優しさ
「はっ、お前が平和だなんて、面白い冗談だな」
「ふは、私が叶えたかったのは彼女の願いだ。とはいえ、彼女の身を粉にした国々への交渉、献身の結果、五年が経ったくらいか。遂に私たちは十の国を巻き込んだ和平同盟を締結することに成功した。万が一どこかが裏切って戦争を始めた時、他の国々全てでそこを破壊する条件付きでな」
彼女の言葉は同等の力を持つ者同士でのみ成立する抑止論、実際それが正解なのかは分からないが、少なくとも数十年と争い続けてきた国々に住む本人達にとっては、あるいは英雄とも呼ぶべき偉業だった。
「戦争を終結させた第三者、か。それが味方の内は良いが、あるいは利になる内なら――――――」
「そうだな。英雄には必ず凋落する未来がある。学の無い私は完全に失念をしていた」
全ての国と交渉、動かす事が出来るほどのパイプを持つ存在、そんな一人の少女を、国々が邪魔だと感じるまでそう時間はかからなかった。
「……殺されたのか」
「そうだ、幾つかの国に潜んでいた戦争屋共を国が黙認してな。そして彼女は死に際に悟った――――――」
『リア、ここまで敵が来ている。さっさと――――――』
日の当たらない部屋、牢獄のような部屋の中へ手を剣へと変えたカミアがドアノブへと手をかける。
逃亡生活を始めて数か月、平和になったはずの世界で、イリアとカミアの二人は、偽名を使って様々な国を転々としていた。
襲撃は日に数度、数か月と言えばそれこそかなり逃げ延びた方なのかもしれないが、カミア自身は彼女が望むのなら、どちらかの寿命が尽きるまでこれを永遠に繰り返すつもりでいた。
『……リア?』
今まで通り朝食を済ませ、珍しく届けられた手紙を彼女へ渡し、周囲の気配を軽く探る。
いつもとは違い、ノブを引いても開かない扉。
もうどれだけ水で洗い流しても身体に染みついてしまった……扉を破壊して目に入った、心残りである彼女の夢の終わり。
『血の跡……リアっ!』
カミアが叫ぶ。
その日は、いつもと特に変わらない日だった。
何かの前兆は無い、ただ強いて言うのなら……彼女自身の感じていた精神や心の疲労を、カミアが感じ取ることが出来ていなかったのかもしれない。
簡素な木の机に椅子、そんな上に置かれた一つの封筒に。
俯せに伏せられた頭と流れる血、そしてそんな彼女の手元に握られた一振りのナイフに、カミアは思わず彼女の身体を抱き寄せていた。
『……んー、あれ……ミア?』
『リア!済まない、この私がついていながら!敵はどこへ行った?』
『……んふふ、ごめんね。違うの、これは私が――――――っ!』
イリアが小さくせき込む。
彼女の言葉は、小さすぎて良く聞こえなかった。
否、あるいは手元に置かれた封筒の中身をいつものようにカミアが一度でも見ていたら、こんな事にはなっていなかったのかもしれない。
血濡れた封筒の中に入っていたのは、彼女にとって唯一あの日の襲撃から生き残った本当の家族、メイドだった少女が愛用していた一つの髪櫛。
意味は当然。
『ちっ、相当の昔に関係は消しておいたはずだが、面倒な』
『……ミアは、悪くないよ。ごめんね、私が死んだら……ミアは逃げて。ミアの能力なら簡単でしょ?私の死体は多分……置いていけば大丈夫だから』
『ふざけるな!リアが死ぬなら私は、君を狙った国を滅ぼすぞ!』
カミアの言葉に、イリアが再び咳き込む。
だがさっきまでとは違い、少しだけ微笑んでいるように見えた彼女の表情は、死ぬ間際にこんな依存症のような言葉を吐いたカミア自身への呆れなのか。
ただ、生まれてからの全ての時を灰色に染まった牢獄で過ごしていた彼女にとって、この時にはもう……初めて見た世界の色は全て、彼女を中心に染まっていた。
『ううっ、あぐっ……痛いなあ……』
『イリア、どうすれば良い。私には壊す力しかない!』
『……ミア、私ね。本当は少しだけ思っちゃったんだ。不幸を生み出しているのは戦争。でも私は?なんでここまで平和に貢献した私が、英雄になった私が……本当は戦争なんて関係ないんじゃないの、って?』
イリアが手を伸ばす。
もしかしたら、それは彼女が死に際にようやく話してくれた彼女の本音、たった一度の弱音だったのかもしれない。
彼女にとっては死の間際の他愛のない会話、ささやかな破滅願望、ただ一つ誤りがあったとするなら……それを実現できる存在が近くに居てしまった事。
カミアという人間にとって、世界などどうでも良かった。
大切なのは平和じゃない、誰かを助ける事でも、ましてや誰かを壊す事でも。
『……ミア、私の願いは君の願いを叶える事だ』
『……んふふ、ねえ、ミア。私ね、少しだけ疲れちゃった。だから、ね?ミア――――――』
――――――全部、壊して
