第4話:深夜の密会、映し出された巨影
深夜2時。
王城が静寂に包まれる時。
ココ・メルディアは、与えられた豪奢な個室のベッドで目を覚ました。
「……眠れない」
枕が変わると眠れない繊細なタイプではない。むしろ、こんな高級羽毛布団なら3秒で爆睡して、夢の中で金貨の海を泳げる自信があった。
原因は、夕方に見たあの光景だ。
レオンハルトの指先から噴き出した、ドス黒い紫色の霧。そして「本社」という謎の言葉。
(通信魔法の混線……って言ってたけど、あんな禍々しい色、見たことないわよ)
胸騒ぎがする。
ココは喉の渇きを覚えた。
水を飲もう。ついでに、執務室の様子も見ておこう。
あの「サボり魔」のことだ、鍵もかけずに腹を出して寝ているかもしれない。
ココは音を立てないよう(モブスキル:忍び足)、廊下へと滑り出した。
***
団長執務室の前。
扉の隙間から、ぼんやりと紫色の光が漏れているのが見えた。
(……起きてる?)
ココは息を殺し、扉に耳を当てた。
中から、低い話し声が聞こえる。
いつものレオンハルトの声だ。だが、そのトーンはココに見せる「甘えた声」とも、騎士たちに見せる「凛とした声」とも違う。
もっと冷たく、底冷えするような声色。
「……ええ。例のブツは確保しましたよ。魔王様」
(例のブツ……!?)
不穏な単語に、ココの心臓が跳ねた。
聞いてはいけない話だ。本能がそう告げている。
武器の横流しか? それとも国家機密の漏洩か?
だが、好奇心と「雇い主のリスク管理(倒産・夜逃げの警戒)」という名目が、ココを覗き穴へと導いた。
ココは片目をつぶり、鍵穴から部屋の中を覗き込む。
「――ッ!?」
ココは危うく悲鳴を上げそうになり、慌てて口を手で覆った。
部屋の中央。
ソファに座るレオンハルトの前に、巨大な「何か」が映し出されていた。
夕方に見たあの「黒い霧」がスクリーンとなり、そこに映っているのは――禍々しい角を生やした、漆黒の悪魔。
『ベルフェゴールよ。……で、あるか? 本当に手に入れたのか?』
悪魔の声が、地響きのような重低音となって響く。
その威圧感だけで、普通の人間なら気絶してしまいそうだ。
レオンハルトは、芋をスライスして揚げた菓子をつまみながら、気だるげに脚を組んで答えた。
「はいはい、ありますよ。……ほら」
彼が画面越しに見せたのは、豪奢な装飾が施された小箱だった。
魔王の声が、ゴクリと喉を鳴らす音と共に上ずる。
『おぉ……! それはまさか、王都限定・季節のフルーツタルト……!』
「並びましたよー、2時間も。あーダルかった。……これを転送魔法で送りますから、予算(活動費)増やしてくださいね?」
『うむ! 苦しゅうない! ああ、人間界とはなんと恐ろしい(美味しい)場所なのだ……! 早急に送れ! 紅茶が冷める前に!』
「へいへい。了解」
レオンハルトが指を鳴らすと、黒い霧と共に小箱が吸い込まれ、シュンッと消え失せた。
後に残ったのは、静寂と……芋をスライスして揚げた菓子の袋を持った美青年のみ。
(……は?)
ココは扉に背を預け、ズルズルと座り込んだ。
思考が追いつかない。
今、確かに「魔王様」と呼んでいた。見た目も完全にラスボスだった。
なのに、会話の内容が「フルーツタルト」?
(い、意味が分からない……! でも、魔王軍と繋がっているのは確実……!)
逃げなきゃ。
今すぐここから逃げ出して、誰かに……いや、誰に言えばいい?
「騎士団長が魔王様にスイーツを貢いでました」なんて、誰が信じる?
それに、もしバレたら――。
「――ねえ。そこで何してるの?」
ヒュッ。
ココの喉が引きつった。
背後ではない。
頭上からでもない。
その声は、ココの「耳のすぐ裏」から、楽しげに囁かれた。
ゆっくりと顔を上げる。
いつの間にか扉が開いていた。
そして目の前には、逆光を背負ったレオンハルトが立っていた。
黄金の髪。宝石のような碧眼。
しかしその瞳孔は、爬虫類のように縦に細長く裂け、金色の光を放っている。
「……見ちゃった?」
彼は笑っていた。
けれどその笑顔は、今までココに向けていた「甘えた笑顔」とは違う。
いたずらが見つかった子供のような、けれど獲物を追い詰めて楽しむ残酷な捕食者の笑み。
「あ、あ、あの……わ、私、トイレに……」
「嘘つきは悪い子だねぇ。心音がうるさいよ?」
ドンッ!
