表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
救国の騎士団長様は魔王軍幹部(サボり魔)でした  作者: 華乃ぽぽ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/11

第1話:事故物件(騎士団長)との遭遇

 王城の西棟、裏廊下。

 そこを、リネン類を抱えた一人のメイドが早足で歩いていた。

 ココ・メルディア、18歳。

 彼女の瞳は、まるで深海魚のように濁りきっていた。いわゆる「死んだ魚のような目」である。


(今月の返済まで、あと金貨3枚……。詰んだ。完全に詰んだわ)


 彼女の脳内は、色気もへったくれもない金勘定で埋め尽くされている。

 実家の貧乏男爵家が抱える借金を返すために出稼ぎに来ているが、膨らむ利子に給料が追いつかない。

 このままでは実家の屋根どころか、柱まで持っていかれて更地になるのがオチだ。


(あーあ。どこかの富豪が道端に落ちていて、『私を拾ってくれたお礼に遺産を譲ろう』とか言い出さないかしら)


 そんな都合の良い妄想(現実逃避)をしながら、ココは角を曲がろうとした。

 前方不注意。それが、ココの運命を狂わせる引き金だった。


 ドンッ!!


「……あぶなっ!?」


 曲がり角から現れた誰かと、正面衝突した。

 相手はびくともしなかったが、華奢なココは物理法則に従って弾き飛ばされる。

 抱えていた洗濯物がバサバサと宙を舞い、ココは無様に尻餅をついた。


「いったぁ……!」


 尾てい骨に走る衝撃。しかし、ココの脳裏をよぎったのは痛みの心配ではない。


(シーツが床に! クリーニング代!? 減給!? まさかの解雇!?)


 尻の痛みより先に「損害賠償額」を計算するあたり、彼女の守銭奴精神は筋金入りだ。

 ココは血の気が引いた顔で、慌てて顔を上げる。

 文句の一つも言いたかったが、相手の顔を見た瞬間、その言葉は喉の奥で氷結した。


 そこに立っていたのは、この世のものとは思えない美貌の持ち主。

 黄金の髪に、宝石のような碧眼。

 王立第3騎士団長、レオンハルト・フォン・アレンシア。

 国民的英雄であり、ココのような下級メイドにとっては雲の上の存在だ。


(げっ……。よりによって一番高いツボ(英雄様)にタックルかましちゃった!?)


 ココは瞬時に「土下座モード」へ移行しようとした。

 プライド? そんなもので腹は膨れない。今は解雇回避が最優先だ。

 しかし、彼女が額を床に擦り付けようとするより早く、頭上から声が降ってきた。


「……おや。大丈夫かな?」


 それは、とろけるように甘く、洗練されたバリトンボイス。

 ココがおそるおそる顔を上げると、レオンハルトが優雅に腰をかがめ、ココに向けてスッと右手を差し出していた。


「私こそ、考え事をしていてね。……立てるかい? お嬢さん」


 完璧な微笑み。背景に薔薇が見えるような王子様ムーブだ。

 ココは内心で(あ、これ制服汚したら追加請求くるやつだ)と警戒しつつも、断るわけにもいかず、震える手を伸ばした。


「も、申し訳ありません騎士団長様! 汚れた手で恐縮です……!」


 そして。

 ココの小さく温かい手が、レオンハルトの白い指先に触れた、その瞬間。


 ピタリ。


 二人の動きが止まった。


(……ん?)


