第8話:メイドの休日と、分離不安のストーカー騎士
ある晴れた朝。
ココ・メルディアは、執務室の机に一枚の羊皮紙を叩きつけた。
「休暇申請書です」
ソファで惰眠を貪っていたレオンハルトは、片目だけを開けてその紙を見た。
「……は? 休暇?」
「はい。労働基準法および契約書第12条に基づき、本日は『完全オフ』をいただきます」
ココはキリッとした顔で宣言した。
借金完済後も、彼女の守銭奴精神は変わらない。むしろ「優雅な老後」という明確な目標ができたことで、働き方改革への意識は高まっていた。
「たまにはリフレッシュが必要です。今日は一日、貴方の『抱き枕』も『介護』もしません。街へ買い物に行きます」
レオンハルトはむくりと起き上がり、不満げに頬を膨らませた。
「えー。やだ。僕、ココがいないと寂しくて死んじゃう。……ほら、魔力が暴走して頭痛が起きるかも」
「起きません。昨日、馬車の中であれだけ長時間密着して、私の手から直接『あーん』までさせたじゃないですか」
ココは冷静に指摘した。
昨日の帰路、彼はココから過剰なほど魔力調整(という名のイチャつき)を行っていた。
「昨日の『接触』で、貴方の体内に滞留していた過剰な魔力は十分に吸い出しました。今の貴方は、魔力中毒の数値が最も低い『超・安定モード』のはずです」
図星を突かれたレオンハルトは、しばらく唇を尖らせていたが、ふと何かを思いついたようにニヤリと笑った。
「……ふーん。そっか。まあ、僕も鬼じゃないしね」
彼は意外にもあっさりと引き下がった。
「いいよ、行ってきなよ。たまには僕のありがたみを知るといいさ」
「ありがとうございます! では、夕食までには戻ります!」
ココは深々と一礼すると、スキップしそうな足取りで部屋を出て行った。
久しぶりの自由。シャバの空気。そして何より、貯まった金貨を銀行に預けに行くという至福のイベントが待っている。
パタン。
扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。
レオンハルトは一人、ソファに取り残された。
「…………」
10秒経過。
彼は爪先をいじりながら、天井を見上げた。
「……暇だ」
30秒経過。
彼はゴロンと寝返りを打ち、ココがいつも座っている椅子を見つめた。
「……なんか、部屋が広い」
1分経過。
ズキッ。
こめかみの辺りが、チクリと痛んだ。
「……あ、これダメなやつだ」
レオンハルトは顔を覆った。
魔力的な意味での「中毒症状」ではない。ココの言う通り、体調はすこぶる良いはずだ。
ただ単純に、この数週間で染み付いた「ココ依存症」が、精神的な禁断症状となって襲いかかってきたのだ。
「ココ成分が足りない……。あいつの冷たい視線がないと、調子が出ない……」
最強の魔族ベルフェゴール、ココがいなくなってわずか1分で情緒不安定に陥る。
そこへ、最悪のタイミングでノックの音が響いた。
「レオン。第1騎士団長のギルバートだ。入ってもいいか?」
ガチャリ。
入ってきたのは、生真面目な眼鏡の騎士団長、ギルバートだった。
彼はうず高く積まれた書類の山を抱えている。
「昨日のキメラ討伐、見事だった。報告書の方は私が処理しておいたが……これを見てくれ」
ドサッ。
机に書類が置かれる。
「来週の式典の進行表と、予算案の決裁、それから新人騎士の配置計画だ。すべて君の最終承認が必要になる」
「…………」
レオンハルトは、死んだ魚のような目で書類の山を見つめた。
ココがいれば、「はい、ここにサインを」「次はこれです」と手際よく処理してくれる。
だが、今はいない。
この面倒な紙の束と、暑苦しい男と二人きりだ。
(……無理。耐えられない。帰りたい。ここ僕の部屋だけど)
内心で盛大に毒づきながらも、レオンハルトはスッと背筋を伸ばした。
そして、窓の外を憂いを帯びた瞳で見つめ、厳かに口を開いた。
「……ギル。すまないが、その書類は後にしてくれないか」
「む? どうかしたのか?」
「……風が、泣いている」
「は?」
レオンハルトは立ち上がり、マントを翻した。その姿は、世界の危機を予見した英雄そのものだ。
「王都の空気が澱んでいるのを感じるんだ。……昨日のキメラの影響か、あるいは新たな闇の予兆か。……私の『騎士としての勘』が、街へ出ろと告げている」
全部嘘である。
ただ単に、ココを追いかけたいだけだ。
だが、信奉者であるギルバートには効果てきめんだった。
「な、なんだって……!? 我々には感じ取れない微細な邪気を察知したというのか!?」
「ああ。大事になる前に、私がこの足で確かめてくる。……王都の平和(と僕の精神安定)を守るために」
「さすがはレオン! パトロールとは! 分かった、ここは私に任せて行ってくれ!」
「感謝する、友よ」
レオンハルトは神々しい微笑みを残し、颯爽と窓から飛び出した。
目指すは王都の大通り。
ターゲットは、アッシュグレーの髪をした守銭奴メイドただ一人。
