須尚正(1)
帰国前日にキーボーの家に寄った須尚は、気になっていたこと、前回言いそびれていたことを質した。
「耳の調子、良くないんだろう?」
彼は目を伏せた。
「職業病だからな」
難聴が進行しているようだった。一日中ヘッドフォンを耳に当てて密閉された状態で音楽を聴き続けるだけでも耳に負荷がかかっているのに、それに加えて、リスナーへの配慮が耳の負担を増す結果になっていた。普通の音量で聴くリスナーだけでなく、大音量を好むリスナーにも最適なバランスで聴いてもらいたいと、爆音に近い音量での調整を自らに課していたのだ。
「特にロックはドライヴ感が大事だからな。音が歪むくらいの音量を好むリスナーが多いんだよ。そんな彼らに満足してもらえなければ俺の価値はない」
プロフェッショナルとしての彼の意地だった。譲れない意地だった。しかし、それが耳を虐めていた。虐待のレベルに達していた。一流のプロとしての彼の意地が耳を虐め続けていたのだ。
「もう十分だろ」
彼が直面している二つの危機に終止符を打たせたかった。耳への負荷とアルコール依存だ。
「もう十分だよ。これ以上自分を虐めちゃだめだ」
「別に虐めてなんかいないさ」
彼は頭を振った。しかし、力ない動きだった。
「そうだな、虐めているわけじゃないな」
彼が言っていることを肯定した上で、別の言葉を探した。
「そろそろ、卒業してもいいんじゃないか」
「卒業か……」
独り言のように呟いたその言葉に、安堵が混じっていたような気がした。
*
日本に帰る日を迎えた4人はワシントン・ダレス空港のロビーで出発の時刻が来るのを待っていた。
ディズニーランドを堪能した麗華と礼はエネルギーに満ちていた。いや、全身からエネルギーを発散していた。帰国したらすぐにでもライヴ活動を始めたいと意気込んでいた。
そしてそれは、おじさんミュージシャンたちも同様だった。タッキーとベスはニューヨークのジャズクラブ巡りで刺激を受けて、何歳も若返ったように見えた。ライヴ活動がしたくてうずうずしているようだった。
そんな前がかりになっている4人を牽制するように轟の危惧を伝えた。そして、「メディアに翻弄されて失速したミュージシャンを数多く知っている。お前たちにはそうなって欲しくない。じっくりやろう。いいな、じっくりだぞ」と念を押し、麗華と令の肩に置いた手にぐっと力を入れた。
「焦ってはいけない。じっくりと腰を落ち着けてやろう。腹八分目が丁度いいんだ。先は長いからな」
2人は真剣な表情で頷いたが、横で聞いていたタッキーがぼそっと呟いた。
「俺たちは先が短いけど」
「コラ!」
わざとキツイ目で睨むと、悪戯がばれた子供のような顔をして、首をすくめた。
*
搭乗手続きを済ませて保安検査場の入口に向かおうとしていた時だった。
大きく手を振る男性が見えた。最上だった。
「わざわざ見送りに来てくれたのか」
彼は爽やかな笑みを浮かべて須尚を軽く抱きしめてから、REIZのメンバーと握手を交わした。
「元気でな」
「ありがとう。お前もな」
先日と打って変わって最上は元気そうだった。
「必ずお前の耳鳴りに効く薬を創るからな」
「うん、期待している。朗報を待っている」
そして、ちょっと躊躇ったが、敢えてキーボーのことを伝えた。昔のバンド仲間が難聴になっていることを。
「そうか、その彼も俺の新薬を待っているのか……」
彼は大きく息を吸い込んだ。それは、自分の中に目いっぱいエネルギーを貯め込むかのようだった。
「またな」
「ああ、またな」
最上とがっちり握手を交わしてから、搭乗口へと向かった。




