(6)新曲完成
1週間後、何気なくラジオを聞いている時だった、その曲に出会ったのは。『氷の世界』。井上陽水の曲だった。
衝撃を受けた。パンチの効いた歌声に痺れた。『傘がない』や『夢の中へ』は知っていたが、それとはまったく違う迫力に圧倒された。「この曲が収録されたアルバムは日本初のミリオンセラーを記録しています」とディスクジョッキーが紹介していたが、そのことが大納得できる歌だった。
これだ! と思うと居ても立ってもいられず、レコードショップへ急いだ。そして、アルバムを買って、キーボーの家へ向かった。
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「哀愁のあるマイナーのフォークロックってどうでしょうか」
「う~ん、どうかな……」
キーボーは大きなスピーカーから流れる『氷の世界』を聴きながら考えているようだったが、曲が終わった時、「スナッチがやりたいと思ったら、それをやればいいんじゃないの」と控えめではあったが背中を押してくれた。
家に帰って、すぐに作曲に取り掛かった。ギターで色々なコードを押さえながら鼻歌でメロディーを探した。そして、気に入ったメロディーが浮かぶとラジカセに吹き込んだ。
それを何回か繰り返して、特に気に入ったメロディーを繋ぎ合わせた。すると、なんとか形になってきた。それを更にブラッシュアップさせて哀愁のあるマイナーのフォークロックへと仕上げていった。
メロディーが固まると、あとから歌詞をつけた。失恋を機にまったく別の人間に変わっていく男の様を描いた。
結構いい詩が書けたと思ったので、すぐにラジカセに吹き込んで聴き直した。
悪くなかった。初めてとしては上々だと思った。
よし、これでOK。
悦に入ってカセットを取り出し、ラベルに曲名を書き込んだ。
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翌日、ギターと歌詞カードを持ってキーボーの家に行き、弾き語りで彼に聞かせた。
彼は両手を組んだ上に顎を乗せて真剣に聴いていた。気に入ってくれたかどうかはわからなかったが、足でリズムを取っていたので、駄目出しされることはなさそうだった。
歌い終わると、キーボーが右手の親指を立てた。気に入ってくれたようだ。ほっとしていると、彼が立ち上がってマイクスタンドを立てた。
「もう1回歌ってみて」
ギターを繋いだアンプの前にもマイクを置き、オープンリールデッキを回し始めた。弾き語りで歌うと、「しばらく時間をくれるか?」と言って意味深な笑みを浮かべた。
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3日後、「ギターを持って家に来て欲しい」と彼から電話があった。
急いで行くと、お母さんが出迎えてくれて地下室まで案内してくれた。
彼はヘッドフォンをしたまま何かの作業に夢中になっていた。その作業が終わるまで黙ってじっと待った。
彼が顔を上げた。ヘッドフォンを外して手を上げたあと、オープンリールを回し始めた。
すると、聞き覚えのある曲が流れてきた。しかもちゃんとした合奏になっていた。彼は多重録音をしていたのだ。ピアノをバックに歌ったあと、シンセサイザーでベース音を被せ、それに、リズムボックスの音を入れ込んでいた。
「少しだけメロディーと歌詞をいじったけどカンベンな」
頷くと、「4トラックだから、もう一つ音を入れられるんだ」と言って、アンプの前にマイクを置いた。ギターをアンプに繋いで、スピーカーから流れてくる演奏に合わせて弾けと言う。また頷いて、ギター・ソロと歌のバッキングを重ねると、一発でOKがでた。
「さあ、どれどれ」
彼はヘッドフォンを耳に当てて、録音レベルの調整を始めた。
「よし!」
再生ボタンを押した。ギターのイントロに続いて歌が聞こえてきた。
「いいね!」
彼が親指を立てた。
その完成度に驚いた。歌と楽器のバランスが最高なのだ。まるでプロのレコードのように聞こえた。
キーボーは凄い!
思わず指を立て返した。
「明日、タッキーとベスに聞かせよう」
彼はオープンリールからカセットテープにダビングを始めた。
*
「なんていう曲?」
ラジカセから流れる新曲を聞き終わったタッキーがこっちを見た。
「ビフォー&アフター」
「前と後か……」
「日本語で言わないでください!」
顔をしかめると、ごめんごめんと右手を立てたが、すぐに「これ、いいじゃん」と言ってベスに顔を向けた。
ベスはご機嫌な調子で「今年の大学祭で演奏しようよ」と言ってキーボーに顔を向けた。
キーボーは異議なしというように大きく頷いた。
6月に向けて練習が始まった。メンバーは変化を楽しんでいた。今までと違う曲が1曲加わっただけで、こんなにも大きなインパクトがあるとは思わなかった。熱に浮かれるように練習に没頭したせいか、演奏レベルは飛躍的に上がっていった。