たる証拠書類と念入りな背景設定が必要だ。口先だけでジルフィスの妹だと紹介しても、なぜ今まで隠していた、髪の色も顔も違いすぎる、本当だとすればグラントリー公がどこの女に生ませた子だ、とかっこうの攻撃材料になってしまう。しかもグラントリー公の養女ではいけない、血のつながりが伴っていなければ有力貴族たちは王子のエスコート相手として、納得しまい。
地盤づくりは、水面下にてすみやかに且つ綿密に行われた。クオードとセリスティンと〝なじみ〟の尚書官の協力を得て、アーラにはグラントリー公の娘としてのれっきとした過去が出来上がった。
それらがすべて終わってからなのだ、ジルフィスがこのことを知ったのは。
――兄妹、か。
アーラがジルフィスの妹なら、当然ゼファードの客室を出てグラントリー公邸に一緒に住まうことになるだろう。それはよいことだ。今までよりも自由に彼女に会えるし、一目を気にせずに出かけられるようにもなる。妹を悪い虫から守るためだという大義名分で、筆頭騎士としての任務がない限り、ずっとそばについていることもできる。
だが、兄妹なのだ。
ジルフィスは自分の中に芽生え始めている感情の正体を知っていたし、それを育てるのも悪くないと思っていた。けれども血のつながりのある兄妹となれば、この感情の芽はどうすればいい?
ジルフィスは大きく肩で息をついて、立ったままの従弟を睨め上げる。ゼファードは戸惑っているらしかった。
「……ゼファ」
「ジル?」
「おまえは、アーラをどうするんだ?」
「どうするって……俺の伴侶が正式に決まるまで、従姉妹の傍系王族の姫として夜会や式典行事を手伝ってもらうつもりだ」
「そのあとは?」
「そのあと?」
ゼファードが眉をひそめる。王妃から受け継いだ彼の深海色の瞳を、ジルフィスは挑みかかるようににらんだ。
「そうだ。ゼファのフィアンセが決まったら、アーラがエスコートの相手役を務める必要はなくなる。それなのに、アーラはずっと〝王子の血縁〟という見えない枷につながれっぱなしになるんだぞ? 非道いと思わないのか」
「もちろん、彼女にはできるかぎりのことをする。恩には報いるつもりだ。必要なものがあれば俺の力が及ぶ限りなら……」
「傍系王族の姫が、政略結婚の標的にならないと思ってるのか?」
ゼファードが息を飲んだ。
ゼファードのことだ、まったく意識にのぼらなかったはずはない。わざと無視してきたに違いない。それとも……
「ゼファ、夜会は明日だ。今ならまだ間に合う」
自分の声が怒りのためだけでなく、懇願の意味でも震えていることにジルフィスは気がついた。
「アーラをグラントリーの戸籍からはずしてくれ。俺は、アーラをこれ以上つらい目にあわせたくない」