記憶
『リゼル、助けてあげなくて良いのか?』
「ここが一線だろ。お前の言う事も分かってる、俺達は飽くまで滅ぼしに来てる側。中途半端に現地人に親しくするべきじゃない。お互いのためにもな」
『お互いのため……ふむ、お互いのためか……君は理由を作るのが本当に上手いな。超えるべきではない一線も、囚われている柵も、全て君のエゴだろうに』
カミアの言葉に、小さく溜息を吐くと、暮れ始めた陽を背にその場からゆっくりと歩き、修復デバイスの近くに構えた隊の元へ戻る。
皆探索熱心なのか、その日はリゼルの他には3人の隊員とオーウェルの姿しか見かけなかった。
『おや、あの気弱女の姿が見えないな』
「探索にでも言ってるんだろ。それより、夕飯の支度をするからどっかまた探索に行くフリをするぞ。お前が食わなくても良いなら構わないけど――――――」
その言葉に、カミアは一瞬の沈黙の後『行こう』と呟く。
当然、二人がそっと隊を離れても引き留める相手は居ない。
やがて、近くにある建物の残骸、骨組みと僅かな壁だけが残った裏へ回ると、カミアが背中越しにその姿を人間のものへと変える。
今度はいつもの服ではない、ジャラジャラと鎖のチョーカーや枷、そしてドレスのようなものを纏った、出会った時の姿に。
「任務中に代わるそれ、鎖だけでも無くせないのか?」
「ふむ、外すことは出来ないことは無いが、これが一番落ち着くのでな」
「首輪に足枷がか?囚人みたいだぞ」
「ふは、囚人、そうか囚人か……そうだな。別に間違ってはいない」
含みのあるカミアの言葉、そんな彼女の言葉に一瞬地雷を踏んだかとも思ったが、もしかしたらこの時初めて、彼女の本当の顔を見たのかもしれない。
いつも毒のある彼女にしては珍しく少しだけ寂しそうな……いや、むしろここまでそんな素振りすら無かったことが異常なのかもしれないが。
「お前も、そんな顔するんだな」
「おや、私を鉄面皮だとでも思っていたか?ふむ、だが丁度良い。気になるというのなら、ここまで君の姿を暴いた対価に聞かせてあげよう。貴族の子女として生まれ、英雄となり、破壊者となった……愚かで哀れな一人の少女と――――――」
「……それ、長くなりそうなら後でも良いか?」
「ふむ、心配しなくても退屈はさせんさ。さて、それでは先ず少女の生まれから話をしようか」
カミアの言葉に、遠のいた夕食を思い僅かに視線を逸らすと、耳だけを傾けて、手元に一つの食料と、火と、指先程度の大きさの調理用道具をそれぞれ取り出す。
それほど興味のなかった彼女の昔話は、普通の農民よりは少し大きな……一つの屋敷から始まった。
「さて、それではどこから話そうか。少女は地方の中では大きな上位貴族、一般的な人々から見れば相当に裕福にも見える家の一人娘として生まれた。名前はイリア・カーディス」
「……イリアって、お前が名乗ってる偽名の奴か?誰の話だ?」
「ふはは、そう焦るな。当時少女が住んでいた国はずっと隣国と何十年にも渡る他国を巻き込んだ戦争をしていた。確か呼び名は精霊戦争と言ったか。だが彼女の家は上位貴族だったこと、そして前線からは遠くの領地だったこともあって、彼女やその家族は前線にも行くことが無く日々を過ごしていた」
一人の少女は愛してくれる両親の元で育った。
親の血を継いで目鼻の整った容姿に勇敢な心、上に立つ者として必要な要素の全てを持って生まれ落ちた少女だが、戦争はそんな少女に厳しい洗礼を与えた。
「優勢な戦局と前線にない領地の生み出した僅かな平穏、これに彼女の一家は気を緩めた。劣勢になった敵国の一つ、戦局のかく乱を狙った暗殺部隊の襲撃を受けて両親や兄弟、リリーナとかいうメイド目習い一人を除いて全てを無くすまでな」
突然その身に降りかかった不幸に、少女は嘆き悲しんだ。
だが、暗殺した奴らにとって唯一誤算になったのは、ただ一人殺し損ねた少女がしっかりとした人格と能力を持ち、現実を受け入れた事。
