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13、外へ

 自分に選択肢はないのだ――アーラは思った。ここで断るそぶりを見せたなら、きっと春の芽吹き亭のご主人夫妻に迷惑がかかるだろう。

 「王子が物語りをご所望だから参上するように」と言われたときも、同じように考えて召喚に応じることにしたのだったと思い出す。グランヴィールにおいて異分子である自分はどうなってもしかたがないが、その自分のせいで、親切なこちらの人々が迷惑をこうむるのではいたたまれない。

 王子がアーラの手をつかんで立ち上がらせた。

「おまえのための客室を用意させてある」

 ただ素直に青いだけの瞳がアーラを見ている。アーラは心持ち首をすくめた。

――私に拒否されることなんて、頭から考えていないのね。

 やはり宿屋にもどることはあきらめて、王子殿下の気がすむまで日本語の授業につきあわなくてはならないようだ。

 乱暴ではないが、優しくもない手に引かれてアーラは物見部屋から出た。臭くもこもってもいない外の空気にほっとする。

 入り口の脇にはクオードがいかめしく立っていた。彼はアーラを引っ張っている王子に一礼すると、アーラの存在など目に入らぬとでも言うように視線をそらした。

 クオードにはどうやら敵視されているらしい、アーラはひしひしとそう感じた。春の芽吹き亭で初めて会ったときも、人当たりのよいジルフィスに比べるまでもなくクオードは無愛想だったが、彼はアーラに間諜の疑いをかけたと同時にさらに冷ややかになったようだ。嫌われている分にはかまわないが、あからさまな態度をとられるとやはり傷つく。

 王子がそのクオードをふり返った。

「ジルがもどってくるのはいつだった?」

 クオードはよどみなく答えた。

「一時間少々で陛下が執務室におもどりになられるご予定ですので、その頃にはジルフィスはこちらへ向かうかと」

「あと一時間か」

 王子はつぶやいて、歩みを速めた。塔の螺旋階段を早足で下りて行く彼に、アーラは小走りでなければついていけなかった。

「セリス、おまえはどうする?」

 王子に問われてセリスティンはちらとアーラを見た。

「いったん、僕は研究院にもどるよ。ジルとは顔を合わせたくないんだ。あいつは僕のこの素晴らしき探究心にけちをつけるのを趣味にしているからね。今回僕らが彼女の国の文字を学ぶことにしたのだって、反対するに決まってる」

「だがこれは長い目で見れば公の利になることじゃないか。誰も知らない文字を覚えて末弟派の目を気にせずに法案の関係書類や議事録が残せるようになれば、それだけ俺たちは力を手に入れることになる。父上がこれといった手を打たれない以上、俺たちが対抗力をつけなければだれが牽制できる? 末弟派がこのままのさばれば国境の不安はますます増大するし、貴族議員の発言力だって偏るだろう?」

「だけど一日二日で覚えられるものじゃないだろ? これは暗号じゃなくて言語なんだから、対応表を丸暗記すればいいってもんじゃない。ジルは僕が殿下のためを思って進言したのじゃなくて、また僕の〝病気〟が始まっただけだっていうよ」

「勝手に言わせておけ」

「もちろん言わせておくさ」

 セリスティンはひらひらと手を振り、アーラには銀の睫毛に彩られた片目をつぶってみせて、長い足で軽々と一段抜きに階段を下っていった。

 セリスティンの姿が見えなくなると、あたりはたちまち静かになった。聞こえるのは日ごろの運動不足がたたっているアーラの息遣いと、王子の足音、そしてあとからついてくるクオードの剣帯が鳴る音だけだ。

「何か言ったらどうだ?」

 階段が終わり、南塔の地階に到着すると、ずっと押し黙っていたアーラを王子が振り返った。

「間諜の嫌疑は晴れた。身の証のないおまえだが、害なす存在ではないと一応認められたんだ。素直に喜んではどうだ?」

「自分に罪がないことは、自身が一番よく存じております」

 ようやくアーラは答えた。王子の形よい目が瞬く。それでも皮肉がこもってしまうのは、どうしても止められなかった。

「私はただ、殿下に少しでも楽しんでいただければと思いつたないながら物語りをしたのです。それなのにクラーレン金貨を受け取れぬ、家名は告げられぬと申し上げた途端、身に覚えのない疑いをかけられました。実の市民ではない者がそれを秘して王城に上がりましたのを責められるのでしたら、甘んじて受けます。ですが初めから殿下を害そうなどと恐れ多いことなど思ってもみなかったのに狭い部屋に閉じ込められ、そこから出られたから喜べとおっしゃられても私にはできかねます」

「しゃべれるじゃないか。しかも一息でそんなに長々と」

 王子の手と口元のこわばりが、ふとゆるんだ。

「何も言わないから、饒舌なはずの語り手が語れなくなってしまったかと思ったぞ。閉じ込めたばっかりに」

「すぎたことを申しました」

「違う、俺は責めているんじゃない。怒りたいのはおまえのほうだろう。……悪かったと思っているんだ、これでも」

 唇を噛んだ王子の横顔に驚いて、アーラは思わず立ち止まってしまった。

――王子が、謝っている? 

 日本の政治家ですら「遺憾に思う」と口先で言いはしても、謝ることはなかなかないのに。アーラ自身これまでいと高き人々と付き合ったためしがないので比較はしかねるが、王族という肩書きを持ちそう育ってきた人物が「悪かったと思ってる」と認めるのは――しかも一介の小娘相手に口に出して認めるのは――勇気がいることに違いない。

 アーラが立ち止まったので王子は少しばかりつんのめり、また歩き出すようにアーラをうながした。

「おまえを物見部屋に押し込んだあと、ジルが……ジルフィスがやってきて、猛然と抗議したんだ。それから俺とジルでほとんど喧嘩みたいになって。そのまま昨日は別れたんだが、セリスの結論を聞いて冷静になってみると、せっかく物語りをしてくれたおまえにずいぶん手ひどいことをしてしまったのだと気がついた」

 アーラは胸の片隅に灯がともったように感じた。

――ジルは本当に、私のために殿下と話をしてくれたんだ。

 少なくとも本当の味方が一人いるのだと知って温かい気持ちになる。

 王子は気まずそうに続けた。

「おまえが望むように宿屋に帰してやるのが筋なのだろう。だが、セリスティンの進言はもっともだった。おまえの故郷の言葉を教えてほしい。それはきっと俺たちの力になるだろうから」

 アーラは表情に出さずに胸の内で笑った。

 彼女の中で王子へのわだかまりが消えたわけではない。王子に生まれついた人の苦労や宮廷の争いなどもアーラの知ったことではない。しかし王子に生まれついた人がアーラ〝ごとき〟に詫びた事実が、心の整理をつけてくれた。

「わかりました。謹んでお受けいたします。ただ、一つお願いがございます」

 明らかにほっとしたようすで、王子は聞き返した。

「なんだ?」

「恐れながら、私のことはアーラとお呼びいただけますでしょうか。私の名は、〝おまえ〟ではございませんので」

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