2、召喚
「お待たせいたしました。私がアーラです。ご用向きはなんでしょうか」
兵士は二人いた。一人は赤みがかった金髪の長身の青年で、もう一人は、さらに上背があり肩幅が広く、胸板が厚い。軍人の見本のような体格と、厳しい顔つきをしている。
おかみさんは「お城の兵隊さん」と称したが、アーラは、彼らがありふれた一兵卒ではなく「ご大層な」兵隊さんであることを察した。
――近衛クラスだ。
宿屋に昼食を食べに来る兵士は、大概が街まわりや詰め所番だ。気安いが、どことなくぞんざいな雰囲気がある。
けれども目の前の二人は、表皮からつま先にいたるまで、神経が行き届いていると感じられた。隙がない。店のカウンターで冗談を言い、愚痴をこぼし、あくびを噛み殺しつつ職務にもどってゆく大勢とは格が違うのだ。
二人とも若い。狐色のような赤みをおびた金髪の青年など、きっとアーラと同じか、少し年下だろう。
とはいえこの国、グランヴィールの人々の面立ちは、西欧人ほど彫りが深くはないものの日本人よりは早く大人びるようで、自分よりも年上か年下かをはかるのが、アーラにはむずかしい。ひょっとすると、化粧っ気のないアーラこそ若く――十代に見られているのかもしれなかった。
「先触れもなく突然お邪魔して申し訳ない」
赤い金髪の青年が愛想よく、軽く頭を下げる。女性が十人いたら七、八人は黄色い声をあげるだろう繊細な美男子だ。アーラはといえば、甲高い悲鳴を上げない二割のほうのタイプだった。「美しいなあ」とは思うが、それだけだ。
――お貴族様のもとに来るわけでもあるまいし、先触れなどないのは当然よ。
謝られることなどなにもない。アーラは微笑んでみせた。
「いいえ。今ならお昼時もすぎておりますし、不都合はございません。ご用件をうかがえますでしょうか」
「アーラ殿は物語りにすぐれているとの評判を聞き、こうしてまいりました」
もう一人の、灰色がかってくすんだ金髪のほうが言った。頭ひとつ分半高いところから低く硬い声が降ってくると、かなり威圧的な印象だ。
「物語り?」
アーラはひそめてしまいそうになった眉を、かろうじて留めた。
「たしかに……近所の子どもたちにはよくお話をしてあげますけれど、それだけです」
グランヴィールには、当然ながらインターネットもなければ、テレビもラジオもない。現代日本にくらべれば娯楽は限られている。
グランヴィールの人々にとって歌い手や語り手、踊り手や吟遊詩人、芝居の一座に大道芸人のたぐいは娯楽を提供してくれる存在であり、王族貴族も、そのような優れた芸能者を招くことはよくあると聞く。
けれどアーラは、物語りによって富と名声を稼ぐ語り手ではない。物語りはできても、それは近所の子らや宿泊客を楽しませるためだけのささやかなものとして、語っているのだ。
「私は吟遊詩人でも語り手でも何でもありません。ただの、宿屋手伝いです」
「ご謙遜を。春の芽吹き亭のアーラ嬢は世にもめずらしい物語を次々にたゆることなくなさると、兵士の中でもうわさになっております」
――世にもめずらしい物語! そりゃあ、そうよね。
アーラは本が好きだ。小学生の時分には日本昔話全集全八十巻を読破し、中高生となるとギリシャ神話を読み漁り、北欧神話に耽溺し、大学では古事記と日本書紀と風土記を読み比べ……。そのほかにも、時間さえあれば本を開いていた。
積もりに積もった神話、民話、フィクションの数々はほとんど細胞レベルでアーラの蔵書となっていたから、「お話をして」とねだられれば、語る物語が尽きることはなかった。少なくとも、今のところ。
「私の物語りに、何か障りがありましたでしょうか?」
アーラがおずおずと不安げな表情をつくって問うと、狐色の金髪とくすんだ金髪は顔を見合わせた。
「いえいえとんでもない! アーラ殿、その逆ですよ」
「あなたの物語りのすばらしさを見込んで、我がゼファード殿下が、ぜひ王城にお越し願いたいと」
「……は?」
思わず、まぬけな声がこぼれた。
丁寧な言葉遣いも当たり障りのない笑顔も忘れて、きょとんとしてしまった。
「王城?」
「はい。王子殿下は、あなたの物語りを是非にとご所望です」
――ちょ、ちょっと待ってよ。
王都とはいえ、ここは街はずれ。春の芽吹き亭は、こぢんまりとした家庭的な店だ。王城など、日本の地方都市で永田町の話を聞くのと同じくらいに、遠いものだと思っていた。
――なのに私に、王城へ上がれと?
めんどくさい。
まず浮かんだ正直な気持ちが、それだった。
何とかして断ろうと思うものの、相手は王子殿下だ。アーラが断って何かお咎めがあったとき、おかみさんやご主人に迷惑がかかることなど、あってはならない。何と言っても、おかみさんとご主人はアーラの大恩人なのだから。
――めんどくさいしややこしそうだし何かに巻き込まれそうだし行きたくないけれど、王子様ご所望の物語りとやらで少しでもご褒美がもらえるのなら、おかみさんたちへの恩返しになるかもしれない。
――おかみさんと、ご主人のためなら。
アーラは覚悟を決め、王城に上がることを承諾した旨を伝えたのだった。