 ココは違和感を覚えた。

 彼の手が、微かに震えた気がしたのだ。

 いや、それだけではない。

 握られた手から、まるで嵐のような荒々しい魔力の奔流を感じた――かと思うと、それがココのてのひらを通じて、スゥッと吸い込まれるように消えていったのだ。


「……騎士様?」


 ココが不思議に思って顔を上げると――レオンハルトの表情が一変していた。

 先ほどまでの「完璧な営業スマイル」が剥がれ落ち、代わりに呆然とした、あるいは夢を見ているような、虚ろな表情でココを見つめていたのだ。


「……消えた」


 彼がポツリと呟く。


「……頭を割るような痛みが、ない。……不快感が、嘘みたいに」


「は、はい?」


「君に触れていると……あんなに酷かった苦しみが、全て消えていく」


 彼はそう呟くと、あろうことかココを引き起こすどころか、繋いだ手をさらに強く握り締め、すがるように自身の体重を預けてきたではないか。

 至近距離に迫る美貌。

 吐息がかかるほどの距離で、彼の瞳が揺らぐ。

 その瞳は、怒りでも軽蔑でもなく……もっとドロドロとした、飢えた獣のような光を帯び始めていた。


(……え、何この目。怖い)


 ココの背筋に、本能的な悪寒が走る。

 それは「ときめき」ではない。「生存本能」からの警報だ。

 この男は今、私を人間として見ていない。

 砂漠を何日も彷徨さまよった旅人が、ようやく見つけた聖なる泉を見るような、あるいは飢えた魔獣が極上の獲物を見つけたような、危険な執着の眼差しだ。


「……離したくない」


 レオンハルトが、うわ言のように漏らす。

 握る力が強くなる。痛いほどだ。


(ヤバい。これ、絶対に関わっちゃいけないやつだ)


 ココの脳内そろばんが弾き出した答えは『逃走』の一択。

 このまま捕まれば、どんな理不尽な要求(高額な壺を買わされる等)をされるか分からない。

 それに、こんな所を誰かに見られたら、「英雄様を誘惑した」と噂されてクビになるのは確実だ。

 クビ=借金返済不能=実家崩壊。

 それだけは避けねばならない。


「あ、あの! 申し訳ありません!!」


 ココは火事場の馬鹿力を発揮した。


「私、急用を思い出しました! シーツのクリーニング代は給料から天引きしておいてくださいぃぃッ!!」

「えっ、あっ、ちょっ……!?」


 ココは渾身の力で彼の手を振りほどくと、散らばった洗濯物をひったくり、脱兎のごとく駆け出した。


「待っ――!」


 背後で彼が何か叫んだ気がしたが、ココは振り返らなかった。

 いや、振り返れなかった。

 振り返れば二度と逃げられない気がして、心臓が破裂しそうなほど脈打ちながら、迷路のような回廊を全力疾走した。


(逃げろ逃げろ逃げろ! 関わったら破産する!!)


 彼女は知らなかった。

 その背中に、獲物を逃した捕食者の、粘りつくような視線が突き刺さっていたことを。


   ***


 取り残された裏廊下。

 レオンハルトは、空を掴んだままの自分の右手を、呆然と見つめていた。


「……あぁ。戻ってきてしまった」


 ココの手が離れた瞬間。

 堰を切ったように、またあの「激痛」が戻ってきたのだ。

 脳髄を直接掴まれるような頭痛。

 身体の内側を無理やりこじ開けられるような、魔力暴走特有の吐き気と不快感。

 先ほどまでの一瞬の「平穏」が嘘だったかのように、世界は再び苦痛に満ちていた。


「……はは。嘘だろう?」


 レオンハルトは額に手を当て、乾いた笑いを漏らす。

 もう、耐えられない。

 あの一瞬の天国(救済)を知ってしまった今、この地獄には一秒だって耐えられない。


 彼の瞳から、理性の光が消え失せる。

 代わりに宿ったのは、昏く、重く、底知れない欲望。


「……逃がすものか」


 彼は足元に落ちていた、彼女が落としていったハンカチを拾い上げた。

 安物の布切れだが、そこには彼女の匂いが微かに残っている。

 彼はそれを鼻先に当てて深く吸い込み、獰猛に口角を吊り上げた。


 第3騎士団長としての権力。

 有り余る財力。

 使えるものは全て使ってやる。


「地の果てまで追いかけて、僕のそばから離れられないようにしてあげるよ」


 薄暗い廊下で、美しい英雄は、悪魔の顔で笑っていた。

 こうして、ココの意思とは無関係に、国を巻き込んだ「壮大な鬼ごっこ(マンハント)」の幕が上がったのである。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