「……!お前は、一人の願いで世界を丸ごと滅ぼしたのか?」
「どうだ、退屈はしなかっただろう?私にとっては家族の言葉が全てだった。だから彼女の死ぬ前の言葉に従って彼女を狙った国も、無関係な愚者達も、彼女を崇めていた人々も、全てを滅ぼしたんだ。殺しきれずに見逃した者はどこかしらにいるかもしれんが」
妖しく笑うカミア。
それは傍から見たら、きっと取るに足らない理由。
いや、きっと正当性という面で見るのであれば、それは利己的どころか、誰にも擁護することなど出来るはずがない。
何せ、滅ぼした人間のほぼ全て、下手をすれば限りなく全員が……彼女の死とは無関係なのだから。
「……メイドはどうだったんだ?」
「殺したさ。彼女は最悪交渉材料とでも使う予定だったのか、かつての私のように幽閉されていてな。今から世界を滅ぼすことを教えたら何と言ったと思う?『ありがとう』だそうだ」
「……そうか」
彼女の言葉に、少しだけ言葉に詰まる。
最悪の破壊者にして虐殺者、それはきっとリゼルが言うまでもなく、彼女を現す上で最も適したものであるのは間違いがない。
ただ、少しだけ羨ましく感じた。
自分自身の怒りを押し通せるだけの力に。
「おや、夕餉が冷めてしまったな。また火を起こしても構わないか?」
「……携帯用ライター使え。万一煙でも見られてお前が見られたら――――――」
カミアに一つの小型ライターを投げ渡す。
いつの間にか戻ってきた現実に、少しだけ身体が冷えたように感じるのは、最初の興味に反して彼女の話を聞き入ってしまっていたのか。
「……ぁ」
「……!誰だ?」
その時、近くから聞こえた声に咄嗟に槍に手をかける。
人の気配は感じなかった、否、突然現れた?
数は二人、だが咄嗟に聞こえたその声はどこか覚えのある。
「ひっ……」
「お前は……あの時の。それに――――――」
リゼルの言葉に、灰色の髪の少年は一瞬おびえたような表情を見せるも、「……あ、お兄さん」と直ぐにパッと笑顔を見せる。
見覚えのある姿はつい数時間前に分かれた現地人の少年、そういえば未だに名前は知らなかったが、おまけに後ろに居るのは。
「っと、ようやく地上ですか。ノルン君、今日は本当に……って、リゼル君?」
「ルルア……!そうか、道理で隊の所にいなかったわけか。それに……地下か」
小さな円筒上の穴を登って、顔を出した一人の女性、ルルアに視線を向ける。
なるほど、やけに不意を突かれると思ったら、ようやく理解った。
『ふむ、今軽く見てきたが、地下に大きな居住区画が有るな』
「お前、いつの間にか戻ってたんだな。気づかなかった」
イヤホン越しから聞こえる声に、咄嗟に口の形すら変えないほどの小声で話す。
突然の出来事に思わず気づかなかったが、ひとまず彼女の存在がバレなかった事は少し安心すべきなのかもしれない。
しかし、まさか地下に人が住めるほどの居住区画があるとは、もしかしたらこの世界の文明は相当に成熟したものであったのかもしれない。
いや、だからこそ再生指数もここまで高かったのか。
おまけに、何故二人は一緒に居るのか。
「お前、ノルンって名前なのか」
「えっ、あっ、はい!お二人はお知り合いなのですか?」
「……ああ、そう――――――」
「う、うん!私もリゼル君も、この国を再生するための測量に来たんだ!そうだよね?」
「……ああ」
強引な割り込み、ルルアの言葉にそういう設定なのかと一瞬の逡巡の後、頷く。
天者達にとって、現地の人々と関わりを持つのは、元々推奨されていない。
それは当然、下手な交流により要らない同情や抵抗を生んでしまう可能性が存在するからであり、仲でも彼女のような優しい人間の場合には特に。
「ルルア、どういうつもりだ?」
「あはは、ごめんなさい。でも、どうしても少しだけ放っておけなくて――――――」
「……そうか」
小声で囁かれたルルアの言葉に、それきり視線をノルンの方へと戻す。
彼女の言葉に嘘はない。
そして行動は余りに衝動的すぎる。
それが勿論彼女の良い事なのでもあろうが、無暗に互いの境界線を越えることはどちらの得にもなり得ないし、当然機関の意にも背く。
『彼女は君に話しかけた時もそうだが、意外に向こう見ずなタイプなようだな』
「そうだな。ノルン、俺達はもう行くよ」
「分かりました。今度はぜひ、お兄さんも僕たちのお家に遊びに来てください!」
「……考えとく」
ノルンの言葉に、リゼルは僅かにうつむくと、隣から『また来るね』と優しげな声音が響く。
無責任な約束、しかし当のノルンの顔を見るとリゼルと話している時よりも明らかに嬉しそうな顔をしているのは、きっとそれが彼女自身の魅力なのだろう。
それなら……選択の正当性など、もしかしたら誰にも決めることなど出来ないのかもしれない。




