18、持論
アーラは執務室の窓から、ぼんやりと見下ろしていた。
今日も、もうすぐ授業の時間になる。アーラだけでなく、ゼファードもジルフィスも、セリスティンが来るのを待っているのだ。
セリスティンは外で誰かに呼び止められたらしく、王城の前庭で話しこんでいる。真昼の陽射しを受けて、セリスティンの銀の髪がまばゆく輝いていた。
「アーラはああいうやつが好みなの?」
突然、話しかけられた。
驚いて振り向くと、ごく近くにジルフィスの顔があった。金褐色の瞳がからかうように、それでいてどこか咎めるようにアーラをのぞきこんでいる。
「びっくりした……。好みって、何が?」
「ずっとセリスを見てるだろう? あんな化け物じみたに非常識なやつがいいの?」
「化け物じみた」という言い方は語弊があるだろうと感じながらも、セリスティンの容貌が人間離れしているとは、アーラも思っていた。その美貌で人を虜にする吸血鬼や夢魔のようだと例えるならば、たしかに化け物じみた美しさといえるのかもしれない。
「いいというか……とってもきれいよね。鑑賞にたえうるというのかな? あんなにきれいな男の人は見たことがないし、とっても貴重だと思うの。眺めていてあきないわね」
光の粒をまとったフェルメールの絵画のようで、見とれてしまう。
「俺はどう?」
真顔で訊かれて、アーラは思わず笑ってしまった。
「ジルはきれいというよりも、〝かっこいい〟かな。美形だし筆頭騎士なんだし、とってももてるんでしょう?」
「もてるよ。迷惑するくらいにね」
本当に迷惑していそうな口ぶりだったので可笑しかった。
「セリスももてるんだろうなあ。でも、婚約者がいるのよね? コルディアさんだっけ」
もちろん絵画的なセリスティンの美貌も好きだが、彼が授業のときに見せる、知らないことを知ることが心から楽しいという笑顔や明るいまなざしが、アーラはとても好きだった。
アーラの授業や物語りに、いつも一番興味を示してくれるのはセリスティンなのだ。ゼファード王子も今ではひらがなとカタカナをほとんどマスターし、アーラの説明によく耳をかたむけてくれるが、それにはどこか義務感のようなものが付きまとう。「学びたい」という意欲ではなく、利になることなのだから「学ばねば」というような。
心底楽しんで授業に取り組み、〝あちらの世界〟の伝承や伝説について会話が盛り上がるのは、ゼファードでもジルフィスでもなく、セリスティンなのだった。
アーラは王城で隠れ暮らすことを余儀なくされてからというもの、セリスティンとの会話を一番の楽しみとしていた。けれどもセリスティンにとってはきっと、アーラとのとりとめもない話をする時間は〝一番〟ではないに違いない。
――そりゃあ、婚約者さんといっしょに研究にいそしむほうが楽しいでしょうね。
寂しさが胸をよぎる。もしも〝こちら〟に友人がたくさんいたのなら、こんな自分勝手な寂しさを抱えずにすんだだろうか。
セリスティンの婚約者だという女性コルディアに、アーラはまだ会ったことがない。研究の助手をしているほどなのだから、きっと優秀な女性なのだろう。いつかセリスティンに紹介してもらって、友達になりたいものだと思う。
「コルディアさんがうらやましいな。いいなあ……セリスみたいにあんなきれいで楽しい人がフィアンセで」
ジルフィスは、アーラの感想に賛成しかねるようだった。
「セリスって楽しいか? うるさいだろう、いっつもアーラを質問攻めにして」
「自分の好きな話題で盛り上がれるのがうれしいの。全然うるさくなんかないわ」
「アーラ」
不意にジルフィスの声がひそめられ、低くなった。書斎机にいる王子の耳には届かないだろう。
「アーラは、セリスをコルディアからとりたいとは思わないのか?」
問われて、アーラは大いに戸惑った。かなり一足飛びに話題が飛躍した気がする。
「どうして?」
「コルディアが、うらやましいって」
「そうはいったけど、うらやましいとねたましいは違うもの。こういう気持ちって、恋とは言わないんじゃない?」
そう答えると、ジルフィスは拍子抜けしたようだった。
「私は、いいなあって外から眺めていたいとは思っても、婚約者がいる人とわざわざ恋仲になりたいだなんて思ったことがないの。恋愛をしなくても死ぬわけじゃないしね」
――まあ、その結果として、遺伝子が残せないということにはなるかもしれないけど。
アーラは心底誰かに恋焦がれるという経験を、したことがない。無理に身を慎んだわけでも男性恐怖症というわけでもなく、本当にこれまで、その必要性を感じたことがないのだ。それは長いあいだ修道院付きの女子校で過ごしてきたせいかもしれないし、蔓延している〝若者の常識〟がどんなに間違っていてどのような行為でどれほどのリスクが生じるかを、家庭科や保健でシスターたちから具体的なパーセンテージにいたるまで教えられたせいかもしれない。
だからこそ、好きでもない誰かとなんとなく付き合う、などということがアーラには信じられない。友情が恋に、それから愛へと変わることはあるだろう。だが、常に恋人というポジションがうまっていないと不安だとこぼす同年代の意見には、賛成しかねるのがアーラなのだった。
アーラの持論を聞いて、拍子抜けというよりも狐につままれたような面持ちになっているジルフィスに気づき、彼女はあわてて弁解した。
「別に世の恋人たちを否定してるわけじゃないのよ? 私が、これまでそういったものを必要と感じなかったというだけで。もしかしたらこれから一目で恋に落ちるようなことがあって嫉妬に狂う日が来るのかもしれないし、お見合いをして、恋愛というよりもおたがいを認めあって尊敬しあって家庭を築いていくのかもしれない。先のことはわからないけれど……グランヴィールでも私のような考えって、やっぱりおかしいの?」
「めずらしいとは、思う」
そう答えると何かが吹っ切れたように、ジルフィスはにやっと笑った。
「俺はアーラが、セリスのことを好きなんだと思ってたんだ」
「セリスをきれいだなあって眺めているのは好きだし、物語について一緒に話すのはもっと好き。でも、ジルが想像していたようなのとは違うわね」
「もうじき、ゼファのための夜会があるんだ。アーラも出ないか? 俺と一緒に」
唐突な誘いに、今度はアーラが狐につままれた気分になった。
「どうして急に夜会なの?」
「セリスもコルディアも出席するんだ。きれいに着飾った二人が見られるから、アーラがよろこぶかと思って」
「ああ、そういうこと」
合点がいった。セリスティンは夜会用に着飾ったなら、女性を圧倒する美しさをほこるだろう。コルディアにも会ってみたい。けれど、問題のほうが多かった。
「お誘いありがとう。でも、やめとくわ。私はグランヴィールの音楽やダンスにくわしくないから、きっと恥をかくだけだもの」
「毎日の授業のお礼に、俺がダンスのレッスンをつけるといっても?」
「ジルはいそがしくってあたしの面倒を見る時間なんかないでしょ」
と、まさにそのとき。扉が開いて、セリスティンが入ってきた。
「遅くなってすまなかったね! これだから人気者は体が足りなくて困る。さあアーラの授業を始めよう!」