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ガラス時計

作者: 桂螢

その時俺は、雨が降りしきる中を、ひたすら走っていた。だらだらとした緩慢かつ自堕落な人生を送っていた俺が、突然に。一番の支えになってくれている人が、不治の病に蝕まれていることが判明し、ひどく混乱したからだ。明確な理由はなく、力尽きるまで走り続けた。


俺の文字通りの唯一の友であった健は、高校の入学式の日の朝に亡くなった。親御さんを殺害した直後に、飛び降り自殺をしたのだ。俺は友人として、健のことを理解することができる。健は幼い頃からずっと、親御さんとの関係性に悩んでいた。親御さんは息子に対し、殴る蹴るといった暴力は直には振るわなかったが、夫婦間の言い争いが日常茶飯事で、それは露骨でひどい内容だった。思春期の息子の前で、ベッドの中のことまで口論していたらしい。今でいう面前虐待である。健は俺や学校の担任の教師に、幾度か悩みを打ち明けていたが、一寸たりとも解決には至らなかった。第一志望の高校の入学式という晴れ舞台の日の朝に、健は堪忍袋の緒が切れ、取り返しがつかないことをやってしまった。


健は犬死にみたいなものだ。世間の連中は、健の複雑な事情を詳しく承知していないのに、頭がおかしくて自分よがりな少年だと決めつけ、一方的にそしり、糾弾した。SNSの世界では、健に対する誹謗中傷の言葉が散らばった。


絶望の谷に突き落とされた俺は、高校に通わなくなり、結局退学の道をさほど熟慮せずに選んでしまった。両親とは価値観が合致しなくなり、家出した。アルバイトは十件連続数カ月で辞めてしまったが、なぜかコーヒー豆の焙煎の仕事だけは長く続いている。毎日時間厳守で出勤している動機は、バカバカしくて不純なものである。指導係が、たまたま河合優実に似た妖艶な女性だからだ。実のところ、コーヒーよりも色香に魅了されているから、仕事にはわりかし生真面目に取り組んでいる。


それでも、のどに煩悶という棘が刺さったままだった。納得のいかない日々を送っていると、ある日思いもよらぬかけがえのない出逢いに、突如恵まれた。あとになって振り返ると、その出逢いはまるで、必然のようだった。


自宅近所に、見知らぬ人が個人で経営する、ガラス細工工房がある。そこで最近、展示会が開催されているのを、駅の掲示板に貼られた手作りのポスターを偶然目にして知った。幾分関心がわいたので、ふらりと立ち寄ることにした。お邪魔すると、ガラス細工の儚い美しさに、純粋に魅了された。仏教が個人的に好きなだけでなく、ガラス細工にしてはわりかし安価なのも手伝い、蓮の花がデザインされた、鏡のような形をしたオブジェを、せっかくだからと購入することにした。


恋人の顔を眺めるように、気に入った作品に見とれていると、工房の唯一の職人が、来てくれてありがとうと、短い挨拶をしてきた。酸いも甘いも噛み分けた、樹木の年輪のようなしわが深く刻まれた風貌の、初老男性であった。会計の際、俺はドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』の文庫本を、財布と一緒に誤ってリュックからするりと落としてしまった。俺の本を一目見た職人は、感嘆の声を上げた。意外なことに、職人は文学に精通しており、俺たちは様々な小説の話に花を咲かせた。職人は夏目漱石やハン・ガンを好み、俺は太宰治や村上春樹を好んだ。


飾り気がなく無愛想だが、様々な人の心をきちんと見抜く思慮深い職人の人柄に、素直に感銘を受けた。それは、在りし日の健を重ねられた。縁を大切にしたくて、特に予定がない毎週火曜日には工房を訪れ、職人と話すようになった。俺は次第に、その習慣に生き甲斐を見出すようになった。健のこともよく話しをした。職人は「その友だちは俺によく似ているな」と言ってくれた。嬉しかった。ずっと昔から渇望していた、「共感」をくれたのだ。哲学が俺と似通っているうえに、ことのほか深い教養を持ち合わせている人なので、いつしか「先生」と呼ぶようになった。孤独な俺は、先生だけを信頼し、腹を割って話すことができた。


先生は、それほどまでに文学を愛でるならと、小説執筆を勧めてきた。ハードルは高いが、先生の助言どおりに、律儀に一日一文は書くことを習慣づけた。愉しみながら書き続けていると、やはり自分は生来文学的な体質なのだと、改めて再確認できた。


晩秋に職場にて、いつも厳しい客から初めて、焙煎をどういうわけかさりげなく評価された。数日後、思い切って自分で焙煎したコーヒー豆を、先生にプレゼントした。後日、アメリカンにしたのに、エスプレッソみたいに苦かったよと言われ、お互いに笑い合った。


仕事が休みの年末年始に、やってみないかと、先生はガラス細工を実際に作らせてくれた。へっぴり腰かつおぼつかない手つきで、至極不器用なド素人にもかかわらず、終始穏やかに手ほどきをしてくれて、ありがたかった。ガラスを彩る絵柄は、俺が密かに気に入っている、神秘さを醸し出す個性的な見かけが印象的である、時計草に即決した。一心不乱に描いたのに、子どもが描いた絵だと勘違いするくらいに、不細工な出来ばえに仕上がってしまったが、全て完成するとわずかながら清々しい気分もなくはなかった。こうして、ほとんど前衛的な時計草が浮かんだ、桃くらいの大きさの球状のガラスが灯る、スタンドランプが出来上がった。


ところが、そういったささやかな幸せに浴していた日々の最中に、突如神仏に殴打されてしまった。早春の日に、先生に進行性の末期がんが判明したのだ。いつまでも茫然自失した。当の先生は、もう自分なりに今まで精一杯生きてきたからと、気丈に振る舞っていた。遠くを見つめるように達観している顔つきが、先生らしかった。


じっと立ち尽くしていられず、俺は野良犬のように走った。春の雨にびしょぬれになって。雨と汗が混じり合う匂いと感触が、その時ばかりはなんだかことさら人生の一ページように感じ受けた。先生と友が遺した、この胸に響いた道標とも呼べる数多の言葉と、虹色以上に豊かな数多の感情が、遠雷のごとく脳裏を駆け巡っていた。


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