***
王都の中央広場。
ココは、屋台で買った串焼きを片手に、上機嫌で歩いていた。
「ん~っ! 美味しい!」
レオンハルトの横で食べる高級料理もいいが、こうして自分の金で自由に食べるB級グルメの味は格別だ。
銀行口座の数字も確認した。順調に増えている。
このままいけば、30歳で引退して、地方に別荘を買うのも夢ではない。
「さて、次は服でも見に行こうかしら」
ココが服屋のショーウィンドウを覗き込んでいると、背後から声をかけられた。
「おや、可愛らしいお嬢さん。お一人かな?」
振り返ると、身なりの良い若い商人が立っていた。
ナンパか、あるいはキャッチセールスか。
ココが無視して立ち去ろうとすると、商人はココの手にある買い物袋を見て微笑んだ。
「お買い物がお好きなようだね。……どうだい? 僕の店に来れば、もっと良い品を安くしてあげるよ」
「……安く?」
その単語に、ココの足が止まった。
商人はチャンスとばかりに畳み掛ける。
「ああ。君のような素敵な女性には、特別サービスだ。……さあ、こちらへ」
商人がココの肩に馴れ馴れしく手を回そうとした、その時だった。
ゾクリ。
空間の温度が、一気に氷点下まで下がったような寒気が走った。
広場の雑踏が一瞬で静まり返る。
商人の顔が引きつり、カタカタと震え出した。
「な、なんだ……この殺気は……?」
ココがおそるおそる振り返ると――。
そこには、深めのフードを目深に被った不審者(どう見てもレオンハルト)が立っていた。
「……」
不審者は無言だ。
だが、その全身からは「その汚い手をどけろ。さもなくば貴様の店ごと消し炭にしてやる」という、極めて具体的な殺意の波動が漏れ出している。
(……いや、バレバレですって)
ココは天を仰いだ。
あの黄金の髪を隠しても、溢れ出る魔力とスタイルの良さ、そして何より「ココへの執着オーラ」は隠せていない。
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
商人は生存本能に従い、ココを置いて脱兎のごとく逃げ出した。
残されたのは、ココと、フードの不審者のみ。
ココはため息をつき、不審者に近づいた。
「……何をしてるんですか、騎士団長様」
「……人違いだ。私はただの通りすがりの美青年だ」
レオンハルト(声色は変えているつもりらしい)は、そっぽを向いて答えた。
「そうですか。では、憲兵に通報しますね。ストーカーがいるって」
「ま、待って!」
レオンハルトは慌ててフードを脱ぎ捨てた。
現れたのは、不満げに口を尖らせた「救国の英雄」の素顔だった。
「ひどいよココ! 僕を警察に突き出すなんて!」
「休日までついてくる貴方が悪いんです。……パトロール中ですか? ギルバート様が泣いてますよ」
「パトロールだよ。『僕のメイドが悪い虫(男)に絡まれていないか監視する』という重要任務だ」
彼は当然のように言い放つと、ココの手首をガシッと掴んだ。
「……見た? さっきの男。君の肩に触ろうとしてた」
「ただの客引きですよ」
「ダメだ。君に触っていいのは、君の雇用主である僕だけだ」
独占欲全開の発言。
周囲の人々が「えっ、あの人レオンハルト様じゃ……?」「痴話喧嘩か?」「雇用主って……」とざわつき始める。
ココは頭を抱えた。これ以上目立つと、また変な噂が広まる。
「……はぁ。わかりました。もう帰りますから、手を離してください」
「やだ。帰さない」
レオンハルトはココの手を強く握り、逆にグイッと自分の方へ引き寄せた。
「せっかく外で会えたんだ。……これからは『デート』に変更する」
「は? デート?」
「そう。君の休日は没収だ。その代わり……」
彼はニヤリと笑い、懐から革袋を取り出した。中にはジャラジャラと景気の良い音が鳴っている。
「僕がスポンサーになってあげる。服でも宝石でもスイーツでも、好きなものを言いなよ。全部買ってあげるから」
その言葉に、ココの目がカッと現金な輝きを取り戻した。
「……全部、ですか?」
「うん。僕の機嫌を直してくれたらね」
レオンハルトはココの腰に腕を回し、人目も憚らずに身を寄せた。
「さあ、エスコートしてあげるよ、マイ・ハニー。……まずはあそこのカフェで、僕に『あーん』してもらうところから始めようか?」
(……この悪魔。金の力でねじ伏せてきやがった)
ココは悔しそうに唇を噛んだが、勝てる相手ではない。
それに、タダで買い物ができるなら、休日出勤手当としては悪くない。
「……承知いたしました。ただし、荷物持ちはお願いしますね?」
「ふふ、喜んで」
二人は腕を組み、繁華街へと消えていった。
その背中は、端から見れば「お忍びデートを楽しむ美男美女のカップル」そのものだった。
数時間後。
城に戻ったギルバートが、ココの大量の荷物を持ち、幸せそうに微笑むレオンハルトを目撃し、「なんと……パトロール中に彼女を守り、荷物まで持ってやるとは……!」と、さらに誤解を深めたのは言うまでもない。