「少女は両親の死に対して、これは戦争のせいであると自分の中で結論をつけた。そして少女はそんな不幸の連鎖を止めるべく、引き継がれた貴族としての数少ない権限を上手く利用しながら、平和の使者として世界を巡る旅に出た」
「……強いな」
「ふむ、強い……そうだな、彼女は強かった。だが平和の使者とは言え、戦争中に危険な旅を出る以上当然誰か腕の立つ護衛をつける必要が有った。しかし、国ももはや長年有りもしない和平の旅のために貴重な兵士を使うのは躊躇った」
それはきっと大いなる矛盾、だが決してどちらの意見が正しいという訳でもないし、長年戦争を続けて疲弊しきった国と人では、いずれにせよそんな議論すら無駄だった。
だからこそ少女が選んだのは……いついなくなっても構わない、それでいて特異な能力を持っていた一人の囚人。
「……話が飛んだ。そもそも何で幽閉されてる」
「おや、言っただろう。特異な能力を持っているから、と。私たちの世界では属性術なるものが存在したが、私のように身体を、空間を自在に操れる能力のものなど居ない。だからそんな強力な力を父親は気味悪がり、国は首輪を付けた兵器として受け入れた。それこそ、最悪消えても構わない元貴族の少女の護衛なぞ、その実験をするうえでもうってつけの人材だったという訳だ」
護衛と実験、偶然にも目的の一致した二人は共に世界を巡る旅に出た。
当然、幸せな国は無かった。
どこの場所にも落ちているのはありふれた怨嗟と慟哭、怒り、憎しみ。
ずっと幽閉されていたカミアにとってはそんなものはどうでも良い、あるいは彼女の目的でさえも興味は無く、隙があれば殺しても良い程度に思っていたが、共にいた永年にも思える時間と、旅の最中に耳が腐り落ちるほど聞かされた思いは、いつの間にか自他の境目を揺らがせていた。
『イリア、どうして君はそこまで平和を願う?君は貴族とやらでお金を持っているのだろう?』
旅の道中、夜の森に灯された焚火を囲んで。
『私のように兵器としての生き方を強制されている訳でもない。望むなら君の視界は今からでも、怨嗟や憎悪と隔絶することも出来るはずだ』
『隔絶……ふふふ、相変わらずミアは時々鋭いことを言うね。どうだろ、確かにそれ自体は出来ると思うよ。お父様やお母様が残してくれた遺産を使えば』
カミアの言葉にイリアが笑う。
二人の会話は、今思えば嚙み合っていることはほとんどなかった。
大勢の人間の欲望と孤独に塗れて生きさせられたカミアと、数多の希望と連帯の波にのまれて生きさせられてきたイリア。
考えが合わないことなど、当たり前だった。
『ふむ、ならば何故?君は見たところ精神が強靭な訳でも、率先して前に立ちたい性質でもない。暗殺者にバレないようになど、最悪ひっそりとでもまたあのメイド女、リリーナと言ったか。あの女と共に一般人を装って暮らせば良かろう』
『うーん、ひっそりと……ね。そうだなぁ……私、貴族の生まれじゃない?それだけで皆に愛されて、大切にされて……暗殺者に全部奪われてからも、それは変わらなくて』
『ふむ、私とは正反対の人生だな。だが、それは半分運とはいえ、君自身の振舞いの結果でもあるだろう。私が君の立場だったら、同じ結果にはなっていないはずだ』
人間の生まれは半分は運、それは間違っていないのかもしれないが、本人の意思、努力が介在していないという訳では決してない。
運で得た力をどう活かすか、もしくは食い潰すのか。
それを誤らなかったからこそ彼女は、英雄となれた。
『ふふふ、相変わらずミアは時々鋭いこと言うから困っちゃうな。そうだね、話はもっと単純なのかも。私、暗殺者に襲われたとき、三日三晩泣いたんだ。お父様もお母様も、優しくしてくれてたメイドの人も偶々不在で外してたリリーナ以外皆死んじゃって。だからその時に思ったんだ。皆をこんな目に合わせてる戦争は、一日でも早く終わらせなきゃって』
