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(3)音を楽しむ

 

 あっという間に1か月が経ち、取締役会当日を迎えた。何度もシミュレーションを繰り返したので計画の中身には自信を持っていたが、強固に反対した2人がそんなに簡単にOKを出すはずはないと気を引き締めた。


 轟が開会を告げたあと、営業部門担当の取締役から先月の売上報告があった。邦楽部門は前年比プラスマイナスゼロ、洋楽部門は小幅のマイナスだった。

 次に、業界全体の販売状況が報告された。邦楽、洋楽共にマイナスだったが、洋楽の落ち込みは予想を超えていた。二桁という大幅なマイナスだったのだ。


 須尚はその深刻な状況を味方につけて、二度目の提案をするための口火を切った。


「今お聞きになった通り、業界全体の洋楽の売上は惨憺たる状態になっています。まるで底なし沼に入り込んだようです。このまま何も手を打たなければ洋楽というジャンルは消滅してしまうかもしれません。それでいいのでしょうか?」


 会議室全体を見回した。

 それから、あの2人の目を覗き込むように時間をかけて見つめた。


「我が社の洋楽部門はなんとか小幅のマイナスで踏み止まっていますが、それもいつまで続けることができるか」


 営業担当の取締役に視線を向けた。

 その視線を追いかけるように取締役全員の視線がその彼に集まった。


 彼は無言で頭を振った。そして、まったく先が見通せないというように目を伏せた。その瞬間、取締役全員の顔から色が消えたような気がした。


「洋楽は我が社の大きな柱です。創業以来、我が社を支えてきた大黒柱です」


 皆にそれを思い出させるように言葉を切った。

 多くの人が頷くのを見て、話を続けた。


「大事な宝である洋楽部門は我が社の命です。魂です。このまま衰退していくのを指をくわえて見ているわけにはいきません」


 取締役全員が即座に頷いた。あの2人も例外ではなかった。


「計画がうまくいけば今回の投資は5年で回収できます。しかし、もしうまくいかなかった場合でも、これからお示しする売却案によってその損害額を最小にすることが可能です。しかも、その時の状況に応じた三つの売却案を準備しておりますので、我が社にとって最適な判断を下すことが可能だと思っております。もちろん、進捗状況は毎月の取締役会で詳細に報告することをお約束します。本日ご議論を頂いた上で、ご承認を賜れば幸いです。よろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げてプレゼンを始めた。

 会議室に響く須尚の声以外は咳払い一つ起こらなかった。

 誰の目もスクリーンに釘づけになっているようだった。


        *


 プレゼンが終わると、轟は取締役たちを見回して、発言を促した。

 須尚は2人の強固な反対意見を覚悟して身を固くした。

 ところが、誰からも意見は出なかった。あの2人も口を堅く閉ざしていた。


 冒頭の深刻な報告が効いたのだろうか? 


 須尚はテーブルの資料に目を落としながらも耳をそばだてた。しかし、物音一つしなかった。


「ご意見はございませんか?」


 轟が再度発言を促した。

 須尚は顔を上げて取締役たちを見たが、誰の口も動かなかった。


「反対のご意見はありませんか?」


 轟はあの2人の方を向いて確かめるように問いかけた。しかし、彼らの口が開くことはなかった。


「反対のご意見がないということは賛成ということでよろしいですか?」


 多くの取締役が頷いた。


「それでは賛成の方は挙手願います」


 一斉に手が上がった。

 しかし、あの2人は手を上げなかった。

 やはり反対なのだ。

 一気に緊張が高まる中、轟が次の言葉を発した。


「反対の方は挙手願います」


 須尚は2人を食い入るように見つめた。

 しかし、手は上がらなかった。


 ん? 

 どういうことだ? 

 賛成でも反対でもない? 


 訝っていると、そのうちの一人が唇を舐めた。それを発言の合図にするように。


「前回はただやりたいというだけの計画に思えたので反対しました。しかもその分析は甘いように感じたので強固に反対しました。しかし、今回は失敗した時のリカバリー案も併記されていたので、前回抱いた危惧はかなり薄れました。だから反対の挙手はしませんでした。ただ、音楽制作会社がFM局を経営するということの違和感はどうしても消えません。餅は餅屋と言いますが、門外漢が責任感だけで手を出すのは止めた方がいいという思いを変えることができません。ですので、賛成の挙手もできないのです。よって、議長に一任ということにさせていただければと思います」


 すると間髪容れず法務担当の取締役が問いただした。


「それは棄権されるということですか?」 


「いえ違います。そんなことは致しません。わたしが申し上げているのは議長の判断に一任したいということです」


 それを受けて法務担当取締役が会社法並びに当社の取締役会規程について諭すように説明を始めた。


「念のために申し上げます。先ず棄権についてですが、会社法ではそのようなことは定められてはおらず、よって、当社の取締役会規程にも記載はしておりません。また、案件に対して明確な意思表示がなされないということは、取締役の善管(ぜんかん)注意義務に違反する可能性もありますので、十分にご留意いただきたいと思います。次に議長一任についてですが、賛成反対が同数の場合は議長一任ということもあり得ますが、最初から議長一任を表明されることは認められておりませんので、この点もご留意いただきたいと思います」


