11、帳面の文字
学友はその必要以上の美貌を鼻にかけるどころか、すっきり通った鼻梁に無造作に皺を寄せ、狼のように凶悪な目つきになってうなった。
「まったくなんて難解なんだ! 大別しただけで四種類もある。こんな雑多な暗号があってたまるか!」
「しかし実際ここにこうして存在しているんだ。おまえが解読できなければ、いったいだれができるというんだ? セリスティン」
「そりゃあ僕をおいてほかにはいないだろうよ。だがクオード、これは軍事暗号ではない可能性のほうがずいぶん高いぞ」
「なぜだ?」
セリスティンのその意見が、クオードは気に入らなかった。
クオードとジルフィスの学生時代の悪友であるセリスティン・ヴァレンは、現在王城付属の研究院で書物と紙の束とインクの匂いに囲まれて過ごしている。
彼の白磁の美貌をとりまく銀の髪と氷色の瞳に憧れる女性は、淑女から女中まで数知れない。王都中の貴婦人から屋敷への招待状が降りそそぐようにして届くのだが、セリスティン自身は着飾った女性よりも、埃くさい書物に囲まれるほうを好むのだった。
セリスティンは無駄に美しい銀髪を背に払って、クオードに向きなおった。
「なぜって、効率が悪いからだよ。いくら敵の手に渡ったとき解読されないようにするためといったって、限度がある。こんなごちゃごちゃとした暗号文じゃ、味方同士の意思の疎通にいったいどれだけの手間がかかる? 無駄だ。大いに無駄だ。僕はこれは暗号じゃなくて、古代言語に類するものだと思う。いや、むしろ賭けてもいいね。数千年にわたる永い時に渡って文法や文字が継ぎはぎされたせいで結果雑多になってしまった、古代王朝の言語だな」
「あの娘は、外つ国の間諜ではないと?」
「ないと思うね」
セリスティンはにべもなく言い放った。
「これを書いたのが君たちのいう小娘なら、間諜じゃないだろう。僕はその子が殿下に言ったとおり、これが異世の言葉だというほうが、軍事暗号ってよりはるかに真実味を感じられるね。とにかくこれは暗号じゃないよ。軍人は無駄が嫌いだ。君のようにね。こういう無駄が好きなのは、僕みたいな学者連中だな」
クオードは足を組み替えて天井をあおいだ。
「諸国の間諜でないのなら、暇をもてあました末弟派の古狸どもの暗号だという線はないか?」
「ない。老眼の古狸のお歴々が、こんな繊細な文字をどうやって読み解けるんだ? 僕だって苦労するのに」
セリスティンはまっすぐに流していた髪を両手ですくって束ねながら、視線は帳面の文字を追っていた。
「クオードが僕を信じるか否か知らないけどね、僕の結論はもう決まっている。王子殿下が下町から召喚したその語り手は、嘘をついちゃいない。彼女が本当に異世から来たのか、月から落ちてきたのか、時間のひずみからこぼれ出た古代王朝の娘なのか知ったこっちゃないけれど、この証拠物件を見るかぎりはとにかく間諜ではないよ。君たちをだますためにこれだけの量の帳面を用意することは、時間的にもできなかったはずだしね」
「……そうか」
「おもしろくないって顔をしているね、クオード。何が気に入らないんだ?」
クオードは片眉を上げてセリスティンを見返した。
「殿下の御身を守るのが、俺の役目だからな。間諜の疑いが晴れたとはいえ身の上を証明できない小娘を、自由にさせておくのは我慢がならん」
「善良な一個人から自由を奪うことこそ、法を遵守すべき軍人としてどうかと思うよ」
「善良と決まったわけではない」
セリスティンはやれやれと肩をすくめた。
「強情だな」
「殿下のことを思えばこそだ」
「じゃあ、その語り手の子が言うようにこの帳面がでたらめじゃなく、本当に異世の物語りを記しているかどうか、僕がたしかめてあげようか?」
嬉々として申し出るセリスティンにクオードは嘆息した。
「断る」
「なぜ? 君に断る権限なんてあるのかい?」
楽しげに輝いていたセリスティンの目はたちまち狼の鋭さをとりもどし、冷ややかな凶暴性をこめてクオードを見返した。研究を邪魔されたときや論文が思うように進まないとき、彼は絶世の美貌が凶器に変わるほど機嫌が悪くなるのだ。
「僕はこの帳面のことで殿下に進言したいんだ。これは殿下の利になる話だし、僕にとってもぜひ取り組みたい案件でね。君の一存でどうにかなるものではないよ」
クオードはうめいた。こうなるとセリスティンは力ずくでもなければ止められない。力ずくで止めようとすれば、命の保証ができかねるほど暴れるにちがいない。
――こいつにとっては、研究のほうが王子殿下よりも大切なのだ。
セリスティンはすべての帳面をとじて小脇に抱えると、クオードの前をさっさと通り過ぎた。
「さあ、ゼファード殿下にお話に上がろう」