もう二度と、誰も悲しむことが無いように。
彼女の言葉はもはや、誰もが現実味を失っていると思った理想論、それでも旅の最中、彼女はどんな状況でもその言葉を曲げなかった。
例え戦禍の中心で軍の衝突に巻き込まれそうになっても。
例え世界中から指名手配をされ、追われる身となっても。
『自分のような人を生まないように、か。全世界の人々が君のような思考を持っていれば、戦争も起こらないだろうに』
『あ、ミア信じてないでしょ?全く、戦争を止めたいのは、本当は君のためでもあるんだよ?』
『おや、私のため?』
『そうだよ!一緒に旅をした私の家族が、帰った後に兵器として使われないように、ね』
ニコッと、快活な笑みを浮かべるイリア。
つまらない人間だと、この時のカミアは自分自身にそう思った。
口先だけで、それもありきたりも過ぎる、ただの協力させるための常套句。
きっとこんな長く続く戦争の真っただ中……騙されるのは愛を知らなかったカミアという馬鹿な人間だけ。
厳密には記憶の隅で微笑む母親は愛してくれていたかもしれない。
だが母が死ぬと父親は直ぐにカミアを軍に引き渡し、そのまま薬の水槽へ入れた。
友人のような相手もいた。
だが気づけばある日一人が狂って、次の日にはまた一人が狂って……次の日には一人を殺して。
痛みは感じなかった、幸いにはカミアは誰にも負けない力を持っていたし、幼い時に母が教えてくれた温もりも、直ぐに血で洗い流された。
何も感じない方が楽だったから?
否、下らない会話より、苦痛に満ちた相手の表情を見る方が好きだったから。
『ミア、私ね……この旅が終わったら、いつかどこかも分からないような小さい街でお店を開くのが夢なんだ。お金は有るから道楽程度で良い。少しだけ人を笑顔にしながら、誰にも知られない夢に消えていく。とっても素敵じゃない?』
『ふは、数十年、数百年と続く戦争を止めようとしている英雄候補様が、随分と小さな夢だな』
『ふふふ、そう?私は大きな夢だと思ってるよ。何せ夢を叶える為に必要な家族が、旅が終わるまで鎖に繋がれたまま、世界を救わないと手に入らないときたんだから』
イリアという人間は、カミアが生きてきた中で聞いた言葉で最も美しかった。
求められたら結果を出した、結果を出したら相手は喜んで次を求めた。
だから嬉しかったり悲しかったり、何かの感情を感じたのは、彼女にだけだったから。
『ふっ、ふふ……ふははははっ‼君は本当に面白い、イリア!君は本当に、こんな私を家族と?』
『ええー、逆にミアは思ってなかったの?私は初めて会った時からずっと、この旅が終わったら、君と一緒に家に帰ろうと思ってたのに』
『初めて会った時……記憶にないな』
『ひどっ、ミア私の事睨みつけてしばらく話してくれなかったもんね。極限までお腹が空いたミアに食べ物と交換に会話を申し付けた私冴えてる!』
『そうだな。あの時は半分殺して奪おうかと思っていたが、そうしなくて正解だった。この程度の拘束なぞ、いつでも破れる』
『えー、それなら言うと思ってたんだけど、どうしてその鎖ずっとつけてるの?取っても追跡が付いてるくらいだから持っていけばバレないし。私は結構好きだけどね?』
『ふむ、言われてみればそうだな。もはや慣れていて気が付かなかったが……それなら、君が外してくれないか、リア』
カミアの言葉に、イリアは首を傾げる。
この時、カミアは生まれて初めて我儘を言った。
相手の要求を遮って、少しだけ悩んで……きっと、人生でも一番なくらいに。
『私が?もちろんいいけど、今で良い?』
『……いや、旅の終わりが良い。いつか、君の使命が終わった時。それまでは着けていよう。君を守る誓いの『印』として』
『……!うん、それなら私が約束するよ。旅が終わった時、ミアは私が必ず自由にする。もう地下に繋がれなくて良いように。もう枷なんてつけなくても良いように――――――』