「わかりました。議長一任という発言は撤回させていただきます。その上で、賛否を表明するに当たって、もう少し色々なご意見を窺って判断の参考にさせていただきたいと思います。皆様のお考えを聞かせていただけますでしょうか」


 すると、出席者全員が顔を見合わせた。

 しかし、挙手する者は誰もいなかった。

 沈黙と気まずい雰囲気が続く中、参加者の視線は自然と轟に集まった。


 轟は腕を組んで真っすぐ正面を見つめていた。須尚がプレゼンをした資料が映るスクリーンを睨むように見続けていたが、一つ息を吐いたあと、ゆっくりとした動作で腕を解き、両手を机の上に置いた。そして、意を決したように口を開いた。


「我が国の音楽産業は危機に瀕しています。この20年で音楽ソフトの生産実績は半分になってしまいました。これを危機と言わずしてなんと言うでしょう」


 発言に呼応するように、スクリーンに映し出された資料が生産実績推移のグラフに変わった。その急激な右肩下がりのグラフは、坂道を転がり落ちていく恐怖を取締役全員に与えるようだった。


「もちろん、それに対してわたしたちは指をくわえていたわけではありません。様々な対応策を講じてきました。考えられる限りの手を打ってきました。しかし、それが功を奏することはありませんでした。何故でしょうか?」


 轟が視線を動かした。取締役全員に考えさせるように一人一人を無言で見つめた。そしてスクリーンに視線を戻した。


「売ることばかりを考えていたからです。目先の売上確保ばかりを考えていたからです」


 パソコン操作をしている経営企画スタッフに向かって頷くと、スクリーンの画面が変わった。音符が軽やかに踊り、老若男女の笑顔が溢れるイラストが映し出された。


「音を楽しむと書いて音楽と読みます。決して音を売るとは書きません。しかしわたしたちは、当社に限らず業界全体で音売(おとうり)をしてきたのではないでしょうか」


 轟がスタッフに目配せをすると、またスライドが変わった。

 色々な生活シーンが映し出された。リビング、キッチン、寝室、子供部屋、車の中、アウトドア……、それぞれのシーンで家族が、夫婦が、子供が、恋人たちが音楽を楽しんでいた。


「わたしたちは今こそ音楽に立ち戻るべきです。音を楽しむ喜びを提供するという原点に立ち戻るべきなのです」


 言い終わると同時に引き締まった表情が緩んで、笑みが零れた。


「いつでも好きな音楽を聴ける環境作り無くして音楽産業の再興はあり得ません。聴きたい時にいつでも聴ける環境を、そして、今まで知らなかった素敵な曲を発見する喜びを、一人でも多くの人に提供することが最も重要なことなのです」


 笑みが消えて、引き締まった表情に戻った。


「当社がFM局の経営に乗り出すのは一見、無謀のように思えるかもしれません。しかし、音楽という原点に立ち戻れば、音を楽しむ機会の提供という観点で見れば、CDであれ、DVDであれ、コンサートであれ、FM局であれ、なんら変わりはないのです」


 そこで言葉を切って、取締役全員を見回した。


「わたしは経営に責任を持つ者として常に理想と現実の両面を見比べながら最適な判断をするように心がけています。何故なら、理想だけでは食べていけませんし、現実だけでは夢がないからです。理想と現実が調和してこそ初めて活気が生まれ、それによって、光輝く未来に向けた経営に取り組めるものと確信しているからです。そういう観点から今回の買収計画案を見て見ますと、音を楽しむ機会の提供という理想への挑戦だけでなく、しっかりと現実的なリスクヘッジが為されています。5年という投資回収期限が明記されていますし、回収できなかった場合の売却案も3案併記されています。これによって、万が一投資が失敗した時においても経営を揺るがすような損害額は発生しない仕組みが出来上がっています。つまり、リスクテイクとリスクヘッジのバランスが図られているのです。あと残るのは決断だけです。やるかやらないか、です。わたしはやるべきだと思います。それも今すぐに。ですからGOの指示を出したいと考えています。皆さんはいかがお考えでしょうか」


 発言が終わるや否や須尚は立ち上がって思い切り拍手を送った。

 すると、予想もしていなかったことが起こった。態度を保留していた2名の社外取締役が続けて立ち上がって拍手を始めたのだ。

 それを見た残りの取締役が慌てて立ち上がって拍手の輪に加わった。

 それを受けて轟も立ち上がり、満面の笑みを浮かべて取締役たちに拍手を送り返した。

 それは、エレガントミュージック社の経営陣が一枚岩になった瞬間だった。



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