レオンハルトの手が伸び、ココの肩を壁に押し付けた。
逃げられない。
彼の身体から放たれる殺気が、物理的な重圧となってココを縛り付ける。
「困ったなぁ。……君のこと、結構気に入ってたのに」
彼の指先が、ココの首筋を妖艶になぞる。
爪が少し伸びて、鋭く尖っているのが分かった。
力を入れれば、簡単に血管を切り裂けるだろう。
「僕の正体、知っちゃったよね? 魔王軍幹部『怠惰』のベルフェゴールだってこと」
「……っ!」
「生かしておけないかなぁ。……ねえ、どうされたい? 僕に食べられちゃうか、灰になるまで燃やされるか。……どっちが好き?」
楽しんでいる。この男、私が怯える様子を見て楽しんでいやがる。
死ぬ。殺される。
ココの「死んだ魚の目」から、生理的な涙が滲み出る。
(……嫌だ。死にたくない。まだ借金も完済してない。美味しいものも食べてない。老後の年金生活も送ってない! タダで死んでたまるもんですか……!)
極限の恐怖の中で、ココの脳裏に浮かんだのは「走馬灯」ではなく――「損益計算書」だった。
「……待ち、なさいよ」
ココは震える声で言った。
涙目で、ガタガタと震えながら、それでも彼女はレオンハルトを睨みつけた。
「ん? 命乞い? 泣いて頼めば聞いてあげるかもよ?」
「ち、違います……! け、契約違反……ですッ!」
「は?」
レオンハルトがキョトンと目を丸くした。
ココは懐から(寝る時も肌身離さず持っていた)契約書を取り出し、彼の胸に叩きつけた。
「ここ! 契約書! 第5条! 『甲は乙に対し、安全な労働環境を提供する義務を負う』って書いてありますよね!?」
「……え、そこ?」
「職場に『魔王軍(しかもスイーツ好き)』がいるなんて、安全衛生法違反もいいところです! これは重大な契約不履行ですよ!」
ココは涙を拭い、まくし立てた。
恐怖のリミッターが外れ、守銭奴の人格が暴走を始めたのだ。
「私を殺すなら殺しなさいよ! でもね、私が死んだら、貴方はまたあの『激痛』に苦しむことになるんでしょう!?」
「……あ」
レオンハルトの目が少し動いた。
そうだった。彼はココという「安定剤」なしでは、まともに眠ることもできない身体なのだ。
「私以外に、貴方のそのドロドロした魔力を吸い取れる人間がいるんですか? いないなら、私を殺すのは貴方にとっても大損害のはずです!」
ココは指を突きつけ、宣言した。
「だから! 私を生かしなさい! その代わり……」
「……その代わり?」
「秘密保持契約(口止め料)として、基本給の50%アップ! さらに危険手当としてボーナス倍増! これを呑むなら、私は墓場まで秘密を持っていってあげます!」
シーン……。
廊下に沈黙が落ちた。
レオンハルトは、ぽかんと口を開けてココを見つめていた。
魔王軍幹部の正体を知り、殺されかけた直後に、賃上げ交渉をしてくる人間など、彼の長い生涯でも初めてだったからだ。
「……く、ふふっ」
彼の肩が震え出した。
「あはははは! すごい、すごいよココ! 君、本当に人間!?」
彼は腹を抱えて爆笑した。
殺気は綺麗に消え失せ、瞳孔も元の丸い形に戻っている。
「最高だ。君みたいな強欲な人間、魔界にもそうそういないよ」
彼は涙を拭うと、愛おしそうにココの頬を両手で包み込んだ。
その瞳は、獲物を見る目ではなく――お気に入りの玩具を見つけた子供のような、小悪魔的な光を宿している。
「いいよ、乗った。その条件、全部呑んであげる」
「ほ、本当に……?」
「うん。……だって、僕の正体を知っても逃げずに『金』の話をするなんて。君はもう、立派な僕の『共犯者』だ」
レオンハルトはココの額に、誓約のキスを落とすように唇を寄せた。
「ようこそ、ブラック企業(魔王軍)へ。……これからは一蓮托生だね? 僕の可愛い共犯者さん」
ニヤリと笑うその顔は、とてつもなく美しく、そして意地悪だった。
ココはへなへなと腰を抜かした。
助かった。
いや、助かったどころか、給料が上がった。
それにしても、あの魔王……タルトであんなに喜ぶなんて。
(……とんでもない組織に入ってしまったわ。でも、金払いがいいなら、悪魔だろうが甘党だろうが関係ない!)
目の前で楽しそうに笑う、小悪魔な騎士団長。
ココは悟った。
自分は今度こそ、引き返せない泥沼に首まで浸かってしまったのだと。
こうして、ココは公式に(?)魔王軍幹部の専属メイド兼共犯者となったのである。




