反意
リゼル・レインライトにとって、ハンナ・アンネーリエはこの世で誰よりも……その性格も、責任感も、全てを知っている相手だった。
幼いころは内気で、視力が悪くて、眼鏡をかけていたハンナは、問題児も多い孤児院の集まりの中では特に浮いている存在だった。
最初に助けようと思ったのは、そんな彼女が偶然、泣いている所を見かけた時。
少し話を聞いてやると泣き出したまま離れなくなってしまい、そんな可愛らしくて幼い彼女を守りたいと思うようになった。
虐めっ子たちの命も、実験台の上では幸いにして長くはなかった。
だが、それはハンナも例外ではない。
最初に彼女の眼が見えなくなったことに気づいたのは、いつもの実験の直後。
ハンナが先生に連れられて実験台に乗って、その日は初めて抱きかかえられたまま帰ってきて。
この時だけは確か先生に一度だけ反抗して、それでも当然どうすることも出来なくて、だから彼女を一生守っていかなければと思った。
やがてそれから一年くらい、キーラが逮捕されて、リゼル達は実験で得たその能力から天滅機関に強制スカウトされた。
合っていないのは直ぐに気づいた。
心のどこかで違和感は有って、それでも気弱なハンナの為に頑張らないと、と思って……そんな時だった。
彼女から「もう守ってくれなくて良い」と言われたのは。
それから彼女はその言葉通りリゼルなど足元にも及ばないような功績を上げ続け、あっという間に天者達の最高峰、第七使徒へと上り詰めた。
機関に反逆した「落ちこぼれ」とあらゆる任務を遂行する「天才」。
関係が少しずつ変わってきたのもこの時からだった。
思えば、あの時カミアに対して言い淀んでしまった言葉はもしかしたら、自分を必要としなくなってしまったハンナに対する僅かな寂しさだったのかもしれない。
ただ、どんな形になってもリゼル・レインライトは知っている。
彼女は誰よりも強い、彼女は何者よりも聡い。
だから決して油断などはしなかった。
だから決して勝てるなんて妄想はしなかった。
彼女は責任を持てば持つほどそのプレッシャーを、責任を、希望を力に変える。
この世で誰よりも優秀で、闇など寄せ付けない絶対正義の守護者の剣に。
「リゼル、私じゃダメだった?」
辺りに舞った土煙を吹き飛ばして、巨大な方陣の光が辺りを覆う。
それはあらゆる闇を払う破邪の剣、不純なる存在に天の罰を下す聖者の怒り。
どんな闇も、破滅も、あらゆる災厄は彼女の前に平伏し、その動静を顰める。
あらゆる小世界を一撃で撃滅する、十三使徒しか持ちえない最強の神威武装を。
「核が剣へ組み込まれた……これが神威武装か」
「ふむ、どうするリゼル?私達だけでも逃げるのならば当然付き合うが――――――」
カミアの言葉に、リゼルは槍を持つ。
今この瞬間、ハンナがどんな表情を浮かべていたのか、きっと最後まで忘れることはない。
ただ迷いなく地面を蹴った。
瞳から一筋の雫を流すハンナの元へ。
隣で無表情のまま、立っていたカミアへ手を伸ばして。
「リゼル……さようなら」
「……ハンナ、俺達は――――――」
剣を振りかざすハンナ。
エネルギーが凝縮したのは一瞬、それだけで辺りを光の波動が包むのと共に、空の一部が削り落ちる。
「神威武装、起動」
「……『帰還デバイス』!」
そして、手を伸ばした指の先、ハンナの後方に一つの歪が出現した。
「……‼何?」
「カミア!」
「ふは、そうか!なるほど、これは私たちの旅の始まりに――――――!」
カミアが両手を巨大な鉄塊へと変える。
刹那、先に動いたのはハンナ。
神威武装を構え、世界を沈める剣が振り下ろされる。
邂逅は一瞬だった。
「リゼル」
「分かってる」
鉄塊が振り下ろされるのと共に、槍から一つの大砲を放つ。
狙うのは彼女がギリギリ今の状況では防がない、致命傷になり得ない範囲。
ほんの一瞬だけ遅らせればいい。
痛みで遅れる一瞬だけ、カミアが鉄塊を振り下ろす一瞬だけ。
「っ、リゼル、あなたは本当に――――――!」
「ハンナ……」
さようなら、一度だけ目を伏せ、カミアが巨大な塊を振り下ろす。
巨大なエネルギーの壁に、貫通力のない攻撃は彼女の体まで届かない。
それでもエネルギーの壁を殴り飛ばせれば、彼女の身体を僅かにでもその場から押し出すことが出来れば。
「ふはははははっ、やっぱり私の目に狂いは無かった!君ならば本当に成し遂げられるやもしれぬ!この歪みきった世界の全てを、弱肉強食の構造でさえ根本からひっくり返すことを!」
「……黙れ。俺はそんな下らない目的のために動いてる訳じゃない。俺は、目の前で助けを求めてくれる奴らのために――――――」
帰還デバイスを握る。
刹那、エネルギーの壁ごと巨大なハンマーによって押し出されたハンナの姿に、リゼルは最後まで目を離さなかった。
消えていくエネルギーの波は、そのままの威力を維持することは出来ない。
ただ空を削り落とせるほどの強大な波動と今更泊まることの出来ない最強の神威武装の一撃は、一つの等身大のゲートを通って、そのまま統合世界に振り下ろされることになった。
これから二人が進む先を照らすように、暗雲に囲まれた陽光をその場に残したまま。
「統合世界よ、滅びを恐れろ。聞くといい、滅びた世界への祝福の賛歌を、滅ぼす者達への呪いの詩を――――――」
――――――死した世界からの代弁者に、純潔たる光の断罪を。




